見出し画像

【ぶら近所】下野谷遺跡公園(縄文の里)

 東伏見稲荷神社に参拝した後、下野谷したのや遺跡公園に行ってみることにした。ここへ行くのは初めてだ。(東京都西東京市東伏見6-4)

 しかし昔こんなところなかったぞ。
 いや、5000年前の遺跡なのだからずっとあるだろ。昔から地面を掘れば土器が出てきたというし・・・。
 そういう意味じゃなくて、遺跡公園なんてあったっけ?知ったのはのんてりさんのnote記事を読んでだ。

 家にあるちょっと古い地図にはその場所は特に何もないので、ただの原っぱだったのか。公園に行ってみると、文部科学省の史跡の指定日が平成27年[2015]3月10日、設置日が平成28年[2016]3月10日と書かれた標識がある。

 公園は平成19年[2007]4月15日に西東京市が整備して開園したらしい。ということは、国の史跡に指定される前に公園になったということだ。意外なことに、公園は20年も前からあった。ただ、発掘は令和3年[2021]まで行われていて、その後に復元住居などが整備され、完成したのが令和6年[2024]らしいから、なんだ、まだ2年しかたっていないじゃないか。

 下野谷遺跡は南関東最大の縄文集落の遺跡だそうだ。そんなものが近所にあるなんて、知らなかったなぁ。だいたい5000年から4000年前の縄文中期に当たるという。1000年も続いた大集落だったのだ。
 前述の通り、戦前から土器の破片は見つかっていたが、正式な発掘調査は昭和48年[1973]から行われた。

 遺跡は大きく西と東に分かれている。間には小さな谷がある。そのうち西遺跡のほんの一画が史跡として残されている。東遺跡はマンション等が建ち、すでに失われている。

遺跡を表す航空写真が公園の入口の床に埋め込まれている
中心に西集落がある(白い線で囲われているのが公園)
縄文時代を再現した地形の模型
西集落は一番左の塊、その右(東)が東集落
さらに東に溜淵遺跡、天祖神社遺跡、葛原遺跡がある
北側を流れるのは石神井川

 東伏見稲荷神社は遺跡より西にある。そこから石神井川を渡って東に歩いていくと、遺跡に向かって坂を上がっていくことになる。遺跡はかなり高い丘の上にある。

遺跡の北側の階段
降りていくとすぐに石神井川が流れている
かなり高い崖の上に遺跡があることがわかる

 地形の模型を見ると石神井川の北側は湿地になっている。水もあちこちから湧き出ていた。こうした湿地の風景は昭和の初期まで残っていた。その頃は夏になると蛍が飛び交っていたそうだ。
 きっと縄文時代は丘の集落から眼下に草原が広がり、大雨のときは川があふれて池が出現したことだろう。冬になれば渡り鳥が越冬しにやってきたかもしれない。豊富な水を利用した素朴な農業も行われていただろうか。
 現在、湿地帯は早稲田大学の東伏見総合グラウンドになっている。

 公園の中に竪穴住居が二棟復元されている。

 昔は復元された竪穴住居といえば草葺、茅葺屋根が多かったが、最近は土で覆われたものが多い。きっと冬は暖かかっただろう。

シロツメクサなど小さな花がたくさん咲いていた
このような家が環状に並んでいた

 日曜日には竪穴住居の中に入れるらしい。筆者が行ったこの日は平日で、公園は草刈りをする人以外にだれもいなかった。

土器の廃棄場所の発掘状態を再現している
住居跡を再利用しているようだ

 ここで発掘された土器や石器は西東京市郷土資料室に展示されているらしいので、そのうち見に行きたい。