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博士課程でできる範囲を知る

先日、社会人博士に関する記事を執筆した。その中で、「社会人博士はキャパシティ的に困難であり、裏技を使うことで乗り切れるようになる」ことに触れた。

社会人博士に限らず博士課程を修了するためには、「やり過ぎようとしない」意識が重要に思う。誰しも与えられた時間は限られており、自分が思い描いていた大きな夢を博士課程の間に叶えられるわけではない。


特に社会人博士であれば平日昼間はフルタイムで仕事をするわけで、できることは相当に限られるはずである。


博士課程は鉄道に乗るたとえがわかりやすい。博士論文では研究を通して成し遂げたい大きな夢を語ることになるが、それは鉄道で言うと終点に相当する。


例えば中央線であれば、今八王子にいる人が「東京駅に辿り着くことを目指します!」と宣言するようなものだと思う。終点に辿り着けるかどうかはともかく、今自分が向かっているのは東京駅の方面ですよ、と言うことをクリアに述べる必要がある。


東京駅とは、「汎用的な人工知能を作ります」「この病気に対する根本的な治療方法を確立します」「この分野での自分なりの経済理論を確立し終えます」といった大きな夢である。


しかし、八王子から東京駅はなかなか遠い。博士課程というたった3年かそこらの時間では、終点東京駅にたどり着くとは難しく、それは自分一人で成し遂げられることではない。


だからこそ、博士課程では途中駅まで辿り着けばOKで、そこから先は未来の研究者に委ねればよい。


博士論文では、「私は八王子から立川を通って三鷹まで行きました!」というところまでできれば合格となる。博論最後の方の「将来的な展望」などと呼ばれる章にて「このまま進んでいけば最後には東京駅にいけるでしょう。それは今後の課題です。未来の研究者、任せた!」と言い放てば良いのだと思う。


夢の続きを語りつつも、自分は確実にその夢の実現に近づいたということを主張するのである。これが「やり過ぎようとしない」の意味である。


博士課程を修了しづらくなってしまうパターンに、「博士課程の中だけで東京駅に辿り着こうとしてしまう」というのがある。いわゆる完璧症である。


目標が壮大なのは素晴らしい反面、そこまで辿り着くことが非現実的すぎて、辿り着けそうにない自分に嫌気が差してしまう。結果として研究が進まなくなり、途中駅である三鷹にすら到達することが難しくなる。


そうではなくて、自分という人間が3年あるいは5年ででできることはたかが知れている、ということを意識するべきだと思う。行けるところまで行く意識でいい。夢の続きは未来の後輩に託してもいいし、博士号を取った後に自分自身で取り組んでもいい。


とにかく、どうしたらゴールテープを切れるかを考えると、いい意味でコンパクトに収まる意識を持つことができる。この「不確実な100%より確実な80%を取りに行く」ことの重要性は、仕事にも当てはまるのではないかとも思う。

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