私の京都手帖|石を組み 時を積む
今日は、広島に原爆が投下された日。
世界の不戦を、あらためて祈る。
広島平和記念公園の原爆死没者慰霊碑は、世界中の人々が手を合わせる祈りの場所である。
その下には、原爆で亡くなられた方々の名簿が静かに納められている。
言葉はいらない。
ただ、祈る。
二度と、この過ちを繰り返さないと。
石を見ると、子どものころに聞いた話を思い出す。
賽の河原である。
「ひとつ積んでは、父のため。ふたつ積んでは、母のため。」
幼い私は、その意味も分からず聞いていた。
今になって思う。
人はいつの時代も、石を積み、時を積み、石に祈りを託してきたのではないか。
石は、地球が何億年もかけて育てた骨格なのかもしれない。
人の一生をはるかに超える時間を生き、風雨に耐え、静かにそこにあり続ける。
だから人は、その永遠にも思える時の中へ、祈りを託したのだろう。
私は長い間、西洋は石の文化、日本は木の文化だと教わってきた。

しかし、京都を歩くうちに、その考えは少しずつ変わった。
寺院の柱は木でできている。
けれど、その柱は石の礎石に支えられ、境内を囲む石垣は何百年という時間を静かに積み重ねている。

京都では、石垣を積むだけではない。
日本庭園では、一つひとつの石を組み、山を表し、滝を表し、島を表す。
石は、景色をつくる。
祈りを宿し、
時を宿す。
京都では、
石を積み、
石を組み、
千年の景色をつくってきた。
さらに熊本城では、平成二十八年の熊本地震で崩れた石垣が、一つひとつ丁寧に積み直されてきた。
しかし、その復旧の途中、令和八年七月二十八日の地震で、再び石垣は崩れた。
それでも、人はあきらめない。
受け継がれてきた石積みの技を未来へつなぎ、また一つ、また一つと石を積み直していく。
石は黙っている。
だからこそ、人は石に祈りを託し、技を受け継ぎ、また積み直す。
京都を歩いて初めて、私は、日本は木だけの文化ではなかったと気づいた。
木は空へ伸びる。
石は大地を支える。
石を積むとは、時を積むことなのだ。
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