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100mを7秒で走るロボットを喜ぶ私たち

偏見も混じっていることを自覚して書く。

中国のAIなどのショーで、ロボットの100m走の動画を見た人も多いだろう。
ロボットが100mを7秒台で走ったりして驚いたことだろう。

私もそこまできたのか、などと思いはした。
自立した二足のロボットがああいう速さで走ることに進歩を見るのは当然という気もする。

しかし同時に、走り切ったロボットの100mラインの向こう側にはマットがあり、そこにぶつかることが前提になっていた。
また走り切ったロボットの6体中5体は壊れて、また1体もおかしな挙動をとっていた。人間が近づくのを躊躇うような走行後の映像だった。

私はここにロボットやAIなどなどの進歩を見るというよりも、中国的な思考を見た気がしたのだ。

つまりはある結果だけが取り出されて、そのあとには何が起こってもいいということになる。
たぶん日本の技術者がこの100m走のためのロボットを作った時には、走り、止まり、そのあとも自分で帰っていくし、それらを繰り返し行うことができる、というところまでやって、やっと大会に出てくるような形になる。
誰もそんなことは言わないけれど、一回だけの使い捨てのようなものを完成品とは呼ばないだろうし、それを出して良しとしない頭が勝手に働くだろう。

これで日本が優れていると言いたいというのとは少し違っている。
中国のあのロボット100m走の動画はたぶんバズっている。

「ロボットがあんな風に走れるようになったなんて!」

という衝撃とともに、

「ロボットはあんな風に暴走したり壊れたりする」

というショッキングさや、単純な破壊的な出来事としてバズったんだと思う。
そして問題は、今AIでもなんでも資源競争のような様相を呈してきていて、話題を集めることが大切になっている。

日本の技術者が14秒で走るロボットを作り出して、終わった後にも壊れもしない、というのより、7秒で走って壊れて派手な映像で注目を集めるのと、どっちが勝っていくのだろうかということになる。

資金が集まり技術が向上し、それから遅れて安全性や再現性が保たれるようになる未来もあるかもしれない。
何かここに怖いものを感じる。

生野菜を洗剤で洗って白く見せて、新鮮なよいものとして売っているなどという中国のニュースを見るにつけ、中国に対するイメージはロボット制作のイメージと重なり補強されるけれど、実際には中国と日本の違いというよりも、何が世間に広がって世界を圧してしまうのかという話だろうと思う。

日本にも目先のもので判断する人も技術者もいるだろうし、中国にも逆がいるかもしれない。問題なのは、人間は7秒で走る成果の喧伝に引っ張られてしまうということだろうか。
注目されるということで目指される性質まで変わってしまって、そちらが先導していく。


私が納得したある話では、一時期まで日本の官僚は米国向けに何か仕事をしたほうが出世したという。一時期から今度は中国向けに仕事をした人が出世するようになったという。
現状、日本はどちらにも弱腰というか、モノが言えない状況ではあるけれど、それと同時に、評価軸が内部にあって、中国関係の成果を出すと出世するという軸を例えば、他の国に変えてしまえば国との関係も変わるかもしれないと思ったりする。
つまりは実際の何かよりも、評価軸のほうが人を動かしていることになる。

評価軸を定めさせる力学は当然あるにしても、評価軸を定めてしまうことで変えられるものもあるという気がするのだ。


アテンションが資源になっている現代では、まず注目を集める必要がある。
次段で資金や資源が集められるようになっていく。
集めた者がさらに集められる者になって、そういう者が勝つことになる。
評価軸がこのようなものに傾くことで、アテンション傾向の物造りや思考が定着していくのではないか。

アテンションと累積効果が重なるときに、私たちは評価軸を否応なく動かされてしまって、ほとんど身動きが取れないかのようだ。
喉が壊れるまで泣き叫ぶことを運命づけられた小鳥のような生き方に思えてくる。

7秒で走って壊れるロボットや、当たり障りのない文章を大量に返してくるAIや、色々に例はあるけれども、それに違和感を抱く弾力性が必要になってくる。アテンションや累積効果に疑問を差し挟む感覚が必要になるだろう。

私の印象では、まだ日本人はこれらのことに弾力性があって、またこれらのことに弾力性を持っている世界の人々もいるとは思うけれども、このように感じることさえもなくなっていく世界という気もしている。
判断がつかない程にアテンションに溺れるようなことがあって、それが状態になっていくのではないかという怖さは常にある。

これは小説などなんにでも適用されていくものなのだろう。
だから、今でも社会をうまく切ったりしているものが注目を集め賞を取る。
それはそれで受け入れる必要もあるだろうけれど、つまりは人間とはそういうものだということをわかっておく必要はあるだろうけれども、弾力性を保全する人間も必要かもしれない。


弾力性を保つこと自体がアテンションを集めない地味な仕事であり、だからこそその価値が測られにくく失われやすい。
それを保全していた日本がいた気もするけれど、その日本とか、日本的精神と今仮に大げさに言ってみるようなものが、今まさに浸食されている現代で、私たちも中国のロボットを作っている現状なのかもしれない。



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