『noteが読まれない』という疑問が、学びたいことを教えてくれた
noteのアカウントを作成し、初めて記事を投稿したときのこと。
最初の投稿は、自己紹介記事だった。
緊張して投稿ボタンを押した後、今度は記事への反応がものすごく気になった。
頻繁にアクセス状況を見るが、スキもビューも全然伸びない。ほとんど読まれない。
タイトルやサムネイル、本文を工夫してみるがあまり効果はなかった。
SNSで宣伝してみてもほとんど流入なし。
なんでこんなに伸びないんだ。
まあ、どんなにいい文章(だと仮定して)も、目に触れなければ当然読まれないよなあ
とマーケティングの方法について調べてみた。
でも全然わからんことだらけ。
出てくる情報は、既にやっている内容や高度過ぎるものなど様々だった。
副業初心者をターゲットにしたビジネス的なものも多くみられる。情報の真偽も正直あまりわからない。
何を信じていいのやら。
自分の中に判断の土台となる知識を築きたい。ただし、「正確な情報によって」という前提で。
これは、ネットや書籍の断片的な知識だけではなく、マーケティングを学問としてきっちり体系的に学ぶ必要があるのではないか。
マーケティングって、学問として学ぶならどういう分野になるのだろうか。
AIに聞いてみた。
『マーケティングは主に経営学、商学の一分野ですが、心理学、経済学、統計学、社会学とも深くかかわっている。』らしい。
経営というイメージが先行していたが、ひとえにマーケティングといっても、複数の学問分野に横断するものなのか。
そういえば、日常のワンシーン。
テレビ番組でお得なキャンペーンが紹介されていた。
これに対して、妻と私の反応は対照的だ。
妻は、大概素直な反応をする。
「すごいお得だね!これは絶対買わないと!」
私も第一感、消費者目線で「お得そうだ」、「微妙かも」などと考える。
ただ、次の瞬間には「企業側は、なぜこのサービスを打ち出したのか」と大概考えてしまう。
集客期間で利益度外視なのか、
実は割高な商品なのか、
途中解約で高い違約金が発生するのか。
企業視点での打算を考えることで、その商品やサービスを図ろうとしてしまう。
これは義務感でやっているというより、反射的・呼吸に近い域で自然にやってしまっている。
知識と経験に照らし合せて、自分なりの回答を出してから「消費者としての見解」を出す。
思えば、このとき自分はマーケティングに近い考えをしているような気がする。
自分の興味がある分野がクリアになった気がした。
いつも頭の思考軸は、経営学・心理学的な思考に近いんじゃないか。
「マーケティングを学ぶとnoteがもっと読んでもらえるのでは」
そんなことを考えているうちに、自分の思考の癖や好きな学問が見えてきた気がする。
気づけば、知りたかったのは「読まれるためのテクニック」ではなく、「自分はなぜ、こんなことばかり考えてしまうのか」ということだったのかもしれない。
小手先の技術ではなく、自分の本質に向き合うということ。
そういえばこれまで、何を学んでいるときが一番楽しかっただろうか。
学部時代には法学を学んだが、そこまで楽しいとは思えなかった。
金融マン時代も、職場に強制された資格の勉強は苦痛だった。
逆に一番勉強を楽しんでいたのは高校時代。
大学進学を目指すにあたって点数比重の高い、国語、数学、英語を差し置いて、私の興味は『現代社会』というマイナー科目に注がれていた。
現代社会の科目は、授業が面白くて、毎回教科書にびっちり書き込みをするくらい真剣に向き合っていた。
高校時代の成績は平均すると並なのに、現代社会だけは全国模試で偏差値70超えと結果も伴った。
興味のあることを勉強するのは苦ではなく、むしろ楽しかった。
大人になった今でも、自分の興味の赴く勉強がしたい。
せっかくなら修士号を、とマーケティングを学べる大学院を調べてみた。
すると、通える範囲でも学べる大学院があった。
マーケティングを軸に、心理学や社会学なども学べるらしい。
私の興味にはハマる気がする。
今まで無意識にやっていたことが、深く・体系的に学ぶことでどう変わるのか、とても興味深い。
ただ、好奇心のままに飛びつきたい気持ちもあるが、現実的にはなかなかハードルが高い。
否定的な材料は本業との兼ね合い。あとは、家族と過ごす時間が減ること。
主には時間と体力的な問題。
すぐには決められない。
でも、大学院を目指すにしろ、他の手段を取るにせよ、自分がこれから学んでみたいことが見つかった。
今後の展望というか、楽しみが一つ見えた気がしてワクワクしている。

