人の 評価が 気になる 私
AIが描きたい絵を描き、整った文章を書く時代になった。
それはそれで便利で、使いこなせばいいことなのだが。
AIは、評価者であるあなたを意識して描き、評価者であるあなたを意識して書く。
AIにとっては、あなたの評価こそが生きる(?)すべてのように。
孫と近くの動物園に行った。
家に帰ってから2歳の孫娘が『ゾウさん』の絵を描いた。

もう長いこと、この動物園には、ゾウがいない。
今は、かつてゾウがいた場所には草が生えていた。
ゾウは「ハナ子」の名前で人々に親しまれていた。
1歳のときにこの動物園にやってきた。
10年前に、45歳で老衰のために息を引き取った。
野生のゾウは、運動をしてストレスがないので、もっと長生きするらしい。
大人には、草しか見えなかったが、孫娘には見えたんだなあ、ゾウがいたころのオーラが。
この発想、かなわないな。
キリンやウサギやサルなど、動物園にはたくさんいたが、孫娘は、ゾウだけ「さん」付けで呼ぶ。
これも孫娘が描いた。
「キリン」だそうだ。

絵を天地左右を逆にしても、なんなら裏返しても、額縁に入れると絵になってしまうところが、小さい子どもの絵にかなわないところだ。
ひらがなで詩を書いていた谷川俊太郎は
「表現者には、どう解釈されてもかまわないという覚悟がいる」
と、語っていた。

これは、2歳の孫娘が水彩で描いたものだ。
母親がA4サイズの額に入れて飾ってあげていた。
額の裏に、日付と題名がメモしてある。
題名は『カメレオン』
この絵を描くときに孫娘は、自分の一番近くにあった絵の
具と筆で、思うがままに塗っていた。
評価者も審査員もなく、何円で売ろうかという思いもない。
「楽しもう」という思いさえもなかったかもしれない。
ただ、描きたいから描いた。
ちょうど1年後、孫娘が3歳になったとき、この絵の題名を聞いてみた。
孫娘は絵を見ながら題名を教えてくれた。
『プールから水がバシャーンって出ているところ』
だそうだ。
題名が変わった。
題名さえも自由に変えちゃう。
芸術大学で教わったことは、日本画の制作には、計画性が大切だということだった。
日本画にも「計画をしない」という計画性があってもいいのかもしれない。
描きたいから描く、文章を書きたいから書く。
孫娘は、うらやましい時間を生きている。
