怒る子育ては、『ダメな子育て』ではない。
怒ってしまった後に「また怒っちゃった…」と自己嫌悪に陥ることがあった。
最近では、子どもに対して、部下に対して、パートナーに対して、声を荒げて怒ることは、『みっともないこと』とか『未熟なこと』のように言われる場面が増えたように思う。
でも本当にそうだろうか。
烈火のごとく怒る先生との出会い
子どもが幼稚園に通っていた頃の話だ。
ある年、担任になったのが、怒ると怖いと有名なベテラン先生だった。
「そんなに?」と思っていたが、お迎えのときに目の当たりにしてびっくりした。広い園に響き渡る声で、まさに烈火のごとく、ひとりの児童に対して怒っていた。
そんな先生ははじめてだったし、気づけば自分の中でも『感情的に怒る指導』は、昔のものになっていたのだろう、衝撃を受けてしまった。
他の先生を見てみると、全く驚く様子はなく、これが通常運転なのだと理解した。我が子は、この先生でやっていけるのかな?と不安を覚えた。
そこからしばらく様子を見ていた。
毎日幼稚園の話も、その先生の話もしてくれたが、どれも楽しそうな話ばかり。子どもがその先生を恐れる様子は全くなく、とても信頼している様子だった。
我が子だけに限らず、子どもたちは皆、その先生が大好きで信頼を寄せている様子だった。
なぜ「怖い先生」が信頼されていたのか
なぜ「怖い先生」が信頼されているのか。
先生にお世話になった1年を振り返ると、答えはシンプルだった。その先生が、誰よりも子どもたちに寄り添っていたからだ。
子どもたちが悲しんでいるときには、同じように悲しむ。苦手なものがあったときは、苦手だという意識を絶対に否定せず、理解してあげながらも、前向きになれるよう勇気づける。
子どもたちに寄り添うことに、いつも一生懸命だ。
そして叱るときはしっかり叱る。良くないことを良くないと伝え、危ないことを危ないと本気で止める。
烈火のごとく怒る裏には、子どもたち一人一人のことを真剣に考え、向き合いたいという意識があったのだと知った。
子どもたちは、先生の本気をちゃんと感じ取っていた。「怒るから怖い」ではなく、自分のことを想ってくれているからこそ、真剣に怒っているということをきちんと理解していたのだった。
『怒る』と『叱る』の違い
育児本を開けば「怒るのではなく、正しく叱りましょう」という言葉によく出会う。まるで「怒る」は未熟で、「叱る」は模範解答であるかのように。
でも、先生を見ていて思ったのは、そんなにきれいに分けられるものではないということだ。声は荒げていたし、感情もむき出しだった。辞書的に言えば、それは紛れもなく「怒る」だった。けれど同時に、子どもの言動のどこが良くないかをはっきり伝え、たしなめてもいた。それは「叱る」でもあった。
先生の中で、怒ると叱るは分かれていなかったのだと思う。自分自身を振り返っても、そうだった。
怒る子育て
「今日も怒ってしまった。」そうやって毎晩のように反省していたときがあった。怒る子育ては、ダメな子育てだと、どこかでインプットしてしまっていた。でも本質はそこではなかった。
いけないのは、怒りによって、子どもにストレスを与え続けてしまうこと、信頼関係を崩すこと、安心感がなくなってしまうこと。それがいけないという話だった。
烈火のごとく怒る先生との出会いでそう気付くことができた。
どうでもいい相手には、怒る労力すら使わない。怒るというのは、それだけそのことに、その人に、エネルギーを注いでいるということでもある。
もちろん、怒り方には気をつけたい。感情に任せてただぶつけるだけの怒りで、子どもを傷つけるだけで終わらないように。という意識は持っておく。でも怒ることに過剰に自己嫌悪になる必要は無かった。
「伝えるべきことを、本気で伝える」という意味での怒りは、どんな場面においても、決して悪いものではないと思う。
