羨ましいけど憧れない人たち
生きていると、羨ましいと思う人たちにたくさん出会う。
この「たくさん」というのは僕の場合本当にたくさんで、僕が好きな人たちや尊敬している人たちには、やっぱりどこかしら羨ましいと感じる部分が必ずある。
彼らの羨ましい部分は基本的に、僕にはできない選択、僕には言えない言葉、僕にはなれない性格など、僕にはないものたちです。
でもただ羨むだけでは、彼らを見る自分の在り方として浅はかで不誠実だと思います。なんてったって、彼らがタダで手に入れたものたちじゃないから。
僕の持っていないものを持っている彼らが、なぜそれを持っているのか、その過程に敬意を払う必要がある。
だから実際のところ僕は、彼らに対して安易に羨ましいという言葉を使わないようにしている。代わりに、憧れるという言葉を使うようにしています。
羨ましいという言葉には、ある種相手を軽視しているようなニュアンスを感じてしまいます。相手の流した汗水を無視している。
……そして、好きな人や尊敬する人たち、じゃない人たちにも、羨ましいと思う瞬間があります。
むしろ僕が羨ましいという言葉を使うのはこっちが多い。僕の中で、羨ましいという言葉と憧れるという言葉はかなり区別されていて、それは両立しないものとして存在しています。
どういうときに羨ましいと思うか。例えば、上には上がいることを知らずに謙虚さのかけらもない人、誰かの顔が曇るのに気付けないから言葉を選ばずに平気な人。
正直、彼らのことはめちゃくちゃ羨ましい。他人の痛みに、顔色に、視線に、言葉の裏の意味に、気付かないで生きることができたらどれだけ楽になれるだろうか。
でもやっぱりその人たちに憧れはしない。その人たちのようになれたら楽だとは思うけど、その人たちのようになりたくはない。
僕はいろんなところに気がついてしまうことがコンプレックスでもあるけれど、どこか誇りのように思っている節もあります。
だから僕は、羨ましい人たちより、憧れる人たちのようになれるように頑張っていきたいですね。
そして僕も、誰かに憧れだと言われるような人間になりたい。羨ましい人間じゃなくてね。
