#40 たまには、こういう日があってもいい
午後二時。
幼稚園の門をくぐった瞬間、
世界はただもう、
熱風のなかに閉じ込められて
しまったみたいだった。
アスファルトからは
ゆらゆらと陽炎がのぼり、
風はどこかにいってしまって
ちっとも吹かない。
娘の小さな手はいつもより
少し湿っていて、
ぎゅっと握り返してくる力も
どこか頼りない。
「あついねえ」
「ねえ、あついねえ」
ふたりでおまじないみたいに
同じ言葉を繰り返しながら歩く。
おひさまが、私たちの頭の真上で
遠慮というものをすっかり忘れて、
じりじりと照りつけている。
あまりの暑さに、
私たちは途中の角にある小さなスーパーに
逃げ込むようにして入った。
自動ドアが開いた瞬間に
流れ出てくる冷気は、
まるで天国からの贈りもののよう。
アイスクリームの並ぶ
冷凍ショーケースの前で、
娘の目がきらりと光った。
色とりどりのパッケージのなかに、
ひときわ涼しげな、青いソーダ色。
「これにする」
娘が指さしたのは、
バラ売りではなく、
紙の箱に入った『ガリガリ君』だった。
ふたりきりなのに箱を買うなんて、
少しだけ贅沢で、
そして少しだけいけないことを
しているみたいで、妙にワクワクする。
私たちはそれを大事に抱えて、
レジを通した。
お店を一歩出ると、
たちまち容赦のない熱気が押し寄せてくる。
私たちは待ちきれずに、
箱の薄い紙をぺりぺりと引き裂いた。
なかに並んだ、小ぶりな水色のアイス。
「はい、一本ずつね」
木製の平らな棒を握って、
歩きながら口に運ぶ。
しゃり、と冷たい音が、
静かな昼下がりの住宅街に響いた。
口いっぱいに広がる、
おなじみの甘いソーダの味。
冷たさが喉を通り抜けていくたびに、
体のなかに溜まっていた熱が、
少しずつほどけていくのがわかる。
「ママ、たいへん!」
見ると、娘の持つアイスの端から、
水色のしずくがぽつぽつと、
ものすごい勢いで溶けはじめていた。
おひさまの力はあまりにも強くて、
冷たい氷はあっという間に、
ただの甘い水へと姿を変えようとしている。
「いそいで食べなきゃ」
私たちはそれから
おしゃべりするのも忘れて、
ただひたすらに手元のアイスと格闘した。
しゃり、しゃり、しゃり。
溶けてこぼれそうになる水滴を、
舌の先で上手に迎えにいきながら、
夢中になって食べる。
小さな娘の口元はいつの間にか
うっすら水色に染まっていて、
なんだかおかしい。
きっと私の口元も、
同じような色をしているのだろう。
一本目をあっという間に平らげて、
私たちは顔を見合わせた。
手元には、まだ箱がある。
そして私たちの体は、
まだほんのりと熱を帯びたまま。
「……もう一本、いっちゃおうか」
「うん!」
娘は嬉しそうに飛び跳ねた。
ふたつめのアイスを取り出して、
また同じように、急いで、
けれどさっきよりもずっと
愛おしむようにして、
しゃりしゃりと口に運ぶ。
ふたりで二本ずつ。
大人の私がこんな風に道端で、
娘と競い合うようにして
冷たいものを頬張るなんて。
でも、不思議とちっとも
恥ずかしくはなかった。
むしろ、このまま世界がずっと、
この青いソーダ色と、
しゃりしゃりという冷たい音だけで
満たされてしまえばいいのに、
とさえ思った。
あのときのガリガリ君は、
間違いなく、私の人生のなかで
いちばん最高だった。
特別なレストランのごちそうでも、
お洒落なカフェのパフェでもない。
ただの、近所のスーパーで買った、
箱入りの水色のアイス。
けれど、あのじりじりとした太陽の下で、
娘と手を繋ぎ、
溶けるアイスを追いかけながら
食べた時間は、
何にも代えがたい
きらきらとした記憶となって、
私の心にずっと残り続けるのだと思う。
家に着く頃には、
私たちの手は少しだけ
ベタベタしていたけれど、
心はすっかり軽くなっていた。
たまには、こういう日があってもいいよね。
そう心の中でつぶやきながら、
私は娘の、水色に染まった唇を
やさしく拭ってあげた。
今日も最後まで読んでくださって
本当にありがとうございます!
暑くなってきましたねー。
ご自愛くださいね。
では。またお会いしましょう。
