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私のたらいは、今日も少し傾いている―「億り人」の仲間たちのなかで―

最近、「億り人」という言葉を聞く。

ある日のこと、高校時代の同級生が、
「もうすぐ億り人になりそうだよ」
と報告してくれた。

「すごいね。がんばったね。  
経営者は違うね」
そう言って、ともに喜んだ。

ところが、別の日。

看護師をしている仲良しの集まりでその話題を出すと、
「え? その人、まだ億り人になってないの?」
と返ってきた。

「みんな億り人なの?」

「億り人って、預金残高が一億を超えればいいってことだよね。年収じゃないでしょう?」

他のメンバーもうなずいている。

今度はこちらが「え?」である。

互いに「え?」を繰り返したあと、みんなが不思議そうに聞いてきた。

「なんで貯まってないの?」

そのあと、ひとりで少しシュンとした。
「私にお金が残らないのは、何が悪いんだろう」
ふと、そんなことを思った。

別の仲間と、こんな話をしたこともある。

「家庭的にはお金に余裕があるのに、一円にこだわってしまう性格を直せない。それで、自分にはお金が全然入ってこないの」

そう一人がつぶやくと、別の数人が、

「それ、たらいの法則だよ」

とツッコミを入れて、場が少し盛り上がった。

うん、確かに。  
そうかもしれない。
そんなふうに考えさせられた。

「たらいの法則」とは、たらいの中の水を自分の方へかき寄せようとすると、水は向こうへ逃げていく、というたとえである。

反対に、相手の方へ押し出すと、水はめぐって自分の方へ返ってくる。

自分の方へかき寄せるのではなく、先に人の方へ水を送る。  
そうすれば、めぐりめぐって自分にも返ってくる。

そんな教えらしい。

なるほど、と思った。
けれど、同時に少し引っかかった。

私は、これまで水をかき寄せてきただろうか。  
むしろ、ずっと外へ外へと水を送ってきたのではないだろうか。

家族のために。  
子どものために。  
人とのつながりのために。  
困っている誰かのために。

正直に言えば、自分のためにもかなり使ってきた。

大学への編入も、大学院も、一年間の研修も、いろいろな講座も、全部自腹だった。  
学びたいと思えば学びに行き、会いたい人がいれば会いに行った。  
美味しいものも好きだし、人との付き合いも多い。

ただ、その学びの動機は、いつも自分のためだけではなかった。

質の悪い指導をしたら、学生さんに申し訳ない。  
古い知識のまま、わかったような顔をして教えるのは嫌だった。  
目の前の学生さんに、少しでもよいものを手渡したかった。

だから学んできた。  
だから、自腹でも行った。

それは私にとって、未来の学生さんへの水でもあった。

……と、きれいに言いたいところだけれど。

学生さんが「わかった」と顔を上げる瞬間。  
少し自信を持って実習に向かう姿。  
「あの授業、役に立ってます」と言ってくれる声。

その小さな瞬間に出会うたび、私自身も満たされてきた。

人のために使っているつもりで、  
結局それは、自分の喜びにもなっていた。

なんだ。  
やっぱり、自分のためだったのか……。

意味のあることに使ってきた。  
必要だと思うことに。  
愉しいと思うことに。  
けっこう気前よく使ってきた。

私のお金は、貯金通帳の中ではなく、学びや出会いや、誰かと笑い合う時間に形を変えてきたのかもしれない。

それに、どこかで思っている。

「まあ、宇宙預金があるから大丈夫」

本当に戻ってくる保証なんてない。  
そんな自信があるわけでもない。

それでも、学びや出会いや、誰かと笑い合った時間は、どこかに消えずに残っている気がする。

すぐにではなくても。  
同じ形ではなくても。  
遠回りをして、必要なときに、思いがけない形で戻ってくる。

私は、どこかでそんなふうに信じている。

そんな、根拠の薄い安心感が、私の中には少しある。

だから、単純に「無駄遣いをしてきた」とは言い切れない。

でも、ふと思う。

私のたらいの中には、ちゃんと水が残っていただろうか。

家族や仲間、後輩たちのために使うことは、悪いことではない。  
自分の学びや楽しみに使うことも、悪いことではない。

けれど、未来に残す自分のたらいが空になっているのに、それでも気前よく使い続けるなら。

それは優しさや好奇心ではなく、未来の自分を置き去りにすることなのかもしれない。

これからは、少し考え方を変えてみようと思う。

誰かの方へ水を送る前に。  
自分の好奇心に水を注ぐ前に。

未来の自分にも、少しだけ水を残す。

老いていく私へ。  
退職後の私へ。  
好奇心のまま、自由に旅をし、学び、チャレンジしたい私へ。

それは、けちになることではない。  
自分だけを優先することでもない。

未来の私を、見捨てないということ。

たらいの中の水を、誰かの方へ送るように。  
そして、自分の好奇心にも惜しみなく注いできたように。

これからは、未来の私の方へも、静かに水を送っていきたい。

と、思った矢先――。

歌舞伎座の売店の前を通った。

ふと、ゼミの学生さんたちの顔が浮かぶ。

「これ、喜ぶかな」

そう思った次の瞬間、歌舞伎座限定のお菓子を二つ、手に取っていた。

みんなで、

「美味しいね」

と言いながら笑い合う姿を想像して、頬がゆるむ。

ああ、こういうところなんだろうな。

未来の私にも水を送る。

そう決めたばかりなのに、私のたらいは、今日も少しだけ学生さんたちとの時間の方へ傾いた。

でも、まあいい。

今が幸せだから。

ん? 結局、自分のために使ってるってことか……?

そう思うと、妙に納得する。

人の未来なんてわからない。  
この一瞬を味わわなくちゃ。

でも、全部を流しきってしまうのは、やっぱり少し違う。

宇宙預金を信じながら、  
現実のたらいにも、少しだけ水を残しておく。

これからは、そのくらいのバランスで生きていきたい。

長生きできた未来の私が、  
少し笑っていられるように。

世界はまだ、知らないことで満ちている。

その世界を、もう少し見に行きたいから。

そんなふうに思いながら、歌舞伎座の袋を手に、駅へ向かった。

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