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日垞的俗䞖ずキリスト教的聖性のせめぎあいず重なり合い。池䞊俊䞀『ペヌロッパ䞭䞖の想像界』5

    匕き続き、こちらの本を読んでいたす。池䞊俊䞀『ペヌロッパ䞭䞖の想像界』名叀屋倧孊出版䌚、2020幎。参考文献などのペヌゞも入れるず950頁ほど。

    今回は第2郚第2章「氎」ず同第3章「火」を読みたす。けっこう長いので、できるだけ摘読は端折り目にいきたいず思いたす。

    䞊に掲げた絵画はLucas Cranach der Ältere1472-1553; 息子も同名の画家らしく、「父のルヌカス・クラナッハ」ず呌ぶようですによる「若返りの泉」です。Wikipediaに掲茉されおいたす。

    摘 読。

    氎治癒ず快楜。第2郚第2章

    人間にずっお、氎なしに生きるこずはできない。それゆえに、ペヌロッパ䞭䞖においおもたた、きわめお重芁な䜍眮づけを䞎えられおきた。

    氎ずいっおも、倚様な姿で存圚する。䟋えば、海。ギリシアやロヌマ以来、海は人を寄せ぀けない異なる䞖界であり、恐怖を惹き起こす存圚であった。それゆえに悪しきむメヌゞで語られ、裏切りや危険に満ちた地䞊の人生の喩えずもなった。だからこそ、冒険者のヒロむズムを刺激する探怜の堎所でもあった。同じように、危険性を持ちながらも、より人々を魅了し、無類の圱響を及がしたのは泉ず湖であった。そこには、異教的な神々が無害に䞭性化された存圚ずしおの女性の劖粟が枈んでいるず信じられおいた。このように、倧きさを持぀氎の空間は母性や女性性を象城するず同時に、異界ぞの通路ずもなっおいた。こずに、泉や湖が心地よき堎ずしお庭園に摂り蟌たれおいくこずになる。そこでは、氎に぀かるこずで若返りや心身の治癒・救いに぀ながるずいうむメヌゞや行為が生たれおいくこずになる。

    人が身䜓を氎に぀ける、぀たり入济するずいう行為はロヌマ時代から本栌化した。ロヌマの衰退、䞭䞖の到来ずずもに、入济習慣は忘れ去られおいったず考えられおきた。しかし、実際にはそうではなかったこずが近幎になっお刀明し぀぀ある。

    実際には5䞖玀末ごろに北むタリアの枩泉堎が再建されたりしおいたし、7/8䞖玀からは修道院や䞀郚の教䌚にも、共同济堎や蒞気颚呂郚屋が蚭眮されるようになったりした。こういった傟向は䞭䞖を通じお続いおいたようで、ずりわけ「身䜓の回埩・癒し」の感受性が存圚しおいたこずを窺わせる。

    入济は、圓初限られた人たちだけであったが、15䞖玀ごろになるず入济は垂民の家族行事ずもなっおいった。財産をも぀者は豪奢な、そうではない垂民にずっおも楜しめるような蚭備が敎えられおいった。ドむツでは湯治旅行枩泉行 Badenfahrt ずいう蚀葉が生たれおきた。こういったずころに、人々が入济するずいう習慣が根づいおいた蚌巊がある。

    加えお、郜垂の発展ずずもに「颚呂屋」も数倚く解説され、入济ブヌムが蚪れた。その埌、郜垂颚呂は埐々に衰退しおいくこずになるが、これは公衆济堎における颚玀の乱れぞの圓局の芏制ず、家庭での個人颚呂の増加が原因であっお、入济習慣が廃れたずいうこずではない。

    こういった入济習慣の根底には、氎が治癒や健康維持に぀ながるずいう信仰やむメヌゞが存圚しおいた。ペヌロッパにおいおはも、泉や湖、川ぞの信仰があった。それは治癒だけでなく、豊穣や幞運をもたらしおくれるずいう信仰ずも぀ながっおいた。

    ずころが、こういった信仰はキリスト教以前の異教的なものでもあった。それゆえ、キリスト教は氎ぞの信仰厇拝を犁じ぀づけた。なぜなら、氎そのものが聖性を持぀のではなく、キリスト教の神が神聖化するこずこそ、キリスト教にずっおは重芁だったからである。ずはいえ、キリスト教も氎ぞの信仰を吊定するこずはできなかったし、「掗瀌」ずいう儀瀌があるように、実際には氎を重芖するずいう点で倉わりはなかった。

    こういった氎ぞの信仰は、14/15䞖玀ごろから医孊的な理論が展開されおいったこずにより、治癒ずいった身心の回埩ずより匷く぀なげられおいく。その文脈で、湯治は医療の䞀環ずしお䜍眮づけられ、それに関する蚀説も数倚く提瀺された。同時に、枩泉にた぀わる語圙も明確化しおいった。それが15䞖玀や16䞖玀におけるむタリアやドむツでの枩泉文化の開花をもたらすこずになった。

    枩泉の湯治的偎面は、䞀方で身䜓的な快楜や官胜の喜びずも぀ながっおいた。それゆえに、教䌚は快楜のための入济を厳しく非難するようになる。しかし、垂民たちは、そうはいっおもその快楜を手攟すこずはしなかった。むしろ、教䌚関係者たちのなかにも入济の必芁性を唱える者たちもいた。こういったずころに、宮廷的・垂民的むデオロギヌず教䌚むデオロギヌの察峙が生たれ、ルネサンス期にも匕き続いおいく。この快楜の肯定が、ペヌロッパにおける人文䞻矩の支えの䞀぀ずもなり、文芞や絵画などの䜜品を生み出しおいくこずになる。

    こういった身䜓的快楜だけでなく、入济・氎济は魂の救枈や若返りずいった神の恩寵ずも結び぀けられた。「生呜の泉」ずいうモティヌフは聖䜓拝領のシンボルずもなった。そしお、ここでの“氎”はキリスト受難ず結び぀けられおいる。この聖䜓から流れ出る血から、聖血厇拝が生たれた。これらの生呜の泉には、济するずいう発想はない。

    このように、聖俗䞡面を倚様に持぀氎ぞのむメヌゞは、生呜の再生を含む治癒や快楜ずいう発想ず匷く結び぀いおた。それを受け継ぎ぀぀、ペヌロッパの人文䞻矩者たちによっお、颚景あるいは自然そのもののを感性的に享受する姿勢ぞず展開されおいくこずになる。ここでの自然芳の倉容は、氎のむマゞネヌルにも圱響を及がすこずになる。

    火神秘ず怪異第2郚第3章

    ペヌロッパ䞭䞖においおは、光ず闇のシンボリズムが人々の思考ず感性を倧きく枠づけおいた。もちろん、これはペヌロッパに限ったこずではない。ペヌロッパの堎合は、ずりわけそれが光神、闇悪魔ずいう人間的な宇宙論ず重なり合っお、より匷い力を持った。それゆえに、光のむメヌゞを暩力者が利甚するようになる。キリスト教の文脈では、神の偉倧さ、無限の善性、異教や無知蒙昧の闇に察する神の勝利を、光が象城するようになる。

    ただ、火ずなるず、䞀筋瞄ではいかない。その恐ろしい砎壊力ゆえに、地獄や煉獄のむメヌゞず結び぀いおもいく。

    ずはいえ、突発的な光は、圓時の人々にずっお神からの譊告などのメッセヌゞを読み取るべき察象であった。なかでも、光ず熱く燃える炎のメタファヌは聖霊を語る際に甚いられた。さらに、アりグスティヌスの考え方になるず、光の本源たる神が lux ず衚珟され、各被造物のうえを照らすず捉えられた。キリスト教においお、倩囜は光に満ちおいる。そしお、その光は人々にずっおの救いでもあった。

    ただ、これが火ずなるず、倚様な面を持぀シンボルずなる。圓初、光は聖なる祝犏された領域、火は眪人を熱し焌くための呪われた領域ず分けられるこずもあった。地獄の火は責め苊の火ずいう性質を䞎えられたが、煉獄の火の堎合は浄化ずいう圹割を担っお魂を煌めくようにさせる点で、光に通じるずころがあった。

    興味深いのは雷・皲劻である。ゲルマン神話では、雷は橋や歊噚を象城しおいた。それだけでなく、雷雚は耕地を肥沃にし、䜜物を実らせるがゆえに、人間や倧地の守り神でもあった*。

    * 日本でも、䞊賀茂神瀟の祭神である賀茂別雷呜かものわけいかづちのみこず、さらにはその父ずされる向日神瀟もずは乙蚓坐火雷神瀟。長岡京垂の角宮神瀟に比定されるこずもに祀られる火雷倧神ほのいかづちのおおかみのように、雷は萜雷からの守護であったり、雚をもたらす皲䜜の守護であったりず、䞭䞖ペヌロッパず重なり合う信仰が存圚する。

    䞭䞖キリスト教瀟䌚になっおも、この信仰は続く。ただ、皲劻には悪魔の仕業ずいう感芚もあった。悪魔や魔女などが、倩の諞力を動かしお雷を䜿うこずができるず考えられおいた。䞀方で、神の正矩の行䜿ず捉える芋方もあった。こずに、䞭䞖のキリスト教においおは、高利貞し、ダンサヌ、姊淫者、冒瀆者を眰するずいう教蚓説話が数倚く生み出された。

    このほかにも、通垞の自然珟象ずは異なる劖しい光や火に぀いおの蚌蚀は䞭䞖ペヌロッパにおいお、たくさんある。それらは人々の䞍安を掻き立お、䜕らかの䞍吉なこずの予兆ずしお受けずめられた。たた超自然的な原因の劖火は死者の矀れなど、煉獄で焌かれお浄化されるべき魂が身䜓をもっお地䞊に珟れお、莖眪しおいるず考えられおいた。これは、ゲルマン的な信仰・習俗ずキリスト教の煉獄芳念が結び぀いお生たれおきた可胜性がある。いずれにしおも、こういった超自然的な珟象は、圓時の説話や奇蹟譚ずいった文芞、絵画や圫刻などにも、象城的に描き出されおいった。

    このように、キリスト教以倖の信仰や習俗ず、キリスト教的な䞖界芳・象城芳ずが絡み合いながら、儀瀌の火が甚いられるこずになる。儀瀌における火は、聖職者たちもそれを利甚し぀぀、同時にその異教的な性栌ゆえに恐れもした。埩掻祭での光の行列などは、自然の光が消えたあずに真の光ずしおのキリストが埩掻するずいうようすを象城的に衚珟しようずする偎面もあった。こういったキリスト教における火の教矩的正圓化はアりグスティヌスなどの説によっおなされおいった。これは、ペヌロッパの人々の生掻に根匷く残り続けた火ぞの信仰を、キリスト教がいかにしお教矩や儀瀌のなかに摂り蟌んでいったのかをめぐる歎史ずしお捉えるこずもできる。

    それだけ、火が持぀砎壊力、そしおそれに察しお人が抱く信仰ず畏怖は倧きかった。それらが倧きいがゆえに、そのむマゞネヌルも倧きく膚らんでいったわけである。

    私 芋。

    土着信仰ずキリスト教ずのせめぎあい、いいかえれば生掻ず教矩のせめぎあい。そこから生じる正圓化。

    ここたでの章でも同様であったけれども、ペヌロッパにおける文化の生成においお、キリスト教がきわめお倧きく重芁な䜍眮づけにあるこずは蚀うたでもない。けれども、それだけではない。むしろ、ゲルマン民族をはじめずしお、それぞれの習俗や信仰など、それらは根匷くしぶずく生き残り続けた。

    こずに、火をめぐるむマゞネヌルをたどっおいくず、その亀錯やせめぎあいがひじょうにくっきりず浮かび䞊がっおくる。火ずいうのは明るさをもたらすものであり、幻想的でもあり、そしお恐怖を掻き立おるものでもある。

    なかでも、雷/皲劻をめぐる捉え方はたこずに興味深い。ずいうのも、雷/皲劻は蟲耕にずっお、きわめお重芁であるがゆえに、畏怖ずずもに、恵みをもたらす珟象ずしお厇められおもいた。これは、日本でも同じである。䞖界䞭すべおかどうかはわからないが、少なくずも西掋ず東掋の䞡方に存圚しおいたこずだけは事実である。

    氎の章でも出おきた入济に察する考え方の亀錯もおもしろい。氎をめぐる人間の欲望は、それずしお自然ではある。身䜓の治癒や健康の維持が、さらに人ず人ずの身䜓的接觊に぀ながっおいく。それは、展開ずしおはじ぀に自然である。しかし、それはキリスト教の教矩からすれば吊定されるべきものである。教䌚は、圓初それを吊定・非難しおいた。ずころが、さたざたな蚀説が提瀺されおいくなかで、郚分的にではあっおも、それらが正圓化されおいくプロセスは、ひじょうにダむナミックでおもしろい。

    このダむナミズムをミクロに、そしおマクロに芋おいくこずこそ、文化史のおもしろさかもしれない。そしお、それは意味がどう倉化しおいったのかを捉えおいくずいう芖座を、われわれに備えさせおくれるようにも思う。

    光ず矎。さらに叙景の問題ぞ。

    この本、ただ党郚を読めおいない。出おすぐに買ったのに。けれども、䞭䞖ペヌロッパにおいお「光」が矎を考えるうえで、きわめお重芁な䜍眮づけにあるこずは、ひずたずポむントずしお抌さえおおこう。

    光、あるいは明るさずいうこずが、矎であるずいうのは、ペヌロッパにおける矎意識に通底するずみおよいだろうか。このあたりは、さらなる怜蚎が必芁な気もする。ただ、キリスト教的な聖性を䞭心に眮くずきには、光や明るさが矎ずほが同矩的に䜍眮づけられおいるようでもある。

    このように矎の基準が宗教的に芏定されおいる、別蚀すれば、矎ず善が䞀臎しおいるこずが基本であったのが䞭䞖であったずいえるかもしれない。もちろん、そこから逞脱する矎の感芚が存圚しなかったずは蚀えない。それこそ、䞊に曞いたような異教的な信仰や習俗のなかにも、矎は芋出されおいたかもしれないのだから。

    そういった桎梏から解攟されるのが、ルネサンスあたりずいえるのかもしれないし、より確定的には“近代”であるのかもしれない。第2章の最埌に出おくる「䞭䞖から近代に移る途次で起きた自然芳の倉容」286頁ずいうずころは、ひじょうに興味深い。

    けれども、ペトラルカは叙景衚珟に優れたものを芋せおいるけれども、叙景詩を詠んだわけではない。むしろ、フンボルトのような自然科孊的な地誌描写においお“叙景”は成立したずいえるかもしれない。それは、人間ず自然ずを察眮するものではあったが。

    今回の2぀の章を読んでいお、人間が自分たちを取り囲む自然ずいう珟象にどう接しおいたか、それをどう描き出しおいたかが垣間芋えおおもしろいし、そこにおそらく矎のような感芚をも埗おいたような気がしお、さらなる論点ずしお魅かれる。

    曞き足すかもしれたせんが、時間の関係で、ひずたずここたでで。

    【远補】ダンサヌあるいはダンスの地䜍の䜎さ。

    曞こうず思っおお、曞き忘れおいたこず。
    火の章で出おくる雷によっお眰せられる4぀の者たちのうちに、ダンサヌが入っおいるのが気になる。䜕かで読んだ蚘憶があるのだが、キリスト教はダンスや挔劇に察しお、ひじょうに冷淡だったずいう。荘厳な聖歌は蚱されおも、身䜓的なリズムに任せるダンスはアンコントロヌラブルな所為ずみなされたのだろうか。

    日本においおも、舞螊/舞螏の最初はきわめおセクシャルな倩鈿女呜による倩照倧神の岩戞からの匕き出しであったわけだから、根底においおは通じるものがあるのかもしれない。

    そういえば、こちらの本でも玹介されおいたのだが、レノィナスは詩的掻動を含む芞術䜜品に、人称を非人称的な次元に匕きずり蟌んでしたうリズムの存圚を認め、吊定的にみおいるのも気になるずころである。


     
    経営孊経営孊史の研究ず教育にたずさわっおたす。胜やら和歌やら、日本の叀兞文芞がすごく奜きです。最近はサヌビスデザむンやら、意味のデザむン / 意味のむノベヌションやら、矎意識をめぐる議論やら、そういうあたりに匷く関心を持っおたす。 抜象ず具象をいったりきたりするの奜きです。

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