スナップ写真における「カメラの優位性」は完全崩壊しているという事実~それでもスマホじゃなくカメラを手に取る理由~
さて、今日貼ってる写真はコンパクトデジカメ、ミラーレス、スマホで撮った写真が貼ってありますがわかるだろうか?
本題
野鳥撮影やモータースポーツのような超望遠領域、あるいは極限の暗所や動体AFにおいて、スマートフォンが専用カメラの足元にも及ばないのは言うまでもない。そんなことは解りきっている。
だが、話が「標準画角(40〜50mm近辺)での軽快なストリートスナップ」となれば話は別だ。
長年写真を趣味にしてきて、ある時ふと冷徹な疑問が頭をよぎるようになった。
「この画角のスナップ、ぶっちゃけスマホで撮っても差なんてないんじゃないか?」と。

コンデジすら勝てない、スマホという「身体の一部」
現代のストリートスナップにおいて、スマホの合理性は留まるところを知らない。
ポケットからサッと取り出しサイドボタンでブラインド撮影。
街の気配に溶け込み、周囲を威圧することなくノールックでパシパシと切り取っていく。
明暗差の激しい街角でも破綻せず24mm〜28mmの広角メインから50mm相当へクロップしても、SNSやスマホ画面で見る分には十分すぎるクオリティが担保される。
かつてスナップの王様だったコンデジですら、この圧倒的な機動力の前には形無しだ。
極論を言えば街へ出かける際、目的が「撮影」でなければカメラを忘れてもああ、今日は忘れたなと思うくらいで家には戻らない、がしかしどんな用事であれスマホを忘れたら、僕らは間違いなく家に取り戻るはずだ。
スマホはもはや単なるガジェットではなく、僕らの身体の一部として生活に浸透している。それでいてボタン一つで高精度な写真まで撮れてしまうのだから、道具として言うことなど何もない。
おまけにフルサイズの大口径レンズやゴツいフラッグシップ機を肩から下げて街を闊歩し「スナップです」とカメラを構えるのは(撮れないことはないし否定はしないが)街を切り取る撮影ならまだ弁も立つが、街の空気感を壊し機動力の面でも本末転倒で論外と言っていい。
っという事で軽快に街を切り取るスナップという文脈においてスマホは、すでに「完成された究極のスナップツール」と言えるだろう。

諦めた先に残る「消極的な理由」
街を歩き、JPEG撮って出し(あるいは軽微なトーン調整)でテンポよく切り取っていくスタイルにおいて、標準画角でのスマホとカメラの出力差は、もはや誤差の範囲に過ぎない。
かつてカメラ側が主張していた「過剰なボケ味」はスナップの情報量を減らすだけであり「RAW現像の耐性」も撮って出し派には関係がない。
100点満点中、85点から90点の「失敗のない綺麗な写真」を誰でも再現性高く叩き出せるのがスマホの演算(Computational Photography)の凄みだ。
もうスペックや画質、効率という「積極的な理由」でカメラを正当化する時代はもう終わったのだと思う。
でも、なぜ私はスマホで十分だと論理的に理解していながら、あえて重いカメラを肩から下げて街に出るのか?
そこに残るのは「物理的な優位性」ではなく「個人の美意識や好み」という、極めて消極的な理由でしかない。
スマホの「誰が撮っても破綻しない均一で優等生な絵」から逃れ、メーカー固有の不完全なトーンを出したいから。
画面をタップする作業ではなく、物理シャッターの「カチッ」という指先へのフィードバックとともに、街の光とコンマ数秒のタイミングを断ち切りたいから。
書いてても正直弱いなぁと思うが、効率や合理性を削ぎ落とした最後に残るこの「消極的な理由」こそが、実は最もパーソナルで、誤魔化しのきかない本質なのではないかと思う。

あえて不便を抱えて街に出る贅沢
スマホは世界を合理的に「記録」するための道具だ。 一方でカメラは、自分と街との間合いを測り、光の質感を身体感覚として「捉える」ための道具だと言える。
スマホを使えばノーリスクで85点の写真が手に入る。 それでも僕らがカメラを握りしめるのは、打率は低くても自分だけの「愛おしい100点」を狙いに行きたいというエゴがあるからなんだと思う。
理屈では「スマホで十分」と完全に知り尽くした上で、あえて不便なカメラを肩から下げる。 合理性の時代においてその無駄で贅沢な選択の中にこそ、僕らが写真という趣味を愛してやまない理由が隠されている気がしてならない。
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