名伯楽シリーズ中学生編 あの伝説の東京オリンピック金メダルの岡野功先生の中学時代の師である広津先生に私は、教わってた。岡野功先生の兄、岡野守さんとの思い出。
僕が中学生の頃、お世話になった先生が三人いる。
三人ともまったく違うタイプだった。
でも、今になって振り返ると、それぞれから違う形で柔道を教えてもらっていたのだと思う。
一人目は、岡野功先生を育てた広津龍伍先生。
長い顎ひげをたくわえ、話をしていると口の角に唾をためる。
そして、怒ると突然、
「この、かぼちゃ!」
と怒鳴る。
何が「かぼちゃ」なのか、今考えてもよく分からない(笑)。
とにかく急に怒鳴るし、子供だった僕からすれば、なかなか特徴のある、ちょっと怖い先生だった。
ところが、柔道の指導となるとまったく違った。
「こう、こう」
と言いながら、自分で動きを見せて、こちらが分かるまで何度でも教えてくれる。
体落とし、大外刈り。
足の位置、崩し、体の使い方。
細かいところまで教えてもらった記憶が、今でも残っている。
厳しいけれど、柔道については本当に丁寧な先生だった。
そして広津先生には、もう一つの顔があった。
プロの絵描きだった。
先生の描いた絵は販売もされていたし、役所などに寄贈されたものもあった。
今でも市役所に飾られている広津先生の作品を見ることがある。
その絵を見ると、不思議なもので、一気に中学生の頃へ戻る。
畳の匂い。
柔道場の空気。
そして、
「この、かぼちゃ!」
という、あの声まで思い出す。
そんな広津先生が、よく話していたことがある。
話の冒頭に、
「私が教えた岡野功は――」


と出てくるのだ。
当時の僕は子供だったから、
「岡野功?」
くらいにしか思っていなかった。
それが後になって柔道を知れば知るほど、とんでもない話だったことが分かってくる。
岡野功先生という人が、日本柔道の歴史の中でどれほどの人物なのか。


それを理解するようになって初めて、
「広津先生、あれは本当にすごい話をしていたんだな」
と思うようになった。
岡野功先生が当時強くなるためにどんな事をしていたか?どこを走っていたか?を広津先生から沢山きいた。
当時、「広津龍伍杯」という柔道大会も開催されていた。
そこに岡野功先生が来賓として来られたことがある。
岡野先生が広津先生のところへ行き、きちんと挨拶をしている。
子供ながらにその光景を見て、
「ああ、本当なんだ」
と思ったのを覚えている。
そして卒業するとき。
僕は職員室に呼ばれた。
細かい情景までは、もう昔のことなので覚えていない。
ただ、広津先生が自分で書いた書を僕に渡してくれたことは覚えている。
筆で 力必達 書かれ、朱い印が押された一枚だった。
あの時は、その意味も重みも、今ほど分かっていなかったと思う。
でも、自分が歳を重ね、人を教える側になった今になってみると、ああいうものをわざわざ書いて渡してくれた先生の気持ちが、少し分かる気がする。
広津先生には、本当によくしてもらった。
私がサインを皆様に書くときに力必達とかいている。
これは、この時の名残だ
二人目は、岡野守先生。
岡野功先生の実の兄だ
広津先生とは、まったく対照的な人だった。
広津先生が「こう、こう」と細かく説明しながら教えてくれるタイプだとすれば、岡野守先生は、あまり多くを語らない。
乱取りの中で、体で教える人だった。
言葉は少ない。
でも、実際に組めば分かる。
「こういうことか」
というものが、体を通して伝わってくる。
そして何より印象に残っているのは、岡野守先生自身が、本当に柔道を楽しんでいたことだ。
先生が楽しんで乱取りをしているから、その楽しさがこちらにも伝わってくる。
中学の僕も、夢中になって組んだ。
もちろん稽古は厳しい。
でも稽古が終われば、すごく優しいおじさんだった。
ただ、口数は少ない。
必要なことをパッ、パッと話して、
「じゃあな」
という感じで、すぐ帰ってしまう。
そんな人だった。
本業は床屋さん。
だから、
「手を怪我すると仕事ができないから」
と言って、無理な技はあまりやらなかった。
それでも、とにかく強かった。
当時、先生は50代か60代くらいだったと思う。
身長は170センチ前後。
ものすごく大きいわけでもない。
中肉中背で、筋肉質。
それなのに、子供だった僕からすると、
「この人、絶対に投げられない」
という感じだった。
攻めももちろん強い。
でも、それ以上に受けが強い。守りが強い。
簡単には崩れない。
そして柔道の形そのものも独特だった。
普通なら、釣り手を持って、引き手を持って、基本の組み手を作って、きれいな形で技に入る。
でも岡野守先生の柔道は、そういう教科書通りのものではなかった。
組み方も、間も、タイミングも、技の入り方も独特。
骨太なのに柔らかい。
力強いのに無駄がない。
そして変形だ。
大外、払い腰、小内刈りなど、中心に思いっきり技をかけてくる
気合を入れて技に入るときの迫力も、今でも覚えている。
おそらく、あれは岡野守先生にしかできない柔道だったのだと思う。
僕は今までいろいろな柔道家と組んできたけれど、あんなスタイルの人には、今もなお会ったことがない。
普通はまず基本を教える。
でも岡野守先生は、基本を一から説明するというより、自分の中に完成された独特の理論や感覚があって、それを乱取りの中でそのまま見せてくる。
そういう人を、もしかしたら天才と呼ぶのかもしれない。
大会などに積極的に出る人ではなかったけれど、もし本気で出ていたら相当強かったのではないかと、今でも思う。
顔も印象的だった。
岡野功先生とはまた少し違う顔立ちで、鼻が高く、どこか矢沢永吉を思わせる雰囲気があった。
いつもジーンズ姿で、声も渋い。
子供ながらに、
「この人、柔道家じゃなくてロッカーでも絶対売れてるな」
なんて思うような、独特の格好よさがあった。
岡野功先生とは、顔は全くにてなかったなー
そして三人目が、沼崎先生。
沼崎先生は身体が大きかった。
広津先生や岡野守先生ほど、柔道の技術を細かく教えるタイプではなかった。
正直に言えば、柔道指導そのものには、そこまで熱心ではなかったと思う。
でも、いつもそこにいてくれた。
大会ではセコンドについてくれた。
部員を集めなければならないときには、学校の公衆電話で使う10円玉を用意してくれて、
「電話して集めろ」
という感じで、たくさんの部員に電話をかけさせてくれた。
今考えると、これもまた一つの指導だったのかもしれない。
技を教えるだけが先生ではない。
大会に連れていく。
セコンドにつく。
人を集めるために10円玉を用意する。
そういう、表には出ない部分で部活動を支えてくれる人もいる。
子供の頃には、それが先生の仕事だと思っていた。
だから、特別ありがたいとも思っていなかった。
でも今、自分が人を教えたり、組織を動かしたりする側になってみると、そういうことが一番大変だったりすることも分かる。
名選手の後ろには、必ずと言っていいほど、その人を育てた指導者がいる。
でも、表舞台に立つのは選手だ。
指導者の名前は、時間とともに少しずつ知られなくなっていく。
広津先生は、分かるまで丁寧に教えてくれた。
岡野守先生は、乱取りの中で体を使って教えてくれた。
沼崎先生は、技術というより、その場にいて僕たちを支えてくれた。
三人とも、まったく違う。
だからこそ、今になって分かる。
教え方に、一つの正解なんてない。
言葉で教える人もいる。
体で教える人もいる。
そして、ただそこにいて支えることで教える人もいる。
中学生だった僕には、その価値が分からなかった。
でも、自分が歳を取り、今度は人を教える立場になったからこそ、少しずつ見えてきたものがある。
市役所で広津先生の絵を見るたび、柔道場の畳の匂いを思い出す
あの頃は当たり前だと思っていた。
でも、今考えれば、とても贅沢な時間だった。
名選手の陰に、名伯楽あり。
僕にとって広津龍伍先生、岡野守先生、沼崎先生は、まさにそんな存在だった。
歳を重ねて初めて分かる先生のありがたさがある。
