「よく生きる」は「よく死ぬ」を含んでいる──QOLとQOD、生と死の境界で
「死」について思う。──メメント・モリ
「死」に、どんなイメージをお持ちでしょうか。
介護の仕事を始める前からも含め、私はこれまで、いろいろな人の死を見てきました。
メメント・モリ──死を思え。
性格的なものなのか、私は幼い頃から「死」についてよく考える子どもでした。
ゴーギャンの有名な絵の問いかけのように、『私たちはどこから来たのか、私たちは何者か、私たちはどこへ行くのか』という言葉がよく浮かんでいました。
そして今、介護の仕事をしています。
介護の現場で出会う死の多くは、不慮の事故などによる突然死とは少し違います。もちろん急変することはありますが、老いや病とともに、死へ向かう時間があります。
その時間に、私たちは何ができるのでしょう。
介護の仕事でよく使われる言葉に「QOL」があります。
今回は、QOLと、もう一つの「QOD」について考えてみたいと思います。
QOLだけでは足りない──QOD(Quality of Death)という考え方
介護や医療の現場では、よく「QOL(Quality of Life)」という言葉を耳にします。
日本語では「生活の質」「人生の質」などと訳され、病気や障害があっても、その人らしく生きられているかを大切にする考え方です。
私たちケアマネジャーも、「その人らしい生活」を支えることを目標にケアプランを作ります。
けれど、長く介護の仕事を続けていると、ふと疑問が浮かびます。
人生には必ず終わりがあるのに、「生きる質」だけを考えていれば十分なのだろうか。
QOLとは、生きる上での満足度
QOLが大切にするのは、単に病気がないことや、長く生きることだけではありません。
痛みが少ないこと。
好きなことができること。
大切な人と過ごせること。
自分で選べること。
そして、尊厳が守られていること。
たとえ病気や障害があっても、
「この人は、この人らしく暮らせているだろうか」
と考える。
それがQOLを考えることなのだと思います。
QOD、またはQuality of Death and Dying─死にゆく過程の質とは、どのように死ぬかを考えること
一方のQODは、「どのように死ぬか」だけを意味するものではありません。
Quality of Death and Dying、死にゆく過程の質も言われており、死そのものとその過程、プロセスを大切にする考え方です。
苦痛ができる限り和らげられているか。
本人の希望や価値観が尊重されているか。
大切な人との時間を持てるか。
どこで最期を迎えたいのか。
どのような医療を望み、何を望まないのか。
そうしたことを含めて、その人の人生の最終段階を考えていきます。
「ありがとう」「さようなら」を伝えられる人もいるでしょう。
でも、突然状態が変化したり、認知症が進んだりして、思いを言葉にできない人もいます。
何をもって「良い死」とするのかは、人によって違うので難しいです。
「その人らしい最期」とは何だろう
QODを考えるとき、「その人が最期まで、その人らしくいられたか」という言葉をよく耳にします。
けれど私は、この「その人らしい」という言葉にも、ときどき立ち止まってしまいます。
その人らしい、とは何なのでしょう。
とても優しく穏やかだった方が、老衰とはいえ、亡くなる前の一か月ほどは壮絶な痛みに苦しみ、私の腕に取りすがりました。
自立心がとても強く、できることは何でも自分でしていた方が、最後の三日間は紙オムツになり、「もうだめだとわかっている」と言いました。
では、それは「その人らしくない最期」だったのでしょうか。
私は、そうは思えないのです。
穏やかだった人が痛みに顔を歪めることも、強かった人が誰かの手を借りることもあります。最期まで毅然としていられるとは限りません。
死に向かうとき、それまで大切にしてきた「その人らしさ」さえ、保てなくなることがあります。
けれど、その姿もまた、その人なのだと思います。
苦しまず、家族に囲まれ、好きな場所で、穏やかに亡くなる。そんな最期を迎えられたなら、それはもちろん幸せなことだと思います。
でも、現実の死は、いつもそんなふうに整っているわけではありません。
何をもって「良い死」とするのか。
私は今も、よくわかりません。
ただ、思いどおりにならなくなっていくその人のそばで、できるだけ苦痛を減らし、できるだけ望みを聞き、その人が最後までひとりの人間として扱われること。
もしかするとQODを支えるとは、「その人らしい死」をつくることではなく、どんな姿になっても、その人をその人として支えることなのかもしれません。
QOLとQODは対立しない
QOLとQODは、別々のものではないのだと思います。
人生の終盤になるほど、二つはゆっくり重なり合っていきます。
今日を心地よく生きること。
好きなものを食べること。
家族と話すこと。
いつもの布団で眠ること。
窓からいつもの景色を見ること。
そうした一日一日のQOLの先に、QODがあります。
「生きる支援」がある日突然終わり、そこから「死ぬ支援」が始まるわけではありません。
生と死の間に、くっきりとした一本の線など、本当はないのかもしれません。
ケアマネはQOLとQODの両方に関わる仕事
ケアマネジャーは医師ではありません。
命を救う仕事でもありません。
けれど、その人の暮らしを整え、家族と医療・介護職をつなぎ、本人の希望をできる限り形にしていく仕事です。
退院支援。
訪問診療や訪問看護の導入。
サービス担当者会議で交わされる、一つひとつの言葉。
最期まで在宅か、緩和ケア病棟か。
「家に居たい」「もう無理」
発言だけではなく、介護者の疲労度や裏にある気持ちを推し量る。
でも、他人である以上、すべてを推し量るのはもちろん無理です。
必要と思われるサービスを適切に繋げる、それだけであとはご本人ご家族に任せるだけの方が良い場合もあります。
そんな小さな選択の積み重ねが、その人の人生の最終章を形作ります。
そして思うのです。
「よく生きる」ということの中には、すでに「よく死ぬ」ということも含まれているのではないか。
死は、生の反対側にぽつんと存在するものではありません。
生きた時間の、その先にあります。
生と死の境界を歩く
介護の仕事を始めた頃、ケアマネは「生」を支える職業だと思っていました。
もちろん、それは今も変わりません。
でも、多くの利用者さんとの別れを経験するうちに、少し違うことも感じるようになりました。
私たちは、ときに「生と死の境界」を支える仕事でもあるのではないか、と。
今日、その人が生きている時間を支えること。そして人生の最終章で、たとえこれまでの『その人らしさ』が保てなくなったとしても、その人を一人の人間として支え続けること。
QOLを支えることは、QODを支えることにもつながっています。
子どもの頃、夜空を見ながら考えていました。
私たちは、どこから来て、どこへ行くのだろう。
あれからずいぶん長い時間が経ちましたが、答えはまだわかりません。
たぶん、一生わからないのでしょう。
「どこへ行くのか」はわからなくても、行く人の背中を見てきました。
そこへ向かう人の隣を、しばらく歩くことで、自分の生き方(行き方)もますます考えるようになりました。
QOLとQOD。
その境界を、今日も迷いながら電動自転車で走っています。
*
【あとがき】
介護の仕事に就く前、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を読み、とても感銘を受けました。
キューブラー・ロスは、死を目前にした人々の声に耳を傾け、死とその過程について考え続けた精神科医です。
この本を読んだ頃の私は、まだ介護の仕事をしておらず、不思議な縁です。
亡くなった母も愛読していた本です。
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