論理的な思考ができるようになった時、明確に世界の見え方が変わった
博士課程を取得する過程で鍛えられる論理的思考能力。
僕は博士課程に進学する前は、自分はそれなりに論理的に考えることができていると思っていました。
一応、修士まで出て研究職として国の研究機関で働いていたので。
ですが、博士課程、正確には予備審査・本審査を突破するために指導教員と濃密に議論を重ねる中で、(現時点で自分が思っている)論理的に考えることができるようになり、それまでの自分はまったく論理的ではなかったことに気が付きました。
論理的に考えるということは、何もないところからひとつずつ確からしいことを組み立てていくということです。アプリオリに認められている前提は存在しないとして、ある仮定や前提を自らの論の目的に合わせて提示した上で、妥当な言説を積み木のように積み上げていく作業です。
この能力を身に着ける前の僕は、なんとなく関係がありそうな説明を持ってきて繋げていただけだったように思います。
論理的思考能力を身に付けると世界の見え方が変わります。
メディアでまことしやかに語られている言説の前提の危うさや論理の飛躍に気づくようになります。世の中で正しいとされている多くのことが、実は論理的とはとても呼べないということを知ります。
ですが、悪い面ばかりではありません。
論理的思考能力を持っていると、本当にすごい人のすごさを理解できるようになります。世の中には非常にシンプルに見えて、まったく隙のないロジックを組み立てている人がいます。その美しさに気が付けます。
恥ずかしい話ですが、僕は自分の師匠のすごさをある時まで本当の意味では理解できていませんでした。すごい人やすごいものを理解するためには、理解する側にもそれ相応の能力が求められるのです。
ヘレンケラーはサリバン先生の指導の結果、ある時、世の中の物すべてのものには名前があることを理解します。世界の見え方が変わる瞬間です。映画では、水を触ったときにこれが水なのだと理解し「うぉーーたーー」と叫ぶシーンで表現されています。僕はこのシーンが大好きです。
僕の人生におけるこのシーンは、論理的思考を理解した時でした。
