心を言葉にする仕事なのに、広げる言葉が見つからない
言語化は得意だが最近もとめられている方向性が変わってきている。
自分や目の前の人が感じていること、
考えていること、
背負っている役割、
心のふかーいところにある欲求、
そういうのを言葉にするのはずっとやってきたこと。
これはこれで役に立つ。
言語化によって自覚ができて、
自覚できるから表に出すときの調整ができて、
人との仲をある程度うまくいかせることにもつながる。
心を守ることにも。
いきいき働くことにも。
心の言語化は大切なのだ。
しかし今、ビジネスにおける言語化をしなければならない。
ビジネスでも「すでに起こっている事象」を言葉で切り取るのはそんなに難しくない。
でも、「これから届けたいもの」を言葉にして届けやすくするということは、がんばってもなかなか骨が折れる。
今までもそれなりにやるシーンはあったけれど、できてるんだかどうなんだかよくわからないまま、心のままに発信してきた。
この「心のままに発信」というのは実はお客様の胸を打つ一つの要素でもあって、そこに情熱と誠実さをちゃんと乗せればなんか動かされてくれて、サービスを届けられることはあった。それなりに。
しかし今、望んでいるのは、もっと広く届けること。
言葉で。
昨日はキャッチコピーやネーミングを
睡眠不足の頭でひねりだしたのだが
我ながらへぼかった…。
夜中に過覚醒だとその時はわーっといろいろ言葉になって気分がよくすぐお調子に乗ってしまう。
そして翌日はてきめんに燃え尽きるお年頃。
いいんだよ、限界に挑戦するのは大事なんだ。
自分の専門領域の言葉をつかうと、
もともとそこに意識のあるお客様にしか届かない。
そうじゃない人たちにも届くようにしたい。
これ、無邪気に夢見てたけど
現実がわかってきてなかなか青ざめるよな。
ものすごく簡単でシンプルにする。
でも、刺さるような言葉にする。
帰りの新幹線でもうなされながら考えていた。
AIが提案してくる言葉は今までのわたしの足跡をかすったものばかり。
わたしの好んで使う言葉って漢字ばっかりじゃん。
簡単でもないしシンプルでもないし
めちゃくちゃせまい範囲のひとにしか意味わかんないじゃん。
でも同時に、なんとなく思いついてきたこともある。
言語化というのはつまり抽象度の調節だ。
たくさん出して、その共通項を出す。
自分の中に深く潜るのが主観。
今まで喜んでくれたお客様や、
びっくりして意識をかえた瞬間のお客様の目線に立って、
そのとき何を受け取ってくれていたかにフォーカスするのが客観。
これを細かいレベルで拾って言葉にしていくと
自分が社会に届けるべきことの切り口が言葉に…なるんじゃないかな…
まだわからないけど。
あと、ちょうどおりよくやっている短歌教室の学びも
いつもと違う言語化トレーニングの役に立っていると思う~。
同じことを何度もいろんな角度からひねる、
それを楽しめるようになっているから。
宿題のある毎日で嬉しい。
引退気分から徐々に現役気分に戻ってきている気がする。
道が遠くてへこみそうにはなるのだが
そこは大人なので粛々とやれることをやろうと思うのだった。
あ、ウコンを飲んでみたから
二日酔いはしなかったよ!
これは大人の知恵っていうかおばちゃんのちえぶくろっていうか…
