ホラー動画の「音量注意」と青行燈(あおあんどん)――なぜ私たちは、怖がる前に手順を整えるのか
こんにちは。民俗学准教授の東条紗季です。
深夜0時を回った頃、寝る前のつもりで開いた動画アプリに、その1本は現れます。暗い廊下だけが映ったサムネイル。タイトルの横に、小さく添えられた文字。「※イヤホン推奨」「※音量注意」。
あなたはまだ再生ボタンを押していません。それなのに、手はすでに動いています。枕元に伸びて部屋の照明を落とす。転がっていたイヤホンを取り、耳に深く挿し直す。音量を、いつもより少しだけ上げる。念のためドアが閉まっているかを確かめ、掛け布団を胸のあたりまで引き上げる。
そこまで済ませてから、ようやく指が再生ボタンに触れます。まだ1秒も観ていない。何が映るのかも知らない。それなのに、心拍はすでに上がっている。奇妙なことです。私たちは「怖い」と感じる前に、怖がるための準備を完了させている。
しかし江戸の人々にとっては、この一連の動作こそが怪談の本体でした。彼らはそれを「法式」と呼び、わざわざ書物に書き残しているのです。
灯が揺れるときに現れる、名前だけの妖怪
青行燈(あおあんどん)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』(1781年)に収められています。雲・霧・雨の3巻からなる、石燕にとって3作目の画集です。
石燕が添えた詞書は、おおよそこう読めます。灯が消えそうになってまた明るくなり、影がぼんやりとして暗いとき、青行燈というものが現れることがあるという。昔から百物語をする者は、青い紙で行燈を張るのである。暗い夜に鬼を談じてはならない。鬼を談ずれば、怪が至るという。
絵に描かれているのは、長い黒髪と角を持ち、歯を黒く染めた白装束の鬼女です。ただしこの姿を裏づける古い記録は見当たらず、石燕自身の造形と考えられています。それどころか、詞書の「鬼を談ずれば、怪にいたるといへり」という一節から、青行燈とは特定の妖怪の名ではなく、百物語のあとに起こる怪異全般を指しているのではないか、という説もあります。
つまりこの妖怪は、姿の記録がほとんどないまま名前だけが残っている。そして名前が指しているのは、怪異そのものではなく、怪異を呼び寄せる「場」の方なのです。
灯心100本を、1本ずつ引き取る
その場の作り方を具体的に書き残した本があります。浅井了意の『伽婢子』(1666年)です。巻13に「怪を話バ怪至」と題された一話があり、目次では「百物語の事」とされています。
そこに記された手順は、次のようなものです。百物語には法式がある。月の暗い夜、行燈に火を灯す。その行燈は青い紙で張り立て、100本の灯心に火を点ける。1つ話し終えるごとに、灯心を1本ずつ引き取っていく。すると座はしだいに暗くなり、青い紙の色がうつろって、なんとなく物すごい心地になっていく。
お気づきでしょうか。ここに書かれているのは、怪談の中身ではありません。どんな話をすれば怖いのかについては、一言も触れていない。書かれているのは、照明を落としていく段取りだけです。
しかも了意は、この話を『伽婢子』の最後に置きました。全68話。100には遠く及ばない数で筆を止め、「此物語百条に満ずして、筆をここにとどむ」と書き添えている。作法を説明した本が、自分自身にその作法を適用して終わる。手の込んだ洒落です。
恐ろしいのは、話の中身ではなかった
儀礼というものは、中身よりも形式によって効きます。百物語の恐怖を支えていたのは、100という到達点と、そこへ向かって1本ずつ減っていく灯心でした。残り20本、残り10本と数えられるからこそ、座は緊張していく。カウントダウンが恐怖を作っていたことになります。
その証拠のような話が、1677年に刊行された怪談集『宿直草』にあります。「百物語して蜘の足を切る事」という一話で、100話目に天井から大きな手が現れ、刀で斬りつけたところ、それは3寸ほどのクモの脚だったといいます。
怪異の中身は、たかだか3寸のクモの脚です。それ自体は恐ろしくもなんともない。恐ろしいのは、それが「100話目に」現れたという位置の方です。石燕の詞書もまた、鬼の姿ではなく「鬼を談ずる」という行為の方を戒めていました。江戸の人々は、恐怖が中身ではなく手続きから生まれることを、経験的に知っていたのだろうと思われます。
明るくさせる法式と、暗くさせる法式
現代にも、視聴の作法を指定する文言はあります。ただし、方向が2つに分かれています。
片方は、経緯をはっきり追跡できます。1997年12月16日、テレビ東京系で放送されたアニメの一場面で、赤と青の激しい点滅により光過敏性発作などを起こした視聴者が続出し、全国で700人以上が救急搬送されました。これを受けて1998年4月8日、日本放送協会と日本民間放送連盟が共同で「アニメーション等の映像手法に関するガイドライン」を作成しています。その本文には、明るい部屋で受像機から離れて見るなど、テレビの見方に関する適切な情報を視聴者に提供することが予防手段として有効である、という趣旨の記述があります。アニメの冒頭に「部屋を明るくして離れて見てね」という表示が定着した背景には、この経緯があります。
もう片方は、追跡できません。「イヤホン推奨」「音量注意」「1人で見ないでください」。誰がいつ言い出したのかを特定するのは困難です。にもかかわらずこの言い回しは投稿者から投稿者へ写し取られ、ほとんど定型として根づいています。
方向は正反対です。前者は身体を守るために部屋を明るくさせ、後者は恐怖を高めるために部屋を暗くさせる。それでも構造は同じで、どちらも「見方」の方を指定している。青い紙を張った行燈の前で灯心を引き取っていた手つきは、後者の側に生き残ったと言えるでしょう。
あなたは、音量を下げましたか
最後に1つ問いを立てて終わります。「音量注意」という文字を見たとき、あなたは音量を下げたでしょうか。
おそらく、下げていません。むしろ上げた。あるいはイヤホンを挿し直した。「1人で見ないでください」と書かれた動画を、あなたは1人で再生した。これらの注意書きは、警告の形をした招待状です。そして私たちは、その招待に自分の手で応じている。
青い紙の行燈の前で灯心を1本引き取った江戸の誰かの手と、深夜のベッドで照明を落とす私たちの手は、同じ動きをしています。およそ360年の隔たりがあっても、恐怖の作り方は変わっていない。
私たちは、怖がらされているのではありません。怖がるための手順を、自分の手で整えているのです。
今夜、何か怖いものを再生する前に、ご自分の手元を観察してみてください。照明、音量、姿勢、部屋の戸。押す前に済ませたその一連が、あなたにとっての法式です。青行燈は、その最後の1本が消えるあたりで現れることになっています。
それでは、また次回の講義でお会いしましょう。
