堀越勉氏の批判に対する、工藤校長時代の保護者からの反論

堀越勉氏が工藤勇一氏の麹町中学校での改革をボロクソに批判している件について、工藤校長時代に保護者だった森沢典子さんからご意見いただきました。了承を得たうえで、シェア。
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堀越氏が工藤先生を批判してるのは知っていたけど、ヤキモチや僻みかなくらいに思っていました。
でも堀越氏が本を出して当時いた先生方や生徒たちや保護者と培った豊かな日常を「荒廃」と表現してることに工藤先生がとうとう怒りの意思を発信されました。
実際はどうだったのか、工藤校長時代に在校していた娘と振り返りました。
まずは小6だった娘と麹町中の文化祭を見に行き、生徒たちで作り上げた生き生きとした活気ある文化祭と、工藤校長先生の話を聞いて、小学生の娘が自分で入学を決めました。
入学してすぐ、確かにそれまで過ごした地域の小学校と全然雰囲気が違い、荒れた生徒たちの様子に面食らったのは覚えています。
それについて工藤先生と校長室で面談した際に話したことを覚えています。
『地域性もありほぼ全ての生徒が中学受験を経験しそれに向けて塾に通い遊ぶ時間が極端に少ない子ども時代を過ごしている。
公立中に来る生徒のほとんどが受験で希望が叶えられずに入学してきている。そして社会や大人への信頼を失っている場合が多い。
1学年の荒れた状況の背景にはそういうものも含まれている そして彼らに「大人っていいものだ」「社会は信用に足る場所」「人生は生きる価値がある」と思ってもらえるように曲線の成長ラインをイメージして取り組んでいるけれど、3年間では短すぎる。』
そう工藤先生が話していました。
そんな目で2学年、3学年を見学してみると、確かに3学年の生徒たちはリラックスしていて、自分の場所を確保していて、自由に過ごしているけれど勉強も集中している。その幸せそうな3年生たちを見て、1、2年の少し荒れた状況も大丈夫と確信。
そして保護者としてサポートしていきたいと思いPTA役員や工藤先生が立ち上げた教師、保護者、脳科学者で成り立つ研究会にも参加しました。
生徒たちを決まりや力で変えようとするのではなく、教師や大人たちが変容し、子どもたちが安心して自分も他者も肯定し、のびのびと意欲や好奇心のまま内側に持つ能力を発揮していく ということを脳科学の観点から学び研究しよう という取り組みで全国からも教師や関心のある方たちが定期的に集まっていました。
娘は生徒会付属の報道局に所属して、文化祭ではステージマネージャーや照明を担当したり、昼休みは3学年ごちゃ混ぜで放送室に入り浸り、制服の改善に取り組み自らは私服登校を貫いていました。
不登校に悩んで転校してきたAちゃんと出会い親交を深めかけがえのない友人になりました。
私は子どもたちに何もない自由な時間と遊びを取り戻すことを研究テーマにしていることもあり、宿題が出ない、定期試験がなく単科ごとに実力テストを2回までチャレンジできるところが特に気に入っていました。
体育祭は生徒たちだけで競技もプログラムも準備も進行も担っていましたが、実は校長先生が、使用する曲の著作権問題を当日朝まで奔走して解決してくれて、体育祭の終わりにようやく登場して一言「素晴らしかった!ありがとう!」とだけ話すという、子どもたちを陰で支えて、最後に子どもたちの行動を讃える「大人力」を目の当たりにしました。
大人が陰でできることを全てやって、子どもたちの自由と自立を保障している。
その信頼感に包まれながら、安心して子どもたちが自分で学校生活を組み立てられる自由と選択肢があるのは素晴らしかったです。
その後、娘は「自由」を謳う高校に進学しましたが、放置に違い高校の「ぼんやりとした自由」に比べて麹町中の自由は「質が高かった」と話していました。
大学進学の入試問題に答える形で娘は教育論を小論文として書いていたが、そこに麹町中で培った自由教育の本質が書かれていたように思います。
現在、娘は慶應大学文学部、Aちゃんは慶應大学総合制作学部に在籍中。
他にも麹中卒業生の仲間と今も良い関係を続けています。
失敗や挑戦を繰り返しながら、社会や大人への信頼と未来への希望を持って、自分たちの人生を謳歌しています。
この事実は変えられません。
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引用ここまで。
以下、私の意見。

この投稿から窺えるように、生徒が荒れるのは「中学受験に失敗し、傷ついた生徒が多い」というのが大きな要因といえるだろう。
麹町中学校がある千代田区は、中学受験する子どもが多く、それに失敗し、自己肯定感が崩壊して荒れている子どもがやってくることが多い、という証言を、別の方たちからも得ている。つまり、麹町中学校の子どもが荒れるのは「中学受験の失敗」という原因が大きく、工藤氏の改革が原因であるとする堀越氏の批判は的外れなばかりか、教育者として大丈夫か?という見識といえるように思う。

遊ぶ時間も極端に少なく、社会や大人への信頼を失ってしまっている子どもたち。その子どもたちの心をどうケアするか?という視点を持たず、「暴れるなら抑えればいい」という堀越氏の考え方は、果たして教育者として妥当なのだろうか。

特別養子縁組で子どもを育てている人の話がテレビで紹介されていたことがある。施設でご挨拶もでき、箸を使って食事もでき、トイレも一人で行ける子が、養子として家に来ると「赤ちゃん返り」を必ずといってよいほど起こすという。赤ちゃんのようにスプーンで食べさせてもらいたがり、オムツをしてくれとせがみ、気に入らなければ強くかんだりする。施設では行儀のよかった子どもたちが、養子に来ると赤ちゃん返りをするのはなぜなのだろうか?

「この人は、いうことを聞かない、何の役にも立たない、それどころか世話ばかり焼かなければならない赤ちゃんのようになっても、僕を、私を見捨てないでいてくれるだろうか?」ということを、赤ちゃん返りによって試すらしい。施設の人たちは、お行儀がよくないと、トイレにひとりで行けないと、箸を使って食事ができないと、面倒を見てくれない「他人」。でも、あなたは、どんなことがあっても見捨てない「親」に本当になってくれるの?と。

この赤ちゃん返りを通じても、この人は決して自分を見捨てない、という確信を持った時、「私はこの人の子どもなんだ!この人は本当のお母さんなんだ!」と信頼するようになるのだという。私が番組で見たその子は、女性の背中に上っては股のところから降りてくる、という動作を繰り返した。自分はこの人のおなかの中から出てきたのだ、と記憶を書き換えようとして。

そう。お行儀が良く振る舞う、ということは、実は誰にも心を許せない「不信」の中にある、ということでもある。なるほど、堀越氏は厳しい指導をすることで、暴れるような子どもを押さえつけることに成功したかもしれない。しかし、その子が中学受験に失敗するなどしてすっかり傷ついた心、大人への、社会への不信感はどうなるのだろう?「施設の中ではいい子」に振る舞っていた子どもたちと同じ状態に置かれているのではないだろうか。

工藤氏は、そこまで踏み込んでケアできないか、と考えた。いや、工藤氏が、というのは誤りだろう。生徒たち、保護者たち、教師たちが議論し、相談を重ね、どうやったら子どもたちの傷ついた心を癒し、社会を、大人をもう一度信頼できるようになるのだろうか?と取り組んだのだろう。工藤氏はそうした環境が守られるように意を砕いた立場の人だったのだろう。

おそらく、堀越氏のアプローチでは、中学受験で傷ついた子どものケアが十分できるのか、ちょっと疑わしい。堀越氏が校長時代に子どもがお世話になったという保護者からも意見が寄せられたところ、なかなか学校生活は自由でよかったという。しかしそれは、工藤氏の改革の余波を堀越氏が抑えきれないで、生徒たちの気持ちに寄り添う伝統が堀越氏の「改革」の中でも息づいていたおかげかもしれない。

私が思うに、荒れている子どもがいたとしてもそれは中学受験などのその子が負ってきた傷によるものであって、工藤氏の改革に原因すると考えるのは筋違いといえるように思う。麹町中学校が千代田区にあるという場所的な宿命によるものだろう。なるほど、堀越氏の「改革」で暴れる子どもはいなくなったかもしれない。しかしそれは、二つの理由によるもののように思う。一つは、在校生が心にフタをするようになったこと。もう一つは、堀越氏が校長を務める学校にそもそも行こうと思わなくなったこと。この二つが大きいように思う。

工藤氏とその仲間たちは、心傷ついた子どもたちをどうにかケアしようと努力した。堀越氏はケアすることを後回しにして、表面上の「暴れる」を抑え込んでしまう、ということに努力した。その違いがあるように思う。

私の好みは、やはり工藤氏のほうかな、と思う。堀越氏のアプローチは、どちらかというと監獄の看守のような感じがする。今どきの少年院や刑務所でさえ、工藤氏に近いアプローチをとろうと努力しているところも多い中、堀越氏のアプローチは「先祖返り」のように思われてならない。

現在の少年院では、子どもの心の傷に寄り添い、そもそも犯罪的行為につながる不満、不信を和らげることに意を砕くようになっている。そのおかげで、再犯率が低く抑えられているという。しかし、昔の監獄のような管理の仕方をすれば、表面上おとなしくしておくだけのことで、社会に出れば再び犯罪を犯しかねない。不満、不信という問題の根っこを改善できていないためだ。

堀越氏は教育者なのに、なぜ児童心理学的なことを無視して物事を考えるのだろう?臭いものにフタ、というやり方は、教育というアプローチではない。

制服を導入したときも「保護者からそういう声があった」といっていたらしいけれど、保護者からはそんな声を上げた覚えはなく、保護者たちはアンケートを自らとり、学校に提出したという。ところが生徒や保護者のそうした意見は無視して、制服を導入、そのアンケートの結果はHPからも削除するというありさま。かなり横暴な人柄とお見受けする。

これでは、工藤氏のアプローチを理解できなくても仕方ないと思う。堀越氏が就任した後の麹町中学校が「普通の学校になってしまった」と評されるのも、無理はないように思う。

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