言葉にしたい気持ちと、してほしい気持ちと…
その静謐な空間で、
文字たちはそっと眠りについていた。
「……不思議よね」
ウサギはケースを覗き込みながら、
言葉をこぼした。
「ひとつひとつはただの記号なのに、
並んでしまうと、こんなふうに意味を持つなんてね」
「そうだね」
寄り添うように立っていたカメは、
静かにうなずいた。
どんなに長い物語も、
熱い想いの込められた手紙も──
始まりはたったひとつの文字。
「文字って、
なんのためにあるのかしらね?」
並んだ文字をじっと見つめて、
ウサギは問いかけた。

カメはしばらく考えたあと、
手に持っていた本のページをパラパラとめくった。
「……伝えるためだと思うね」
「何を?」
「……秘めていた気持ちとか、かな」
ウサギはふふっと笑った。
「でも、こんなふうに印刷しちゃったら、
みんなに『好き』って届いちゃうわよ?」
「……そういうことじゃないんだけどね」
カメはそっと目を伏せた。
「やっぱり……」
ウサギは続けた。
「本当の気持ちは、
文字なんかにしちゃだめよ。だって、
恥ずかしいじゃない?」
「言葉にするだけならいいのよ。
忘れちゃったわって言えば、それですんじゃうでしょ?」
忘れたくない想い。
伝えたかった気持ち……。
それを文字にするかどうかなんて、
そのときの気分しだい。
それとも──
残してほしい気持ちのほうが、そっと文字を並べ始めるのかもしれない。
「……でもね」
「ん?」
「文字にしてもらえるというなら、
話は別よ」
「……え?」
「ちゃんと、きれいな字で書いてね」
ウサギはそっと視線を逸らした。
「……読めなかったら困るもの」
フロアには、
片隅から聞こえる印刷機の音だけが小さく響いていた。
ウサギはもう一度、
並んだ文字を見つめた。
(でもね──
本当に大切な気持ちだけは、
心の中に刻んであるわ)
もちろん──
あなたに見せるつもりなんて、
ないけれどね♡

第900話はこれでおしまい。
いつもお読みくださり、ありがとうございます🌙
