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美空のひばりのように

台風の影響か、雨が燦々と降り注いでいます。そのせいか、どうにも最近調子がすぐれません。いろんなことがうまくいきません。「流れ」というものがこの世に存在するなら、今は完全に良くない流れが来ていると思われます。

先週末、スーパーで買ったサラダを家で取り出した瞬間、ひっくり返して床にぶちまけてしまいました。色とりどりの野菜が散らばる様子は、もはや花火のようでした。夏の風物詩とはいえ、散らかったサラダは花火のように消えてくれないので、半泣きで掃除しました。そしたら急に「家中、全部掃除しよう!」という謎のやる気が出てきました。勢いに任せて不要なものをどんどん捨てていたら、詰めすぎてゴミ袋が破れました。やりすぎたかと思い、袋を二重にしようとしたら、2枚とも破れました。

腹が立つし、汗も止まらないしで「あ~ああ~~~~~~!!!!」と発狂したら、窓開けっぱなしたったことに気がつきました。閑静なご近所に脅威を与えてしまいました。

一旦落ち着こう。自分に言い聞かせます。

静かに冷静に、「これで最後にしよう」ともう一枚ゴミ袋を取ろうとしたら、棚の引出しが外れました。IKEAだからでしょうか、簡単に戻すことができなくて私はもう一度発狂しました。

そして昨日の祝日。朝に食べようと冷蔵庫に冷やしておいたヨーグルトがなぜだか凍っていました。夏だからでしょうか、冷蔵庫が頑張りすぎていたようです。仕方ないのでそのまま食べたら、木のスプーンが折れました。私の心も折れました。

踏んだり蹴ったりされてできた傷口に塩を塗られ涙を流していたところ、泣きっ面に蜂がやってきたようなここ数日。一体、何連コンボなんでしょうか。

もう悔しいとか悲しいとかを通り越して、目が据わってきます。据わった目の奥、脳内の再生ボタンを誰かが勝手に押したかのように、今は亡き大スターの歌声が流れてきました。


でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかにいくつも時代は過ぎて

「川の流れのように」/美空ひばり

今は「流れ」が良くない、そう考えていたんです。けれど、美空ひばりが歌っていたのはそうではない。

川はまっすぐ思い通りに流れるわけではない。曲がりくねり、いくつもの時代を経ながら、それでも空が黄昏に染まるだけで満足だという達観した心情。「頑張って流れを変えよう」なんて一言も登場しません。

流れが悪いから災難が続くのではなくて、災難が続くことに「流れ」という名前をつけているだけじゃないのでしょうか。あくまで、自分が貼ったラベルだと分かっていれば、一つ一つの出来事はそれぞれ独立した問題でしかないはずなのです。

だから私は対策を考えました。サラダを買って帰ったときは必ず両手で袋から取り出します。ゴミを捨てるときは袋に詰め込まないようにします。叫びたいときは部屋の窓が閉まっているか都度確認をします。IKEA製品は丁寧に扱います。ヨーグルトは買ったその日に食べますし、金属スプーンしか使いません。

完璧。我ながら模範解答。これで大丈夫だ。そう思ったときでした。


「それでいいの?」

誰かの声が聴こえました。

「川はね、まっすぐ目的地になんて向かわないのよ。曲がりくねりながら、いつか空が黄昏に染まる、それだけで良しとする。そういう歌なのよ。まっすぐで面白味のない対策をして流れを制御しようなんて、あたし一言も歌ってないでしょ」

「なのにあんた、両手でサラダを持つだの、金属スプーンを使うだの、そんな直線的な解決策に落ち着いちゃって。それは『流れ』じゃない、ただ堰き止めているだけよ。あんたは堤防をつくりたいの?川の流れのように、曲がりくねりたいんじゃなかったの?」

大スターに正論を突きつけられ、真っ赤な太陽のように染まった頬。教科書通りの模範解答を並べてカッコつけていた自分を恥じました。

だから、今度こそ曲がりくねってみることにします。

サラダは最初から床を皿に見立てて食べます。
ゴミ袋は先に自分で少し破いておきます。「もう破れている」という状態から始めれば、破れたショックを味わうことにならないはずです。
冷蔵庫には「そこまで頑張らなくていい」と声をかけます。スプーンそのものを二度と使わず、ヨーグルトの容器に直接顔を沈めて直食いします。

それでも発狂しそうなときは、あらかじめ町内会に「不定期に絶叫します」という回覧板を回しておきます。事案ではなく風物詩として認知してもらう作戦です。そのうえで次からは「あ~ああ~~~~~~!!!!」の最後に「川の流れのように」を付けます。

あ、IKEAではもう買いません。 

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