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「日本オワコン論」は結局、人生を他責にするためのブームだったのか?日本オワコン原理主義者が分析する。

数日前、大学の同級生と久しぶりに飲む機会があった。
「俺さ、日本ほどスゴイ国はないと思うのよ。最高なのよ。外国なんて全てが日本人にとっては日本以下だぜ。」

現地の中小企業での3年の労働経験が詳細はわからないが、ビザ関係による不法滞在で終わり、日本に帰国した彼の母国への評価は異常に高かった。

「大学生の頃は日本はオワコンだって叫び続けて、就活もせずに飛び出したのによく言うよ」

内心、私がこう思っていた事は彼には内緒だが、事実だ。
2010年代、ワーホリ業者や情報商材、プログラミングスクールに通う事を薦めるチープなインフルエンサー達は皆こぞって「日本オワコン」という言葉を口にしていた。

だが、2026年現在。日本オワコンという言葉を口にする人はもはや少ない。じゃあもうオワコンではないのか?日本は救われた?
いや、そんな訳はない。

ほとんどのオワコンブームに乗っかっていた人々は自らの生存責任を他責にするためにこの単語を使っていたのだ。
そして、2026年現在。人々はますます自責で追い詰められるようになった結果、オワコンなどと公然と叫ぶ事はなくなり、メシアを求める様に「やっぱり日本は一番」と叫び始めたのではないだろうか。


日本は衰退する。私はそれを信じている。

「日本は最高」…それは事実だ。
リーズナブルな食事に、無料で上質な治安。日本語で生活ができる。
ほぼ全ての外国と比べて日本人にとって生活が楽なのはここ、日本だ。

ただし、今後もそのサービスレベルを維持できるなら、だが。

その点、私は日本がこれまで通りの社会を維持できると全く信じていない。
いわば、日本オワコン原理主義者といったところだろうか。
私は居酒屋で飲みながら、日本はオワコン「だから」、外国にワーキングホリデーするべきだ。なんてことは絶対に言わない。

なぜなら、現地で定着するためのスキルがワーホリなどでは手に入らないからだ。ブルーベリーの収穫作業を2年ほどやっても、現地で正社員にはなれない。そしたら結局オワコン国家日本に帰国することになるではないか。

仮に原理主義的に日本がオワリだと信じているなら、そんな結局ゴールが日本に戻るになっている選択を選んでいる暇はないんじゃないか?

事実、日本の衰退は10年前はその影くらいしか見えていなかったが、ここにきてくっきりとその輪郭を捉えられるようになってきたではないか。

労働人口不足によるサービス悪化

まず人口が消える。これによって2040年になると膨大な人材不足が起こる。
きっとロボティクスとAIでどうにかなるよ、という人もいるが、自動運転トラックを走らせればできるだろう。

そのための法改正を今の日本が迅速にやるだろうか?やれるのか?
各利権団体にもみくちゃにされて安全性を検討している内に2040年にならないか?

その結果、地方では運送業者がいないからスーパーに食品が完全に並ばない。医者が足りないからベッドは空いてても入院できない。介護をする人がいないから老いた両親を家に放置するか、家族が介護離職することになる。

東京などの大都市を除いて、地方はもはや満足なサービスが受けられなくなることがプロの研究者たちによって指摘されているのだ。
日本は最高である根拠の一つ、安価で上質なサービスはこれで一つ吹き飛んだ。

歴史的にほぼ確実に来る南海トラフ

そして次が、災害。
南海トラフ地震は周期的に考えると2030年代に来ることが予想されているが、その最大被害予想額はご存知だろうか?

壊滅的だ。

被害額は最大292兆円。東日本大震災の17倍の被害であり、リーマンショックと阪神淡路と東日本大震災が一緒に来たくらいの富の消失が起こる規模だ。

ここまでの被害を少子高齢化で元気のない日本が喰らって、地方再建ができるだろうか?

恐らく、同じ形での再建は不可能だ。事実、石川県の能登地方が地震と、度重なる洪水によって復興が送れている事を考えてみよう。震災前レベルで復旧されるのはせいぜい被災県の県庁所在地くらいだ。それ以下の都市は強制的に縮小されるか、最悪放置される可能性もある。

繰り返すが、それでもまだ日本最高なのだろうか?
それならいいのだが。

地方の衰退と腐敗 改革不能な人々

そして、加えて人の問題だ。
正直なところ戦後から80年が経過して、利権が固定化されてきたため、
現在の多くの日本人には制度改革を行う事がほぼ無理だと思っている。

現代社会の生活レベルを維持するには誰かが痛い目を見る改革が必須だが、
誰も手をつけられないのだ。

ここでは自分が見聞きした一次情報を紹介しようと思う。

私が、ある地方県の友人の会社を訪問した時のこと。
県庁のある中心駅から徒歩5分の商店街がシャッター街になっていたのだ。店を新たに開きたがる人がいないわけではない。それでも開かれない。

なぜなら建物のオーナーが許可を出さないのだ。
聞くとトルコ人に貸し出してケバブ屋にすると、
「歴史のある商店街に怪しいケバブ屋を開くとは何事か」と怒る地元民がいるらしい。

しかし、その地元民が新たに建物を借りて伝統的な惣菜屋をやったりはしない。よって波風を立てたくない老年オーナーは年金をもらいながらシャッターの閉まった建物を維持するのを選ぶ。

そんなことになっていたら、県経済は20年と持たず崩壊する。
それが分かっているから、若手は東京に逃げ出す。これは仕方ない。
では、地元の産業を持つ地場産業の社長達は何をしているのか?
彼らは逃げ出せない立場だから必死に働いているのかと思うとそうでもない。

その県では多くの地場産業のオーナーがすでに3代目の世襲になっており、自分でビジネスを転換する気力がないというのだ。営業すらまともにできない会社もある。先代、先先代が作った関係で食えてしまっているからだ。

県の青年会は3-4代目の社長達の飲みサーとなり新たなビジネスアイデアを考えるでもなく、牛丼一気食いレースという新ジャンルスポーツを開発し、飲み会を盛り上げているだけだ。

これは典型的な亡国だ

この三つの現象は典型的な亡国の兆しだ。

  1. 現在の社会構造は限界を迎えている

  2. 直近、その社会に大きな影響を与える危機が迫っていると認識している

  3. しかし、利権を持つ多くの人々が改革を阻む

悪いが、アフガン戦争後のソ連か?
あの国は耐えられる所まで耐えた結果、国の経済が吹き飛び、
成人はもれなく皆アルコール中毒。企業は暴力団を使って暗殺までして、
利益を上げるような国家になったわけだが…

日本が地震でまともに復興できず、移民はあまり増えないまま、サービスも止まった国になったら…それは絶対に「日本最高」と言えないと思う。

私は以上の分析から、2050年までに日本は最大でも現在のスペイン、イタリアレベルの経済になると強く確信している。そこで、他人が今の生活を維持しようと頑張るのは勝手だが、私は2050年でも楽しく生きていたい。よって手堅く大手企業に入社、その後資産形成を最優先で20代を生きてきた。

本当に日本はダメだと信じていたら、普通この行動にならないだろうか。

他責的オワコン論に救いなどない

ワーホリはオワコン日本に対する適切な治療だったか?

ここで、日本オワコンブームが華やかだった時の事を思い出してみよう。
あんなに流行っていたワーキングホリデー。あれは本当に日本がオワコンだからやるべきこととして適切だっただろうか。私にはそうは思えない。

なぜなら、仮に私が予想した通りに日本が衰退した場合、日本でしか生きていけない事が致命傷になるからだ。そして日本以外でも生きていける様になるには少なくとも、資産か労働スキルが必要になる。

しかし、ワーホリで多くの人が身につけられる仕事はせいぜい、農作業が日本レストラン。そして得られる資産は最大2-400万円。20代の貴重な時期を捨てて渡るにはあまりにも短期的なメリットに釣られすぎだと思うのだ。

これでは何も変えられない。変えるなら1-2億円の資産か、エンジニアや建設技師としての技術が必要だ。そしてそのどちらも身につけるなら新卒で大手企業に入社して15年程度は労働をしなければいけなかったと思う。

彼らが信じたのは「言い訳としてのオワコン」

つまり、私は彼らが信じたのは「言い訳としてのオワコン論」だと思っている。自分が上手くいかないことの理由としてのオワコンだ。

なんだか未来が心配。それは日本がオワコンだからだよ。という論調で心を安心させ、そして普通のキャリアとは道が異なるワーホリをちらつかせて紹介フィーで稼ぐ。ビジネスモデルとしては秀逸だが、引っかかった方が救われることはない。

言い訳としてのオワコン論は言ってしまえば他責的オワコンだ。
そして他責のまま他人を出し抜き、勝つことはできない。

他責的オワコン論に何の意味もない

私は、皆が心配だ、オワコンだと言いながら生活スタイルを変えずに、バブル世代の両親達のライフスタイルを送ろうと夢見る事をやめた。なぜなら勝ちたかったから。

衰退した2050年、多くの人々が2020年代の日本の動画を見ながら、「あの頃はいい国だなぁ」と言っている頃に、その20年代と同じ暮らしを悠々自適にしたかった。だから、笑われてもいいので準備を始めた。

半ば放棄されたような人工島の団地に住み、投資を何年も繰り返してきたのは何故か?
全ては将来、自分が投資した資金を握って生きたい人生を送るためだ。日本に居たいなら残るし、妻の母国に移住するなら移住する。他人が人生を選べずに困っていても自分が好きに生きる。これが目標だった。

オワコンは悪くない。しかし他責的なオワコンは無意味だ。
本当に必要なのはオワコンであることを受け入れて、自己責任で対策する自責的オワコン思想だ。

自分の人生くらい、自分で決めろ

私のオワコン論と大勢のオワコン論は他責か自責かという点で大きな違いがある。

大勢が選んだのは他責的オワコン論だ。これは日本という世界が自分のせいではないのに壊れようとしている。だから⚪︎⚪︎をすることで救われるという、メシア待望論の一種だ。

ワーホリは終末の日に我々を助けるノアの方舟に見えるだろう。だが、皮肉なのは、現実社会で神は助け舟を出さないことだ。乗り換えた船は大抵の場合別の泥舟で、実際多くの同級生たちが甘言に騙されて沈んだ。

それに対して私の日本オワコン論は自責的だ。国はもう守ってくれない。それなら自らで武装して家族と団結して戦ってやるという思想だ。

この思想はデメリットが多い。まず、疲れる。自分で全ての行動に責任を取るのは疲れることだ。次に、周りから変人扱いされる。出る杭になるようなシチュエーションが多いから周りから承認されるのを期待するのは間違いだ。

だが、満足なのは自分の人生を常に自分で決めてきたという自己決定権の満足感だ。

死場所くらい自分で決めるの精神こそ最高に日本人だ

確かに今の人生は暗いかもしれない。バブルを謳歌した親のように無邪気な無限成長の夢は見れない。
天災に、戦争、経済衰退の恐怖に震えて、何で俺だけこんな役回りをしなきゃいけないと社会を恨むかもしれない。

しかし、これまでの30年間ほど、経済的に豊かで皆が幸せだった時代の方が珍しい。ほとんどの日本人は鎌倉時代から江戸時代まで永遠と戦乱に明け暮れ、今日とも明日ともしれない命を繋いできた。

つまり理不尽に苦しめられる社会の方が普通なのだ。だとすれば私たちに選べるのはどれだけ幸せになれるかではない。どれだけ納得感を持って死ねるかだけだ。そしてその納得感は戦い抜いて、万策尽きた上で死ぬときだと思っている。それって自責で生きた結果にしかないんじゃないか?

だから私は日本社会と一緒に沈没は選ばない。最後の1人になろうと南米に逃げようと、生きて生きて生き続ける。

それが私の日本オワコン道だ。

今、多くの人は日本は最高だと叫んでいる。それはいい。
だが、そうやって他人に縋って生きようとしていないか?
他人に救ってもらえるのは景気がいい時だけだ。本当に生きていきたいなら、推し活をする時間を全て自分に当てて、一分一秒でも長生きできるように爪を研ぐべきだと私は思う。

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