チキンライス 🌟 ってなんだっけ ?
ごく小さい頃、私はよく、母親に「赤いまんまが食べたい」と、チキンライス(赤飯ではない)をねだっていたそうだ。全く覚えがないけれど…..
最近、なぜか食べたくなるのは、素朴で、シンボリックな料理ばかり。改めて考えると、チキンライスは、かなり“日本の洋食”の核心にいる料理かもしれない。
チキンライスっとは
基本的には鶏肉・玉ねぎ・ごはんを炒め、ケチャップで味つけした、赤い炒めごはん。オムライスの中に入っている、あの甘酸っぱいごはん。
ポイントは、単なる「トリ肉入り炒飯」ではなく、ケチャップの甘みと酸味、バターや油の香ばしさ、玉ねぎの甘みが一体になっているところ。そこに鶏肉のうまみが入るので、子どもっぽい味に見えて、実はかなり 完成度の高い洋食の味 なのかもしれない。
日本のチキンライスは、いわゆる西洋料理そのものというより、明治・大正・昭和にかけて日本で育った洋食文化の一品。カレーライス、ナポリタン、オムライス、ハヤシライスと同じ仲間。西洋風の材料や調味料を使いながら、日本の家庭や食堂に合うよう変化した。
おいしく作るコツは、ケチャップをただ混ぜるだけにしないこと。先に具材と一緒にケチャップを少し炒めて、酸味を飛ばし、香ばしさを出してからごはんを入れると、味がぼやけない。いわば「ケチャップを焼く」。ここが大事。具材は、鶏肉、玉ねぎ、マッシュルーム、ピーマン、グリーンピースあたりが定番。鶏肉はモモだとコクが出て、ムネだと軽めになる。バターを少し使うと、喫茶店っぽい懐かしい香り。
そしてチキンライスの最大の名場面は、やっぱりオムライス。卵で包まれると一気に“ごちそう感”が出る。赤いごはんと黄色い卵の組み合わせは、見た目も美しい。昭和の洋食、喫茶店、デパート食堂、子どもの頃の記憶……そういうものを全部連れてくる。
ちなみに世界には別の「チキンライス」もある。たとえばシンガポールやマレーシアの海南チキンライスは、茹で鶏と鶏だしで炊いたごはんを合わせる料理で、日本のケチャップ味とはまったく別物。日本式は“炒める赤いごはん”、海南式は“鶏のうまみを吸わせた白〜薄黄色のごはん”という感じ。
つまり日本のチキンライスは、ケチャップ味の記憶装置みたいな料理。派手な高級料理ではないのに、ひと口食べると「そうそう、これこれ」となる。家庭料理であり、洋食であり、喫茶店の味であり、オムライスの心臓部。地味だけど、かなり愛されている名脇役だ。
戦後どうやって家庭の味になっていったのか
日本のチキンライスは最初からケチャップ味ではなく、もともとはピラフや洋風炊き込みご飯に近いものだったと言う。 戦後に広まった大きな理由は、やはりケチャップの普及。カゴメは1908年にはトマトケチャップとウスターソースの製造を始めていたが、戦後になると、販売網や容器改良が進み、1958年には100g入りアルミチューブのケチャップ、1966年には使いやすいチューブ入りケチャップが出て、家庭で扱いやすい調味料になっていった。
家庭に入る条件が揃っていたチキンライス
冷やごはんを使える。鶏肉は少量でもOK。玉ねぎでかさ増しできる。ケチャップ一本で味が決まる。子どもが好きな甘酸っぱさがある。つまり、戦後の家庭料理としてはかなり優秀だった。
もうひとつ大きいのは、洋食屋・食堂・喫茶店・デパート食堂の存在。戦後の日本では、カレー、ハヤシ、ナポリタン、オムライスのような「日本式洋食」が庶民の外食として広がっていった。チキンライスは単品でも出せるし、薄焼き卵で包めばオムライスになる。つまり、店側から見ても使い勝手がよかった。赤いごはんに黄色い卵、という見た目も強い。
学校給食も、直接「チキンライスを戦後すぐ広めた」というより、子どもの味覚を洋風化していった土台として大きかった。戦後の給食では脱脂粉乳やパンが出され、1976年に米飯給食が正式導入されるまでは、コッペパンが主流だった。その後、昭和中期〜後期にかけてカレーやスパゲッティなど洋風メニューが増え、鶏肉や豚肉もよく出されるようになった。

でもまぁ、お米が手に入りにくくなって、ちょっと違う目で見てしまう「チキンライス」。だけど、なぜケチャップなのか? 別に塩胡椒だけでもいいんじゃないか、などと考えることもあるけど….
オムライスにしても、やっぱり「あの定番のカタチ」で、食べたくなるのは、何か刷り込まれているからだろうか?…..

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