自分らしさは他人の真似に失敗したあとに残る《土曜日のしらんけど》
誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かにそうかも。そんな言葉の迷子たちから届いた質問に、勝手に答えて、優しさ半分、無責任半分で放り投げる。真に受けるかは、あなたのコンディション次第。
「土曜日のしらんけど」
今週の相談はこちら。
ペンネーム・本物初心者さん
「ヤスさん、放課後ライティング倶楽部のみなさん、こんばんは。
自分の投稿スタイル?(文体も含めて)をどう作るのでしょうか。
毎日更新をするのか、ネタ系で攻めるか、日常ほのぼの系でいくのか。そして文体。笑わせにいくのか、真面目に書くのか、淡々と書くのか、感情を吐露するのか。そのあたりをご教示ください」
質問ありがとうございます。
みなさま、回答記事をお願いします。
一応締め切りは2026年7月17日(金)まで。
◆
自分らしさというものは押し入れの奥に入っている冬用の毛布みたいに、探せば見つかる前提で話が進みがちですよね。
実際にそんなものはきれいに畳まれて待っていない。だいたい途中まで別人の服を着ていて、その袖が微妙に余るとか、襟元だけ似合わないとか、そういう不具合を何年か繰り返したあとで、ようやく「この着崩れ方、ひょっとして私なのでは」と気づくんです。
自分の文体って他人の服を着たまま育っていくもので。
「自分の投稿スタイルをどう作ればいいですか」
毎日更新をするのか、ネタ系で攻めるのか、日常のほのぼのを書くのか。
文章も、笑わせにいくのか、真面目に書くのか、淡々と事実を置くのか、いっそ感情を床に全部ぶちまけるのか。
選択肢が多すぎて、書く前からファミレスのメニューを開いた人みたいになる。和風ハンバーグもいいし、オムライスもいいし、でも今日は軽めに蕎麦でもと悩んでいるうちに、隣の席の人がデザートまで食べ終わっている。文章を書く前にランチタイムだけが終わっていく。
そんな時は、まず「好きな人を真似したらいい」と思っている。向き不向きはあるらしいけど。
文体なんて、最初から自分の中に完成品として入っているものではないから。書き始めたその日から、急に唯一無二の語り口が出てくる人もいるのかもしれないけど、そういう人はたぶん前世でも何か書いている。普通は、好きな作家や書き手の文章を読んで、「この感じ、いいな」と思ったところから始まる。
会話の入れ方が好きなのか、文章の間が好きなのか、ものの見方に惹かれるのか、笑いの置き場所が好きなのか。まぁ最初はそんな細かい分析をしなくてもいい。ただ、この人の文章を読むとなぜか続きを読みたくなる。その「なぜか」を自分の文章へ持ち帰ってみる。
もちろん真似をしたら似ます。パクリです。しばらくは似る。場合によっては自分で読み返して「これはもう本人の遠い親戚では?」と思うこともある。でも安心してください。人は自分が思っているほど器用に他人にはなれない。
文体を真似しようとしても、語彙の量も経験も育ってきた家庭も過去に負った恥も違う。
好きな作家ならここで鋭い比喩を置くだろうと思っても、こちらから出てくるのは、なぜか冷蔵庫の納豆だったりする。淡々と書こうとしているのに、途中から自分の言い訳が入り、最後には「まあ、しらんけど」で着地する。そこに本人が出る。
真似をしているつもりなのに、うまく真似できない。その失敗の仕方が文体になるんじゃないでしょうか。
投稿スタイルも同じです。
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