「来なくていい」で不登校支援を終える教員は要らない
不登校の子どもに対して、「無理に学校へ来なくてもよい」と声をかける教員がいる。
子どもを追い詰めないための言葉なのだろう。
しかし、その言葉だけで支援を終えるなら、私は無責任だと思う。
学校は、勉強をするだけの場所ではない。
自分の思い通りにならない人や出来事に出会い、その中でどう生きるかを練習する場所でもある。
周囲に合わせるのか、拒否するのか、誰かに助けを求めるのか。
思うようにならない環境の中で試行錯誤し、自分なりの楽しさや喜びを見つけていく。
そうした経験が、社会の中で生きる力につながっていく。
もちろん、どのような状況でも学校へ行かせればよいわけではない。
いじめや強い不安、心身の不調がある子どもを、「社会に出れば嫌なこともある」という理屈で追い込んではならない。
しかし、学校から一度離れることを認めるのと、困難から離れ続けることを無条件に肯定するのは違う。
学校へ行かないという選択を尊重するなら、その後を一緒に考える必要がある。
生活のリズムをどう整えるのか。
学習をどう続けるのか。
家族以外の人とどう関わるのか。
学校以外の場所で、どのように社会との接点をつくるのか。
学校に行かない道は、何もしなくてよい道ではない。
学校では、時間割も学ぶ内容も大人が用意してくれる。
しかし、学校以外の道を選ぶなら、自分に何が必要なのかを考え、自分なりの学び方や人とのつながり方をつくらなければならない。
自由が増える分、求められるものも増える。
場合によっては、学校へ通うよりも大変な道になる。
自己決定には責任が伴う。
ただし、その責任を子ども一人に背負わせてはならない。
まず保護者が支え、教員は子どもだけでなく保護者も支える。
その上で、子ども自身にも、自分が選んだ道を成り立たせるための話し合いや行動に参加してもらう必要がある。
私なら、学校へ来ないこと自体を否定することはしない。
ただし、学校へ来ないという選択と、成長する機会まで手放すことは別だと伝える。
そして、学校以外で何を学び、誰と関わり、どのように生活していくのかを一緒に考える。
必要なのは、登校を絶対視することでも、「来なくていい」と安心させて終わることでもない。
休むことは認める。
離れることも認める。
それでも、子どもの次の一歩を考える責任まで手放してはならない。
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