皇居を訪れる前に、この地図を見てほしい
君は知っているか。皇居東御苑が、ただの公園ではないということを。
はじめまして、逍遥人です
地図を眺めるのが好きすぎて、気づけば古地図と郷土資料に埋もれています。団地、都市計画、日本の歴史、名もなき人の生き様。知れば知るほど「へえ」ってなる話を、週1回くらいのペースで、気の向くまま集めていきます。
押し付けがましい教養は要りません。ただ純粋に「これ、知らなかった!」を一緒に楽しみたい人へ。第1回は、自宅にあった1枚の古地図から始まります。

3行まとめ
- 皇居東御苑、実は江戸城のど真ん中
- 古地図を見ると、すぐ近くに徳川御三家(尾張・水戸)の屋敷跡があった
- 知ってから歩くと、ただの散歩が"時間旅行"に変わります
江戸城のど真ん中を歩いている
皇居東御苑って、皇居のついでに寄る庭園くらいのイメージじゃないですか。わたしもそう思っていました。でも実はここ、旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸があった場所そのものなんです。今も残る石垣や天守台は、江戸城の"中枢"だった証拠なんですよね。
大手町駅からすぐの大手門から入れて、しかも入園無料。この気軽さで江戸城のど真ん中に立てるというのは、かなりお得な観光スポットだと思いませんか。
隣にいたのは徳川御三家
自宅にあった古地図を眺めていて気づいたのですが、江戸城のすぐ近くに「尾張殿」「水戸殿」という文字があったんです。これ、徳川御三家(尾張・紀伊・水戸)のうち尾張家と水戸家の屋敷を指しています。将軍を出せる特別な家柄の屋敷が、こんなにも城の近くに配置されていたって知ってました?
地図で見ると、御三家の屋敷は単なる"近所"ではなく、江戸城を守るように配置されているのがわかります。今の大手町・丸の内あたりのオフィス街が、かつては将軍家に次ぐ格式の屋敷街だった。そこには、江戸幕府が最も信頼を置いた一族の暮らしがあったのです。
その屋敷は、今どこに消えたのか
明治維新後、大名屋敷は次々と取り壊され、この一帯はしばらく陸軍の練兵場として使われていました。その後、明治政府はこの土地を三菱に払い下げ、「三菱が原」と呼ばれる更地から、今のオフィス街・丸の内が生まれていきます。
つまり、今わたしたちがビジネス街として歩いている丸の内は、江戸時代は将軍家の親族が暮らす屋敷街で、明治にはただの原っぱだった時期がある、という何段階もの変身を遂げた土地なんです。ビルの足元に、そんな歴史が積み重なっていると思うと、通勤の景色が少し違って見えてきませんか。
今日から使える下調べメモ
- **入園料**:無料
- **休園日**:月曜・金曜(祝日は公開のことが多いので事前確認がおすすめ)
- **入園できる門**:大手門・平川門・北桔橋門
- **所要時間**:ゆっくり回って1時間程度
- **尾張殿・水戸殿の痕跡を探すなら**:大手門から入ってすぐのエリアと、丸の内側のオフィス街に注目
次回は、この古地図をもう少し東側に広げて、実際に大名たちの屋敷跡が今どうなっているのかを歩いて確かめてみようと思います。
行く前にちょっと覗いてみるだけで、当日の景色がまるで違って見えてきます。
