40代、満たされているはずなのに何かが足りない
子どもの頃、大人になったら「もっとすごい自分」になれると思っていた。
何でもできて、迷いもなくて、自分の人生に自信を持っている。
そんな、どこか完璧で立派な「大人」を漠然と思い描いていた。
でも気づけば、40代になっていた。
会社ではそれなりに仕事を頑張り、中間管理職と呼ばれる立場になった。年収も大台を超えた。仕事も嫌いではないし、生活にも大きな不満はない。
周囲から見れば、きっと「順風満帆」に見えるのだと思う。
それなのに、ふとした瞬間に思う。
日曜の夕方、翌週の予定を何となく眺めているとき。
仕事を終えて、静かな部屋に戻ったとき。
「自分は、このままでいいのだろうか」
満たされているはずなのに、なぜ何かが足りないのか
何が不満なのかと聞かれても、自分でもうまく説明できない。
会社を辞めたいわけでもない。
すべてを投げ出して、どこか遠くへ逃げたいわけでもない。
ただ、「このままあと10年、20年、同じように働き続ける自分」を想像すると、少しだけ引っかかる。
「自分は本当は、何がしたかったんだっけ?」
若い頃の人生は、足し算だった。
役職。
収入。
資格。
家。
結婚。
手にするものが増えれば増えるほど、子どもの頃に思い描いた「立派な大人」に近づける気がしていた。
でも40代になって、少し違うことに気づいた。
社会的なパーツが揃えば揃うほど、パーツでは埋められない「余白」が目立つようになる。
20代は、社会の中で自分の居場所を作る時期だった。
30代は、仕事や生活の基盤を固める時期だった。
そして40代は、
「何を手に入れるか」ではなく、「これからの時間をどう使うか」
を考え始める時期なのかもしれない。
「早期退職」が気になり始めた理由
最近、「早期退職」や「FIRE」といった言葉が、以前より現実味を持って感じられるようになった。
それは、仕事から逃げたいからではない。
むしろ、仕事は今でも面白いと思っている。
ただ、ある程度働き、お金も少しずつ貯まり、人生の残り時間を意識するようになると、
「本当に60歳、65歳まで、今と同じペースで働くことが自分の答えなのだろうか」
と考えるようになった。
やりたいことが明確に決まっているわけではない。
知らない場所へ旅をしてみたい。
ゆっくり本を読みたい。
自分の手で何かを作りたい。
文章を書いてみたい。
まだ、どれもぼんやりしている。
以前なら、こんなことを考える自分を「恵まれているのに贅沢だ」と思っていたかもしれない。
でも今は、少し違う。
この違和感は、今の人生を否定しているのではなく、
「次の生き方を考える時期に来た」というサインなのかもしれない。
人生は、最後まで未完成でいい
結局、子どもの頃に想像していた「完成された大人」にはなれなかった。
40代になっても迷う。
将来のことも、よく分からない。
でも、それでいいのだと思う。
大人になるとは、人生の答えを知ることではなく、答えのない問いと付き合えるようになることなのかもしれない。
「このままでいいのか」
その問いに、すぐ答えを出す必要はない。
会社を辞めてもいい。
残ってもいい。
新しいことを始めてもいい。
何もしないで、少し考える時間を持ってもいい。
大切なのは、誰かが用意した「正しい人生」を惰性でなぞるのではなく、
これからの時間を、自分で選んでいるという感覚を持つこと。
40代は、人生が固まる年齢ではない。
むしろ、これまで積み上げてきたものを一度眺め直して、
「これから何に時間を使うのか」
を、自分で決め始める年齢なのかもしれない。
