なんでもない日記:10年前の無敵感が消え、日傘という避難所を買う
肌を刺すような熱線に晒された瞬間、じりじりと灼ける皮膚の感覚に思わず足を止めた。子どもの頃や10年前の夏、日焼け止めを塗りたくって「夏だしね」と笑っていた記憶が薄れていく。あの頃の暑さと今の暑さは、あきらかに種類が違う。
もはや日焼けを防ぐというレベルではない。物理的な熱から命を守るために、街中で広がる日傘の存在感が増していた。
専門用語の並ぶ画面と、10年前の無敵感
しかし、いざ日傘を買おうとスマートフォンの画面を開くと、無数のスペック情報が波のように押し寄せてくる。「遮光率100%」「UVカット率99.9%」「晴雨兼用」「軽量骨8本」。
特に悩ましいのが「晴雨兼用」という選択肢だ。一本で日傘にも雨傘にもなる利便性は、荷物を減らしたい日常にうってつけに見える。だが、激しい雨に打たれることでUVコーティングが劣化しないかという疑問や、撥水性と遮光性のバランスはどうなっているのかという細かな懸念が頭をよぎる。
折りたたみにしてカバンに常備するか、長傘で身体をすっぽり覆うか
日傘専用で性能を尖らせるか、雨兼用で身軽さを取るか
10年前の私なら、日傘を差す姿を「どこか遠い世代のもの」と偏見の目で見ていたかもしれない。暑さに対して無敵だと過信していた。
体力の削られ方と、小さな避難所
アラサーを迎えた今、その過信は完全に打ち砕かれた。炎天下で体力を奪われると、その日の夕方だけでなく翌日の仕事や生活にまで影響が残る。身体の声を無視できなくなった現状は、情けなさではなく、自分の変化に対する適切な自己管理なのだと理解し始めている。
交差点で青信号を待つ間、周囲の人々が持つ日傘に目が向く。黒い高密度生地で直射日光を遮る人、麻の質感で涼を纏う人。
直射日光を遮るだけで体感温度は数度下がると言われる。木陰に入った瞬間に訪れるあの安堵感を、自分の手で持ち運ぶ。日傘とは日よけの道具を超えた、過酷な街を生き抜くための移動式避難所なのだ。
店頭の重みと、街へ踏み出す手触り
晴雨兼用の耐久性についての懸念も、折りたたみか長傘かという迷いも、まだ完全な解は出ていない。だが、こうした比較と葛藤そのものが、自分の体を労わり始めた証拠なのかもしれない。
今週末はネットの数字を眺めるのをやめ、雑貨屋の傘売り場へ向かう。開閉の感触、手元に伝わる重み、開いたときの影の濃さを自分の身体で確かめてみたい。
あなたは今年の夏、どのような方法で自分自身を守る工夫を整えていますか。
