断捨離できなかった一冊が、娘の人生を変えていた!
最近、本棚を見て笑ってしまった。
老眼を言い訳に、めっきり本を読まなくなった私。
娘や姉からは、
「Kindleにすれば?文字も大きくできるよ。」
と何度も勧められる。
でも私は、どうにも紙をめくる感覚を手放せないでいた。
「本は紙派」を貫いているうちに、本を読まない「紙派」という、よくわからない立ち位置になってしまった。
そんなわけで、本棚は少しずつ断捨離。
メルカリに出した本、寄付した本…。
気づけば残っていたのは、曽野綾子さんの本ばかりだった。
その中の一冊、『貧困の光景』を手に取ると、10年以上前の出来事が一気によみがえった。
本の中だったか、別の著書だったか記憶は曖昧だけれど、曽野さんのこんな感じの言葉だけは今も覚えている。
「余っているお金を寄付するのではなく、なくなったら少し困ると思うくらいのお金を、継続して寄付する事が望ましい。」
当時の私は専業主婦だった。
「少し困る金額って、いくらだろう。」
そう考えて出した答えが、毎月3,000円。
家計に響かないわけではない。
でも無理をして続かなくなるのも違う。
私にとって、3,000円はそんな絶妙な金額だった。
そして支援先はシエラレオネに決めた。
送られてきた資料の中で、平均寿命がとても短い国だと知ったからだ。
「だったら、この国にしよう。」
深い理由なんてなかった。
ただ、その数字の向こうにいる子どもたちの暮らしを想像したら、自然とそう決めていた。
その後、私は3,000円を送り続けるためにとパートへ出た。
今思えば、「寄付を続けるために働く」という、少し変わった理由だったかもしれない。
当時は今のようにスマホもなければ、AIもない。
手紙は、まず私が日本語で書き、日本人ボランティアの方が英語へ翻訳し、さらに現地のボランティアがその子の地域の言葉へ訳して届けてくれていた。
返事も逆のルートをたどるので、一往復するだけで何か月もかかる。
それでも返事が届く日は、なんだか姪や甥から便りが来たようでうれしかった。
「せめて英語で書けたら、一段階減らせるのに。」
そう思った私は、娘に声をかけた。
「一緒に書いてみる?」
500円以内のプレゼントを選ぶのも娘。
辞書を開きながら英語の手紙を書くのも娘。
私は横で、「それ、伝わるかな?」なんて言いながらただ見守る係だった。(笑)
英語を勉強させようなんて気持ちはなかった。
ただ、世界には自分とは違う環境で暮らす、同じくらいの年齢の子どもがいることを知ってほしかっただけだった。
それから何年もたって、娘がぽつりと言った。
「あの手紙が、英語を好きになったきっかけだったかも」と。
高校ではESSに入り、県の英語スピーチコンテストでは、その体験を自分の言葉で語り2位に入賞。
さらに国立大学の国際学類の推薦入試でも、この経験を面接で話したそうだ。
「面接官がすごく興味を持ってくれた。」
そううれしそうに話す娘を見て、一冊の本から始まった出来事が、こんなふうにつながるなんて想像もしなかった。
そして今、もう一つ思うことがある。
私はシエラレオネの子どもを支援しているつもりだった。
でも本当は、送られてくる手紙や写真を見るたびに励まされ、救われていたのは私のほうだった。
正直この話は、親族以外にはほとんど話したことがない。
寄付をしていることを口にすると、どこか気恥ずしかったからだ。
だからこれは、「寄付をしましょう」という話では全くない。
親が心から感動したこと、夢中になったこと、一生懸命続けたこと。
そんな姿は、思っている以上に子どもの心に残るのかもしれない。
断捨離を終えた本棚には、曽野綾子さんの本だけが静かに並んでいる。
娘には相変わらず、
「だからKindleにすれば?」
と言われるけれど、この本だけはきっと手放せない。
文字の大きさは変えられなくても、私たち親子の人生を少しだけ大きくしてくれた一冊だから。
