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短編_未払いの夢

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嘘は、相手を未来に巻き込んで逃げる事。


夢は、自分が未来に向かって歩く事。



この国ではそれが法律になっている。

僕の仕事は、人の未来を解剖することだった。


未来発言監査局、第七審査室。

午前九時三分、僕の端末に一件の再審査依頼が届いた。


発言者、レールオーム。

申立人、ルゥラ。


対象発言は一件。


必ず帰る。

だから待っていてほしい。



その声を聞いた瞬間、僕はマグカップを落とした。

底に残っていたコーヒーが机の端まで流れ、書類の角を茶色く染めたが、手を伸ばすことができなかった。

それは、十七年前に家を出た父の声だった。

未来について語る人間を僕は信用しない。

それが職業病なのか、家庭環境のせいなのかは分からない。

たぶん、どちらもだ。


いつか。


必ず。


その内。


迎えに行く。


幸せにする。



未来の話をする時、人はだいたい優しい顔をする。

いつかとか、必ずとか、そういう言葉で傷ついた人間が、その場ですぐ怒る事はあまりない。

しばらく信じてしまうからだ。

母の場合、それが十七年続いた。

父は言った。

必ず帰る。

だから待っていてほしい。


父は帰らなかった。

母は待った。


その二つの事実の間で育った僕は、未来発言監査官になった。

皮肉としては、出来すぎている。



未来責任法が施行されたのは、僕が十五歳のときだった。

きっかけはいくつかの集団訴訟だったらしい。



夢を語って投資を集めた経営者。

結婚をほのめかして金を借り続けた男。

必ずデビューさせると言って若者の時間を使い潰した事務所。

迎えに行くと言って相手の十年を止めた人間。


裁判では、いつも同じ言葉が並んだ。


本気だったんです。

その時は本当にそう思っていました。

騙すつもりはありませんでした。


法律はその言葉を信じなかった。

正確には信じるだけでは足りないと決めた。


未来を語った者は、その未来へ向かう行動を記録される。

発言後に何をしたか。

どれだけ近づこうとしたか。

相手の人生を変えるだけの言葉を吐いたのなら、その言葉にどれだけ責任を持ったか。

それを審査するのが、僕の仕事だった。

判定は原則、二つしかない。


嘘。


夢。



研修資料の最初のページには嘘は相手を動かす為の言葉で、夢は自分を動かす為の言葉だと書かれていた。


僕はその文章が嫌いだった。

正しすぎる言葉は、時々、人を雑に切る。

端末に表示された名前を、僕はしばらく見ていた。


ルゥラ。

母の名前だった。


発言者は、レールオーム。

父の名前だった。


対象音声は十七年前の記録として登録されていた。

僕はこぼれたコーヒーを袖口で避け、再生ボタンを押した。


最初に雨の音がした。

次に、扉がきしむような音。

それから、若い父の声が流れた。


必ず帰る。

だから待っていてほしい。


そこで音声は終わった。

人の十七年を止めるには短すぎる言葉だった。




一次AI判定が表示された。

嘘の可能性、八十一パーセント。

理由
発言後、発言者による帰還行動記録が不十分
家族への連絡履歴なし
所在申告なし
生活実態の秘匿あり
申立人の生活選択への影響大
被害時間、十七年二ヶ月 補償請求対象

発言者死亡により、第一親等血縁者への責任移管申請が可能


僕は声を出さずに笑った。

ただ、喉の奥だけが乾いたように動いた。


父は死んでいた。

それは三年前、行政局から事務的な書類が届いて知った。

死亡確認
遺体引取人なし


僕と母は、その時に初めて父の最後を知った。

母は泣かず、書類をきっちり半分に畳んでいつもの引き出しにしまった。

父の古い認証票や写真、帰ってくるはずだった人間の残骸が入っている引き出しに。

その三年後、母は父の言葉を再審査に出した。

理由欄には短くこう書かれていた。



自分の人生が夢だったのか嘘だったのか確認したい。



僕はその一文を何度も読んだ。

確認したい。

母らしい言葉だった。

母は怒るのが下手な人で、責めるのも、捨てるのも、諦めるのも下手だった。

だから国に聞いたのだ。



私は騙されたのですか。


私は待っていたのですか。


私は、何をしていたのですか。



父が家を出た日の事は少しだけ覚えている。

雨が降っていて、玄関の床には父の濡れた靴跡が残っていた。

母は泣いていなかった。

怒ってもいなかった。

ただ、妙に丁寧に父の傘を渡していた。

僕はリビングの扉の隙間から見ていた。

父は母に何かを言った。

その時の声は覚えていないが、その後の母の顔は覚えている。

父が出ていったあとも、母は玄関の鍵をすぐには閉めなかった。

まるで、もう一度開くことが決まっている扉みたいに。


その夜から、母は待つ人になった。

夕飯を作る量が少しだけ多かった。

父の湯呑みは食器棚の奥にしまわれず、古い通信番号も何年も変えなかった。

引っ越しの話が出るたび、母は言った。

帰ってきた時に、分からなくなるから。


僕はその度に父が嫌いになり、母の事も少し嫌いになった。

母が父を待つのは、母の勝手だと思っていた。

でも、夕飯の量も、住む場所も、電話番号も変わらないとなると、僕まで待っているみたいだった。





僕は審査記録を開いた。

父の失踪から死亡までの行動履歴が、端末の上から下まで、よその人間の経歴のように並んでいた。

失踪から三ヶ月後、地方都市で居住登録。


別名義で就労
二年後、工場勤務
五年後、長距離輸送会社に転職
七年後、所在不明
九年後、医療記録あり
十一年後、生活補助申請
十三年後、入院
十四年後、退院
十七年後、死亡

家族への連絡なし
帰還申請なし
正式送金なし
音声メッセージなし


僕は画面を閉じかけた。

これ以上何を見る必要があるのだろう。

父は帰ると言って、帰らなかった。

母は待った。

AIは嘘と言った。

何も矛盾していない。

けれど、再審査には人間の確認が必要だった。


最初に開いた証拠ファイルは、古い移動履歴だった。

失踪から四日後、父は僕たちの家の最寄り駅まで来ていた。


入場
三十二分後、同駅出場


それだけだった。

帰ってきたのかと思った。

けれど家には来ていない。

母の記録にも、近隣カメラにも、父の姿はなかった。

父は駅まで来て、戻った。


次のファイルは未送信メールだった。

父が使っていた古い端末から復元されたもので、宛先は母、件名はなかった。

ルゥラ
帰ろうと思ったけど駅から出られなかった

自分が何を言えばいいのか分からない
デインの顔を見るのが怖い

必ず帰ると言ったのに、帰る資格がない気がしている


文章はそこで途切れ、送信されていない。

保存日時は、失踪から五日後。

僕は目を細めた。

帰る資格がない。

便利な言葉だと思った。

怖かった
帰る資格がなかった

父はそう書いていた。

どちらも帰らなかった理由にはなる。

帰らなくていい理由にはならない。


次のファイルには未登録送金記録が残っていた。


失踪から一年後、母の口座に匿名で十万円
三年後、五万円
四年後、二万円

それ以降なし

母は気づいていたのだろうか。

僕は知らなかった。

父は完全に消えていたわけではなかった。

それが腹立たしかった。

どうせ消えるなら綺麗に消えればよかった。

中途半端に痕跡を残すから、人はそこに意味を見つけてしまう。


次のファイルは音声メモだった。

再生すると、最初に咳の音がした。

かなり後年のものらしく、父の声は最初の音声より低く、擦れていた。


帰るって言った
あれは、本当に言った
嘘じゃなかった
でも、嘘になった

しばらく沈黙が続いた。

机の上では、空調の風に押されて、濡れた書類の角がわずかに浮いていた。

また咳が聞こえた。


帰ろうと思う度にもう遅いと思った
もう遅いと思う度に、もっと遅くなった


録音はそこで終わった。

その時、端末の隅に小さな警告が出た。

【対象音声の登録情報に不整合があります】

僕は眉をひそめ、詳細を開いた。

対象となっているのは、父の言葉だった。


必ず帰る
だから待っていてほしい


記録上は、父が家を出た夜、玄関で録音されたものとされていた。

だが、環境音が一致しない。


雨音の反響。

改札案内の残響。

遠くで鳴る到着音。


扉がきしむ音だと思っていたものは、旧式改札機の開閉音だった。


解析結果は、冷たく表示された。

当該音声は失踪当日ではなく失踪から四日後、最寄り駅構内で録音された可能性が高い。

僕が最初に聞いた声は、父が家を出た夜のものではなかった。

父は駅まで戻っていた。

家まで歩いて十二分の場所で、もう一度言っていたのだ。


必ず帰る
だから待っていてほしい


帰らない場所で、帰ると言い直していた。

復元候補ファイル、他三件。

僕は開かなかった。

もう十分だった。

父の言葉に胸を打たれたわけではない。

むしろ嫌悪感があった。

帰らなかった人間が、帰るという言葉だけを増やしていた。

分かったなら、録音機ではなく母の前で言えばよかった。

録音機にだけ言葉を残す人間を、僕は信用しない。

未来発言監査官としても、息子としても。



午後六時を過ぎたころ、僕は母に電話をかけた。

職員の半分はすでに帰っていて、離れた席から端末の終了音が何度か聞こえた。

母は三回目のコールで出た。

「デイン?」

「再審査、僕の所に来たよ」

少し沈黙があった。

「……そう」

「どうして出したの?」

「今さらだと思う?」

「うん」

母は小さく笑った。

疲れた笑い方だった。

「そうよね……」

「父さんを、国に嘘つきだと決めてほしいの?」

電話の向こうで、何かを置く音がした。

湯呑みかもしれない。

「分からない」

「分からないって……」

「分からないから、出したのよ」


僕は黙った。

母は急がず、一つずつ確かめるように話した。


「あの人が帰ってこなかった事は、もう分かってるの。死んだことも分かってる。今さら謝ってほしいわけでもない」

「じゃあ、今更何を確認したいの」

「私が待っていた時間が、何だったのか……」

声は穏やかだった。


「騙されていたなら怒ればいいでしょう。夢だったなら、仕方なかったと思えばいいでしょう。でも、そのどちらでもないまま、十七年が残っているの。嘘判定が出れば、被害時間として補償される」

その穏やかさが僕には怖かった。


「補償って、何が戻るの」


僕は答えられなかった。

制度上、被害時間は寿命換算ポイントや生活支援、記憶療法の優先権に変換される。

だが、十七年が戻るわけではない。

「あの人を救わなくていいのよ。救うつもりなんかない。でも、あなたは真面目だから……」

真面目なら、証拠どおり嘘にする。

それでいいのかもしれない。

母の声は、どこか遠かった。


「でもね、デイン。私は、あの人が嘘つきだったと決めてほしかったわけじゃないの」

「……じゃあ、どうして」

「ひとりで決めるのに疲れたの」


その言葉で、僕は何も言えなくなった。






翌朝、僕は最終判定画面を開いた。

机の隅には昨日のコーヒーが乾いて残した薄い輪があった。

AI推奨は変わらない。

嘘。

八十一パーセント。

証拠を見ても、その判定はおかしくなかった。


父は母に連絡せず、僕にも会わなかった。

発言によって、母の人生選択は大きく制限された。

嘘と判定する根拠は十分にある。

けれど、夢ではなかったとも言い切れなかった。

父は何もしなかったわけではない。

それが一番面倒だった。

何もしていなければ、嘘にして終われた。


それは嘘なのか。

夢なのか。


判定画面には、二つの選択肢しかなかった。

嘘。


夢。


嘘を選べば、母は被害者になれる。

夢を選べば、父は少しだけ救われる。


どちらを選んでも、何かが雑に片づけられてしまう気がした。


嘘は、相手を未来に巻き込んで逃げる事。

夢は、自分が未来に向かって歩く事。

なら、父の言葉は何だったのか。


父は帰ると言った。

その言葉で母に何かを負わせて、自分の分だけ払わなかった。

僕には、そう見えた。




僕は判定欄の下にある備考入力を開いた。

分類不能として上級審査室へ送れば、判定には何年もかかる。

その間、母への補償も始まらない。

別の方法が一つだけあった。

監査官自身が責任保証人となり、法的分類外の暫定判定を登録する。

研修で、その項目に赤線を引かされたことを覚えている。


■使用禁止


理由は単純だった。

判定が覆っても、保証人が差し出した時間は戻らない。



僕は内部管理コードを解除した。

警告が表示された。

【この操作は即時監査対象です】
法的分類外の名称を入力してください

僕は入力した。


未払いの夢



続けて、責任時間の算定結果が表示された。


本件の未確定期間、三年一ヶ月
責任移管対象、三年


父の死亡が確認されてから、母が再審査を申し立てるまでの時間だった。

父が死んだ後も、母がひとりで判定を抱えていた時間。

その三年が、僕に移る。


【承認しますか】


僕は画面を見つめた。

端末の右下では現在時刻の数字だけが、一分ずつ何事もなかったように進んでいた。

三年。

父が母から奪った十七年に比べれば短い。

けれど、僕の人生から見れば短くない。


父の責任を、なぜ僕が払うのか。

そう思った。


当然だった。

僕は父ではない。

母を待たせていないし、帰るとも言っていない。


それでも、僕の中には父の言葉で育った時間がある。

父が残した未払いは、母だけに乗っていたわけではなかった。



僕は承認を押した。

【残り時間が減算されました】

画面にはそれだけが表示された。


父は最後まで、誰かに払わせた。

今度は、僕だった。

残り寿命欄の数字が三年分減っていた。

痛みも息苦しさもない。

三年後の僕の体から、今日の僕へ抗議が届くこともなかった。

だから余計に、現実味がなかった。


数字を見ていて、母の十七年を思った。

たぶん母にも、十七年を失った日はなかった。


今日も帰らなかった。

次の日も帰らなかった。

それだけが続いた。


窓の外では、昼休みの人たちが歩いていた。

誰かが電話で笑い、誰かがまた未来の話をしていた。


週末に会おう。


今度返すよ。


いつか一緒に行こう。



その言葉の一つ一つに、まだ誰の責任も表示されていない。





夕方、母から短いメッセージが届いた。

判定を見ました
ありがとう

それだけだった。

僕は返信欄を開き、これで終わりだよ、と打った。

だが、終わったのが何なのか分からなかった。

父を待つ時間なのか。

父を憎む時間なのか。

母が自分を責める時間なのか。

それとも、父が払わなかったものを、僕が払い始めただけなのか。


文字をすべて消した。

何も送らなかった。

父も、こうして言葉の前で止まったのだろうか。

そう考えた瞬間、自分に腹が立った。

父の側に一歩寄ったようで、気持ち悪かった。


僕は端末を閉じた。

未来について語る人間を、僕はまだ信用しない。



その日の業務終了直前、監査局から通知が届いた。


【新規分類申請について審議を開始します】
■分類名
未払いの夢

■暫定責任保証人
デイン・レールオーム

申請分類が却下された場合も移管済み責任時間は返還されません



僕は最後の一文を、もう一度読んだ。

分類が認められても、父が帰ってくるわけではない。

母の十七年も、僕の三年も戻らない。

父が何をした人間だったのか、それを呼ぶ言葉が一つ増える。

役に立つのかは分からなかった。



僕は通知を消さずに、画面を伏せた。


暗くなった画面に、自分の顔が映った。

父によく似ていると思った。



そのことが、今日一番嫌だった。




■あとがき


16作目です。


嘘をつく人がいます。

夢を語る人がいます。

どちらも、口にした時点ではまだ形になっていません。


嘘が現実になる事もあるし、夢が叶わない事もあります。


少し前、身近である人が口にした未来について意見が分かれることがありました。

嘘だと思った人と、夢だと思った人。

まだ何も決まっていないのに、そこだけははっきり分かれていました。

同じ言葉なのに聞く人によって名前が変わる。

たぶん、言葉だけを見ているわけではないんだと思います。

では、嘘でも夢でもない言葉はあるのか。

そんなことを考えて、この話を書きました。


朝野 レダ

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