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書く、手触り

ちょっと前まで、noteは音声入力したものをAIで修正してもらい、それをさらに手直ししてアップする、ということをやっていたのだけれど、また自分の手でタイピングして書く、という従来のやり方に回帰してきた。

少なくとも、ここ五本ぐらいの記事はすべて自分でタイピングした手書きである。おそらく、アウトプットされた文章には違いはないとは思うのだけれど、書き手としてはちょっと違う感覚がある。

AIによる音声入力の手直しをベースに記事を書く手法は、自分の中でわりと確立してきた感じがしていたので、このままこれで行こうかとも思っていた。しかし、やはり思っていた以上に「最後の手直し」に時間がかかっている、というのが浮き彫りになってきた。

AIによる音声入力の手直し(一次手直し)は確かに精度は高い。日本語としてはほぼ完璧で、意味は完全にとれている。しかし、そこで出てきたものはやはり「自分の文章ではない」感覚が強い。なので、かなり手を入れないと自分の文章にならない。

しかし当たり前だが、自分でタイピングした文章は正真正銘の自分の文章なので、手直しは最小限ですむ。意外とこの「最後の仕上げ」の作業が自分の文章たらしめている部分なのかな、と気づいた次第。

もちろん、AIに自分の文章の癖まで全部読み込ませれば自分の文章っぽく出力するのは可能になるのかもしれない。しかし、どうしてもかゆいところには手が届かないだろう。そういうとき、「自分っぽさを出すために、自分っぽく書かれた文章の微調整をする」ってやっぱりなんだかちょっと嫌かもな、と思った。

それは、たとえば機械で打った蕎麦を、わざわざ手打ち風に見せかけるためにちょっと乱す、みたいなことだ。わざと最後に「人間風」に加工するのは、ものをつくる姿勢としてどうなのか? と。

読み手としては、アウトプットされたものが同じならどっちでもいいかもしれないけれど、書き手としては、一生懸命キーボードをぶっ叩くことによって生まれる手触りみたいなものを大事にしたいな、と思ったのである。結果的に、そっちのほうが時短になる感じもあるので。

自分は、新しいテクノロジーが出てきたら、とりあえず積極的に試していきたい性格ではある。なので、しばらく使ってみたこと自体はよかったとは思う。しかし、現時点においてはやはり自分の手で書くのが一番だな、という結論が出た。まあこれも、ある程度使ってみることによってわかったことではあると思う。

ちなみに仕事においては、AIの音声入力はバンバン使っていて、使用率は100%近い。もう一年ぐらいは、打ち合わせや商談においても、「メモ」というのはほとんどとっていない。全部AIに議事録をとってもらっているからだ。そのほうが楽だし、確実。

そもそもパソコンでメモをとりながら話をするというのが苦手なので、これは好都合だった。

要は、自分のこだわりのない部分はどんどんAIに任せて、こだわりたい部分は自分でやる、というように棲み分けをしていけばいいのではないだろうか。

noteを巡回していると、これ100%AIだけで書いたやろ、という記事がバンバンヒットするので、もはやこだわりのない人にとってはnoteはそういう場になっているらしい。文章なんてどうでもよく、儲かればそれでいい、という人にとっては、確かにそのほうが合理的だろう。

原稿用紙に万年筆で書く、という「手書き」にこだわる人もいるかもしれないけれど、自分はそうやって書いたことはないので、そこまでは別に必要ない。自分にとっては、キーボードを自分の指で叩くことが「手書き」なのである。




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