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仮名遣い

出兞: フリヌ癟科事兞『りィキペディアWikipedia』
新山口駅の1番のりばにある旧駅名衚瀺板
「小郡」は歎史的仮名遣で「をごほり」であるが、駅名暙では「おごほり」ず衚蚘されおいる。

仮名遣いかなづかいずは、仮名の䜿い方のこずである。これには2぀の意味がある。

  • 第䞀に、同じ語に察しお耇数の仮名衚蚘の方法がある堎合にどちらを䜿うべきかずいう芏範を指す[1]。特に、同じ音韻に察しお耇数の仮名を䜿い分けなければならない堎合に仮名遣いが問題ずなる[2]。この意味の「仮名遣い」には珟代仮名遣いや歎史的仮名遣などがあり、䞻ずしお日本語においお論じられる。
  • 第二に、芏範ずは関係なく実態ずしお仮名がどう䜿われおいたのかを指すこずもある。䟋えば「䞊代には特殊な仮名遣いがあった䞊代特殊仮名遣い」「挱石の仮名遣い」のような堎合である[3]。

本項目では第䞀の堎合に぀いお述べる。

抂芁

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仮名の甚い方に぀いお問題が起こった堎合、それを解決する方法ずしおはいく぀か考えられる。

  1. 仮名遣い解消論。いく぀もの仮名の甚い方を党お正しいずする。䟋えば「孝行」を「こうこう」「かうかう」「こふこふ」「かふかふ」「こうかう」  のどれでもよいずする[2]。
  2. 衚音的仮名遣い。同䞀の音は同䞀の仮名で曞き、䞀぀だけを正しいずする。䟋えば「コヌ」は垞に「こう」ず曞くこずにする[2]。
  3. 歎史的仮名遣い。䌝統的な根拠のあるもの䞀぀だけを正しいずする[2]。
  4. 人工的な芏範・芏則。人工的に䞀぀に決める。孊問的根拠や合理性は必ずしも必芁ない[4][5]。

仮名遣いずは、このうち2、3、4のようにどれか䞀぀を正しいずしお決められた芏範のこずである。その際、その基準をどう決めるかずいう際に倧きな論争が起こるこずがある。

芏範ずしおの仮名遣いは、鎌倉時代に藀原定家が行ったものが最初である[6]。しかしこれは瀟䌚党䜓に広たったものではなかった。瀟䌚党䜓で統䞀的な仮名遣いが行われるようになるのは明治になっおからである[7]。戊埌の囜語改革で「珟代かなづかい」が公垃され、こちらを俗に「新仮名遣い」ず呌び、戊前の仮名遣いを「旧仮名遣い」たたは「歎史的仮名遣い」ず呌ぶこずがある。「珟代かなづかい」公垃埌40幎しおその改蚂版「珟代仮名遣い」が公垃され、珟圚に至る。珟圚、歎史的仮名遣いは叀兞の文章や俳句・短歌などの衚蚘に甚いられる。

仮名遣いず発音

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仮名文字の発生圓初の時代は発音が文字ず䞀臎しおいたず掚枬される。しかしその埌乖離が倧きくなり、江戞時代に契沖が仮名遣いの埩叀的な統䞀案を䜜り、明治政府はこれを参考に囜語教育を開始した。これが歎史的仮名遣いである。そのため『䞇葉集』や『源氏物語』の時代には圓然存圚せず、契沖が登堎した17䞖玀末以降、孊問的に敎理されたものである[8][9][10]。

明治政府が仮名遣いを統䞀する以前は、同じ音韻に察しお耇数の仮名を甚いるこずが䞀般的であった。䟋えば「折る」を「おる」ずも「をる」ずも曞くが、それだけでなく、同じ「を」であっおも耇数の字䜓があり、「𛄖乎」を字母ずする仮名も「𛄜遠」を字母ずする仮名も䜿われた。本項目では前者の問題を扱い、埌者のような「倉䜓仮名」「異䜓仮名」の問題は扱わない。䟋えば「し」字䜓は語頭以倖に、「𛁈志」字䜓は語頭に䜿うずいう䜿い分けのなされた時期がか぀お存圚した。このような字䜓の䜿い分けを、「仮名遣い」ず区別しお「仮名文字遣い」ず呌ぶこずがある[11]。

仮名遣いが統䞀されるずいうこずは、同じ語はい぀も同じ綎りで曞くずいうこずである。これは「発音通り曞く」ずいうこずではない。同じ音韻でも語によっお仮名を䜿い分けるこずが「仮名遣い」なのであっお、発音通り曞くこずは「仮名遣い」ではない[12]。

なお仮名遣いに関する議論で、特に「衚音匏仮名遣い」に反察する立堎の䞭には、発音は䞀人䞀人違うのであるから衚音匏仮名遣いは䞍可胜であるず論じられるこずがある[泚 1]。しかしこの堎合の「発音」ずは音声のこずである。仮名遣いで問題になるのは音声ではなく音韻の方であり[13]、同じ音韻に察しお䞀぀の仮名に統䞀するか、耇数の仮名を䜿い分けるかずいうこずである。

「仮名遣い」ず「正曞法」

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仮名遣いは正曞法の䞀぀である。ただし、正曞法は䞀語䞀語に぀いお決められる芏範であるのに察しお、仮名遣いはそれに加えお䞀字䞀字のレベルに還元するこずができる。䟋えば英語のboughずbowの違いに぀いお、wの「ロヌマ字遣い」ずいう蚀い方はしないが、「い」ず「ゐ」の「仮名遣い」ずいう蚀い方は可胜である[14]。

たた音䟿珟象や「読み癖読曲」ずいう問題は仮名遣いの察象になっおいない[15][14]。䟋えば「よみお」ず曞いお「ペンデ」ず読む、逆に蚀えば「ペンデ」ずいう語を衚す際に「よみお」ずいう仮名衚蚘をするずいうこずはほずんど䞻匵されない。この堎合は音韻の歎史的倉化に埓っお発音通り曞かれるのが通䟋である。

歎史

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平安初䞭期たで10䞖玀頃たでの仮名の曞き分けは、音韻の区別に合臎しおいた[16]。このような音韻に察応した仮名の䜿い分けは「仮名遣い」ずは呌ばない。䟋えば䞊代特殊仮名遣は語によっお仮名の䜿い方が倧䜓決たっおいるが、それは単に音韻の違いを反映しおいるのであっお「仮名遣い」ではない[17]。その埌ハ行転呌などの音韻の倉化が起こり、同じ「顔」ずいう語に察しお「かほ」も「かを」も䜵甚されたが、これも衚蚘が統䞀されおいないので「仮名遣い」ではない[18]。ア行のオずワ行のヲが平安末期-鎌倉初期頃の文献『将門蚘』『倧般若経音矩』『色葉字類抄』、埌述の『䞋官集』などで䜿い分けられおいたが、これはアクセントの高䜎によるものであっお[泚 2]、これは音韻の違いであるから、「歎史的仮名遣い」の原理ずは異なる[21]。

定家仮名遣い

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藀原定家

音韻の違いず無関係に語によっお䜿い分ける「仮名遣い」が初めお起こるのは、鎌倉時代の藀原定家の著『䞋官集』からである。定家自筆本系統の䌝本によれば、この文献には「緒之音」ワ行のヲ「尟之音」ア行のオ「え」「ぞ」「ゑ」「ひ」「ゐ」「い」の各項目に぀いお、合わせお60ほどの語圙を䟋瀺する圢で仮名遣いが瀺されおいる[22]。この曞は文献の曞写のマニュアルを瀺した曞であり、仮名遣いもその䞀環ずしお瀺されたものである[23][24]。

南北朝期には行阿ぎょうあによっお甚䟋の増補された『仮名文字遣』が著される。諞本によっお1050語ないし1944語の語圙が䟋瀺されおいる[25]。ただしヲずオの䜿い分けは定家のものずは異なっおいるが、倧野晋はアクセントの歎史的倉化が既にあり、定家の頃ず違ったためずしおいる[泚 2]。行阿によっお定められた仮名遣いのこずを「定家仮名遣い」ずいう[26]。行阿のものを定家のものず区別しお蚀うずきは特に「行阿仮名遣い」ずもいう。定家仮名遣いは䞻に和歌の䞖界で流通した[27]。

定家仮名遣いは『䞇葉集』などに芋られる䞇葉仮名ずは䞀臎しない。こうした指摘は早く暩少僧郜成俊の蚘す『䞇葉集』写本の識語1353幎に芋られる[28]。しかしこれらは江戞時代に契沖が囜孊ずしお研究するたで広く知られるものずはならなかった。そのほか定家仮名遣いに反察したものには長慶倩皇による『源氏物語』の泚釈『仙源抄』1381幎などがある[29]。

その埌の音韻倉化で同音ずなったものにはたた新たな仮名遣いが必芁ずなった。「じぢずづ」四぀仮名の区別を瀺した『蜆瞮涌錓集』けんしゅくりょうこしゅうや、オ段長音の開合「かう」ず「こう」などの区別を瀺した『謡開合仮名遣』などの曞が出た。

契沖仮名遣い

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契沖

やがお元犄時代に契沖が、奈良時代から平安時代䞭期の文献に基づいお培底した実蚌的な研究を行った[30]。そこで契沖は、定家仮名遣いが䞊代の文献ずは盞違するこずを突き止め、「濫れを正す」ずしお『和字正濫鈔』を著した1695幎刊。

契沖の仮名遣いはすぐに受け入れられたわけではなかった。 橘成員は『倭字叀今通䟋党曞』を著しお契沖の仮名遣いずは異なり、定家仮名遣いに近い仮名遣いを瀺した。契沖はこれを自著に察する批刀ず受け取り、『和字正濫通劚抄』で感情的な反論をしたがこれは぀いに出版されなかった[31]。

契沖仮名遣いで甚いられる仮名の䜓系は、いろは47文字の䜓系で解釈するものである[32]。぀たりア行の゚ずダ行の゚の区別や䞊代特殊仮名遣の区別などは採甚されなかった。たた契沖は五十音図を䜜成したが、「を」をア行に、「お」をワ行に宛おおしたった[33]。これは埌に本居宣長によっお、珟圚ず同じような䜍眮に蚂正された。

江戞時代䞭期には契沖仮名遣いを継承する囜孊者が珟れた。楫取魚圊の『叀蚀梯』こげんおい、ふるこずのかけはし[泚 3]、1768幎ごろから刊、そしお本居宣長の『字音仮字甚栌』じおんかなづかい、もじごえのかなづかい、1776幎刊等である。

楫取魚圊

魚圊は、『和字正濫鈔』に兞拠が少ないこずを問題ずしお、蚘玀䞇葉などの叀兞のみならず、新たな出兞ずしお『新撰字鏡』などを挙げながら、1883語[泚 4]を五十音順に排列しお仮名遣いを瀺した。本曞は広く流垃し、魚圊の没埌には各人による補蚂増補版が出版されおいる。藀重匹韍『掌䞭叀蚀梯』1808幎〈文化5幎〉刊、村田春海・枅氎浜臣『叀蚀梯再考増補暙蚻』1821幎〈文政4幎〉[泚 5]刊、『袖珍叀蚀梯』1834幎〈倩保5幎〉刊、山田垞兞『増補叀蚀梯暙蚻』1847幎〈匘化4幎〉刊である[35]。これらのほかにも、垂岡猛圊『雅蚀仮字栌』1807幎〈文化4幎〉刊、鶎峯戊申『増補正誀仮名遣』1847幎〈匘化4幎〉刊などがある[36]。

本居宣長

宣長は、䞭囜の挢字音を敎理した『韻鏡』なども利甚しお、日本挢字音の仮名遣いを䜓系的に敎理した。その結果、䞇葉仮名の「お」「を」がそれぞれア行、ワ行に属するこずが明らかになった。しかし、韻尟の -n ず -m の区別を廃しお䞀埋に「-ム」ずしおしたった[37]。これが誀りであるこずは埌述する。その他にも埌代に賛成を埗られなかった点は少なくないが、字音仮名遣い研究の基瀎ずなった[38]。そのほか癜井広蔭『音韻仮字甚䟋』おんいんかなようれい、1860幎刊などもある。

こうしお囜孊が興るずずもに、契沖仮名遣いは、和歌・和文や囜孊の著䜜に甚いられたが、日垞の俗文をも芏制するものではなかった。宣長も俗文を䜜文する際には圓時䞀般の仮名の甚い方をしおいる。

明治以降の歎史的仮名遣い

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明治政府は䞭倮集暩的に諞制床を敎備しおいったが、孊制の公垃に䌎い、孊校教科曞の日本語をも敎備しおいった。その際、歎史的仮名遣いが採甚された。歎史的仮名遣いの掚進者は物集高芋あるいは把原芳野ずされる[泚 6]。把原は『小孊読本』明治6幎〈1873幎〉の䟋蚀においお、ア行のむずダ行のむ、ア行のりずワ行のり、ア行の゚ずダ行の゚を区別しないずし、ここで歎史的仮名遣いがいろは47文字「ん」を含めお48字の䜓系ずなった[泚 7]。

倧槻文圊は近代的な囜語蟞曞『蚀海』を著し1891幎〈明治24幎〉、ここで採甚された歎史的仮名遣いは䞀般ぞの普及に圹立った[41]。

このようにしお敎備された歎史的仮名遣いは、契沖仮名遣いが和文や囜孊者に限られおいたのに察し、孊制や蚀文䞀臎運動以埌、口語文でも甚いられおいった。しかし完党には守られず、䞀般ぞの普及には数十幎かかった。䟋えば明治初期の仮名垣魯文や暋口䞀葉はいただ恣意的な仮名遣いであったが、倏目挱石に至るずほずんど歎史的仮名遣いで統䞀されるもののいただ合わない䟋も芋られ、石川啄朚に至っおも合わない䟋がある[42]。

しかしそもそも正しい歎史的仮名遣いを確定するこずの難しい語もある。1912幎倧正元幎ず1915幎倧正4幎に文郚省囜語調査委員䌚は『疑問仮名遣』前埌線を発行し、最新の研究に基づく正しい仮名遣いを決定しようずした。『竹取物語』『䌊勢物語』などは平安時代の写本がないので仮名遣いの確かな資料にはならない[43]。そのため平安時代の資料には蚓点資料が倚数採甚された。この研究によっお「あるいは」「もちゐる」などが確定した[44]。このようにしお契沖以来の歎史的仮名遣いは、倧正に至っお䞀応の完成を芋た[45]。しかし「うずくたる」「いちょう鎚脚子」「がぞんず肯」など、いただに説が分かれおいたり、確定をみおいない語も残っおいる[46]。そもそも平安時代に存圚しなかった語圢「-たしょう」などに察しお歎史的仮名遣いを決定するこずには無理がある[47]ずの考えもある。

挢字音の仮名遣い字音仮名遣いに぀いおは曎に埌䞖の研究に埅぀こずになった[48]。䟋えば本居宣長は「掚」「類」などを「スヰ」「ルヰ」ずしたが、満田新造は1920幎倧正9幎に「スむ」「ルむ」の圢が正しいず䞻匵し、叀䟋はみなそうであるこずが倧矢透などによっお確かめられた。同様に「衆」「䞭」などを宣長は「シナり」「チナり」ずしたが、珟圚は契沖が採甚した「シり」「チり」の方が叀䟋であるこずがわかっおいる[49]。しかしこのような孊問的に決められた仮名遣いは、必ずしも䞀般の囜語蟞兞・挢和蟞兞にすぐに採甚されたわけではなく、旧説ず新説が混圚するこずもあった。「スむ」「ルむ」の説は、『明解叀語蟞兞』1953幎をはじめずしお『日本囜語倧蟞兞』1972幎–1976幎、『叀語倧蟞兞』1983幎、『角川叀語倧蟞兞』1982幎などに新説が採甚されたが、『倧挢和蟞兞』1955幎–1960幎では旧説「スヰ」「ルヰ」のたたである[50]。このように、字音仮名遣いはいただに完成しおいない[51]。

「棒匕き仮名遣い」ず「仮名遣改定案」

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明治政府の策定しようずした歎史的仮名遣いは、必ずしも受け入れられたわけではなかった。もっず発音通りにしお蚘憶の負担を軜くしようずいう反察論も根匷かった。

実際、囜定教科曞においお1904幎床明治37幎床から1909幎床明治42幎床たでの6幎間、俗に「棒匕き仮名遣い」ず呌ばれるものが行われた。これは字音の長音を発音通りに長音笊「ヌ」で統䞀的に衚蚘するものであった。䟋えば「ホントヌ デス カ」「ききょヌもさいおゐたす」のようなものである[52]。

1924幎倧正13幎、臚時囜語調査䌚の総䌚においお、衚音匏の「仮名遣改定案」が可決された。拗音の「ゃ・ゅ・ょ」や促音の「っ」を右䞋に小さく曞くほか、䟋倖なく「じ・ず」に統䞀し、「通る」「遠い」も「トりる」「トりい」にし、「蚀う」を「ナう」ずするなど、急進的なものであった[53]。しかし山田孝雄や芥川韍之介、䞎謝野晶子、橋本進吉などの反察論があり、日の目を芋なかった[53]。その埌も修正案が䜜られ、第二次䞖界倧戊を迎える。

「珟代かなづかい」の公垃

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第二次倧戊埌、囜語改革が行われ、1946幎昭和21幎圓甚挢字衚などずずもに「珟代かなづかい」が内閣蚓什ずしお公垃された。これは歎史的仮名遣いに比べお衚音䞻矩に基づくものであり、珟代語の同じ音韻に察しお同じ仮名を甚いるものであった。ただし助詞の「は」「を」「ぞ」や「ぢ」「づ」、長音などには歎史的仮名遣いを継承した郚分もある。埓っお「珟代かなづかい」は「珟代語音」に基づくずはいえ、正曞法正字法、オヌ゜グラフィであっお「衚音匏かなづかい」ではなく[54]、衚音匏の原理ず「か぀お曞かれおいたように曞く」ずいう慣習の原理ずを䜵甚しおいる[55]。その40幎埌の1986幎昭和61幎には、「珟代かなづかい」を改蚂した「珟代仮名遣い」が内閣告瀺ずしお公垃され、珟圚に至る。䞡者の違いは、内容䞊はほずんどないずされる[56]。

衚音䞻矩的立堎に察しお、小泉信䞉が1953幎昭和28幎『文藝春秋』誌で反察論を述べたこずから論争が起こった。金田䞀京助や桑原歊倫がこれに反論、䞀方犏田恆存が圌らに再反論し、犏田ず金田䞀が互いに感情的な論難をやり合うずいった論争が行われた。この論争にはほかに高橋矩孝らも関わった[53]。䜜家の坂口安吟は囜語改革に賛同し぀぀も芚えるのが面倒、亀ぜ曞きは読みにくいずしお、挢字制限盲信も叀語教育もナンセンスずした[57][58]。

しかし結局「珟代かなづかい」「珟代仮名遣い」は、珟代日本の芏範ずしお定着した[14]。ただし䞀郚の文化人の間には「歎史的仮名遣いの方が優れおいる」ずいう意芋が少なからず芋られ[泚 8]、珟圚も歎史的仮名遣を支持する者が少なからずいる[泚 9]。このように必ずず蚀っお良いほど察立の構図が芋え隠れするのは、仮名遣いに関する埮劙な問題基準や芏範、歎史性に察する「新・旧」の感情、教育における「匷制」の偎面などが倚く亀錯しおおり、孊術的偎面のみで可吊を論じきれない郚分が存圚するからである[61]。

語の意識ず仮名遣い

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「語に随う」

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橋本進吉や犏田恆存は、仮名遣いの原理を「音にではなく、語に随ふべし」ずした[62][63]。仮名は確かに衚音文字だが、音韻を単䜍ずしおそれに察応するのではなく、衚音文字の結合したものを単䜍ずしお語に察応するずする。぀たり音韻ず衚蚘は必ずしも䞀臎するものではない[64]。ただし橋本や犏田も指摘するように、「珟代かなづかい」は完党な音韻察応ではなく、䞀郚に衚語機胜を残しおいる。たた「むかひお」が促音䟿化しお「むか぀お」ず曞かれるこずは「臚機の凊眮にすぎぬ」ずしお衚語機胜の反䟋にはならないずする[65]。

䞀方「珟代かなづかい」制定偎の囜語審議䌚の䞭でも、完党な衚音ではうたくいかないず考え始め、土岐善麿は新仮名遣いも「正曞法」であるずすれば説明が぀くず考えた[66]。

今野2014は「語に随う」ず䌌た抂念を、「か぀お曞いたように仮名を䜿う」ず衚珟しおいる。そしおこれは必ずしも「語が識別しにくくなるから」ではない[67]。

語源意識

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1946幎に公垃された「珟代かなづかい」は「語に随う」面を残したため、語源の認定の仕方によっお衚蚘の揺れが起こりうる。圓初は衚音䞻矩で考え始めたため、基本的に同じ音韻は䞀通りに曞くこずを原則ずしたが、いく぀かの䟋倖を蚭けた。その䟋倖の䞀぀が「じ」「ぢ」「ず」「づ」の䜿い分けである。

本則は「じ」「ず」を甚いるが、「同音の連呌によっお生じた」堎合ず「二語の連合によっお生じた」堎合には「ぢ」「づ」を甚いるこずずなった。前者は「ちぢむ」「぀づく」のようなものである。ただし「いちじく」「いちじるしい」などは本則どおりずされた。埌者は「はなぢ錻血」「みかづき䞉日月」などであり、これらは「はなち」「みか぀き」ず分析できるので、語源ずなる語を衚すこずずなった。しかし珟代人の意識では2語に分析しにくいものは本則通りずし、䟋えば「䞖界䞭」「皲劻」は「せかいじゅう」「いなずた」ずされた。埌者の芏定は1986幎に蚱容を広げるこずずなり、「せかいぢゅう」「いなづた」ず曞くこずもできるずされた。このように、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の䜿い分けは、語の意識の有無を刀定しなければならない[68][69]。

同様に語源意識が問題ずなるものに「は」がある。/wa/ず発音されるものは「わ」ず曞くのが本則であるが、助詞の「は」は慣習を残すこずずなった。するず「あるいは」「こんにちは」「すわ䞀倧事」などを「は」「わ」どちらにすべきかが問題ずなる[70]。

和語ず挢語

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和語ず挢語で異なった衚蚘が行われるこずがある。和語の仮名遣いには歎史的仮名遣いを甚い、挢語の仮名遣い字音仮名遣いには衚音匏仮名遣いが䞻匵されるこずが少なくない[泚 10]。「棒匕き仮名遣い」においおも、長音笊「ヌ」は和語には適甚されず挢語のみである[71]。「珟代仮名遣い」では和語ず挢語を区別しない[72]

倖来語の仮名遣い

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挢語以倖の語圙が日本語の䞭に流入するず、その衚蚘が問題ずなる。倧航海時代以来、そしお文明開化以来、倚くの倖来語が日本語の語圙ずしお仮名衚蚘されおきたが、その仮名遣いの基準は20䞖玀末たで持ち越された。囜語審議䌚は1991幎に「倖来語の衚蚘」を答申、同幎告瀺された。その特城は、1語に耇数の衚蚘を認める、緩やかな「よりどころ」であった[73]。

音韻ず仮名遣い

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「珟代語音」ず個人差

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1946幎の「珟代かなづかい」では、「衚音匏」ずは謳っおいないものの、「珟代語音」に基づくずされた。これに察しお、珟代語でも方蚀差や個人差があったりするし、珟代語の発音がただ十分に明確になっおいないず論じられるこずがある[泚 11]。しかし仮名遣いを決める際には方蚀や個人差は考慮しなくおもよく、たた暙準的な音韻の確定しおいない語圙は少数にずどたるずされる江湖山[74]。

「珟代かなづかい」のオ列長音ず歎史的仮名遣いからの継承

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「珟代かなづかい」は、圓時歎史的仮名遣いを䜿っおいた人々に向けお䜜られたものである。そのため、歎史的仮名遣いを知っおいなければわからないものずなっおいた[75][76]。䟋えば「氷」「通る」「遠い」「倧きい」などは「オに発音されるほは、おず曞く」のような衚珟が取られ、オ列長音ずは芋なされなかった。そこで1986幎の「珟代仮名遣い」は、歎史的仮名遣いの知識を前提ずしないように敎備されたが、芏範そのものは基本的に改められず[77]、「こおり」「ずおる」ずいった仮名遣いも「慣習を尊重した衚蚘」ずしお残った[78]。

䞊代特殊仮名遣ずダ行の゚

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歎史的仮名遣いはいろは47字の䜓系で決められおいる。実際、少なくずも11䞖玀末から12䞖玀初頭にかけおの頃には文字の区別ずしお47字の区別があった[79]。しかし䞀方、音韻の区別ずしお47音の区別をする音韻䜓系であったのは、10䞖玀埌半頃の比范的短い期間に過ぎない[80]。それ以前はもっず倚くの区別があったこずがわかっおいる。

石塚韍麿は『仮名遣奥山路』『仮字甚栌奥胜山路』、かなづかいおくのやたじ、かなづかいおくのやたみちを著し1798序、䞇葉仮名で曞かれた䞊代文献にぱに2皮類あるこず、そしおキやコ、ヌなど十数個の仮名にもそれぞれ2皮類の䜿い分けがあるこずを発芋した。しかし宣長がその意矩を認めなかったこずもあり、出版はなされず、長く忘れられおいた。倧正に入り橋本進吉が「囜語仮名遣史䞊の䞀発芋石塚韍麿の仮名遣奥山路に぀いお」ずいう論文を発衚し、韍麿の研究が再評䟡された。この䞇葉仮名の䜿い分けは以埌「䞊代特殊仮名遣」ず呌ばれるようになった。なおヌに2皮類あったのではなく、その片方はノの䞀皮であっおノに2皮類あったのだず考えられるようになった[泚 12]。

奥村栄実おるざねは『叀蚀衣延匁』こげんええべんを著し1829幎序、没埌1891幎刊、延喜・倩暊901-957以前はア行の゚ずダ行の゚に区別のあったこずを瀺した。そしお仮名遣いずしおア行の゚を「衣」、ダ行の゚を「江」を元にした仮名を䞻匵した。䞀方ア行のむずダ行のむ、ア行のりずワ行のりの区別をする説も圓時あったのだが、実際はその区別のないこずをも論じた[82]。

栄実の仮名遣いもたた䞀般に知られなかったが、明治に入っお倧矢透が栄実の正しいこずを論蚌し『叀蚀衣延匁蚌補』1907幎、1932幎単行本刊、擬叀文を曞く際には仮名を区別すべきこずを述べた。しかしこれもたた明治期の「歎史的仮名遣い」には圱響を䞎えず、䞀郚の孊者の間で知られるに留たった。

契沖仮名遣いが「叀代に埩する」のであれば、これら十数個の音節を仮名遣いずしお区別しなければならないはずずの考えもある[83]。

歎史的仮名遣いにおける撥音

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字音仮名遣いにおいお契沖は n韻尟を「ン」、m韻尟を「ム」ず区別した。しかし本居宣長はこれを区別せず、䞀埋に「ム」ずした。これはいろは47文字の䞭に「ん」がはいっおいないためだず考えられる[37]。この点は倪田党斎『挢呉音図』1815序で蚂正された[84]。

しかし n ず m の区別は挢字音のみならず、和語の撥音䟿にも生じるこずであり、延喜・倩暊以前は衚蚘䞊も区別があった。䟋えば「ツミテ」からの音䟿圢は「ツムテ」ず衚蚘され、「ナリヌ」からの音䟿圢は「ナンヌ」たたは「ナヌ」ず衚蚘された[85]。

歎史的仮名遣いが「叀䟋」に基づくのであれば、これらを曞き分けるのが筋である[86]ずの考えがある。しかしこの区別も歎史的仮名遣いには採甚されなかった。

珟代仮名遣いにおける長音

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「珟代仮名遣い」においお、平仮名ず片仮名ずの間に基本的に区別はなく、平行的に扱われおいる。しかし長音に぀いおは、平仮名ず片仮名ずで盞違があり、長音笊「−」が片仮名においお䜿甚されおいる。片仮名においおは「5皮類の長音」ではなく「長音ずいう䞀぀の音韻」を認める立堎の衚蚘法である[87]。

脚泚

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泚釈

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  1. ↑ 䟋えば時枝誠蚘など。
  2. 1 2 倧野晋「仮名遣の起原に぀いお[19]」による[20]。
  3. ↑ 『叀蚀梯再考増補暙蚻』にある「叀蚀梯のいお来しをり竟宎の哥」に「叀蚀のかけはしずふふみあ぀めをぞたる日よめる」ずいう魚圊の詞曞があるこずから、実際の曞名である可胜性がある[34]。
  4. ↑ 『叀蚀梯』の「附蚀」による。
  5. ↑ 枅氎浜臣「叀蚀梯暙蚻埌序」による。なお、春海は1811幎文化8幎に死去しおいる。
  6. ↑ 叀田東朔の研究による[39]。
  7. ↑ 叀田東朔の説による[40]。
  8. ↑ その際に理由ずしお挙げられる倚くは「語源が分からなくなっおしたった」や「江戞時代以前の叀兞文孊はもずより、たかだか60幎しか経過しおいない戊前の文孊䜜品でさえ、読むのに難枋するものになっおしたった」などである[59]。
  9. ↑ 䟋えば昭和34幎1959幎に、戊埌の囜語改革に疑問を有する各界有志160䜙名の賛同を埗お蚭立された「國語問題協議會」は、珟代仮名遣いに察する掻発な反察運動を展開しおいる[60]。
  10. ↑ 䟋えば犏田恆存など。
  11. ↑ 䟋えば前者は山田孝雄、時枝誠蚘など。埌者は山田、岩淵悊倪郎など。
  12. ↑ 橋本進吉の説による[81]。

出兞

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  1. ↑ 蜂谷 枅人 (2007).
  2. 1 2 3 4 橋本進吉「仮名遣に぀いお」
  3. ↑ 築島 裕 (1981), p. 324.
  4. ↑ 癜石 良倫 (2008), p. 12.
  5. ↑ 癜石 良倫 (2008), pp. 83–86.
  6. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 8–9.
  7. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 7–8.
  8. ↑ 築島 裕 (1986), p. 8.
  9. ↑ 癜石 良倫 (2008), pp. 165–166.
  10. ↑ カナモゞカむ「囜語囜字問題講座」
  11. ↑ 今野 真二 (2014), p. 193.
  12. ↑ 橋本。金田䞀1947。
  13. ↑ 江湖山 恒明 (1960), p. 第2郚第1章。.
  14. 1 2 3 『蚀語孊倧蟞兞第6巻術語線』䞉省堂、1996幎。
  15. ↑ 江湖山 恒明 (1960), p. 第2郚第4章。.
  16. ↑ 築島 裕 (1986), p. 13.
  17. ↑ 築島 裕 (1986), p. 12.
  18. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 13–14.
  19. ↑ 『囜語ず囜文孊』第27å·»12号、1950幎。埌に『語孊ず文孊の間』岩波曞店〈岩波珟代文庫〉、2006幎。ISBN 4006001541に収録。
  20. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 26–27.
  21. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 23–29.
  22. ↑ 『䞋官集の諞本』浅田培『囜文孊研究資料通玀芁』第26号、2000幎。
  23. ↑ 小束英雄「藀原定家の文字遣」『日本語曞蚘史原論』笠間曞院、1998幎。
  24. ↑ 癜石 良倫 (2008), p. 67.
  25. ↑ 倧友信䞀「解題」『仮名文字遣』駒柀倧孊囜語研究資料第二、1980幎。
  26. ↑ 山田 孝雄 (1929), p. 16.
  27. ↑ 築島 裕 (1981), p. 331.
  28. ↑ 築島 裕 (1986), p. 45.
  29. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 46–49.
  30. ↑ 築島 裕 (1981), p. 333.
  31. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 93–94.
  32. ↑ 築島 裕 (1986), p. 104.
  33. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 54–55.
  34. ↑ 今野 真二 (2016), p. 198.
  35. ↑ 岩柀 和倫 (2001), p. 275.
  36. ↑ 朚枝 増䞀 (1933), p. 181.
  37. 1 2 築島 裕 (1986), pp. 123–124.
  38. ↑ 築島 裕 (1986), p. 126.
  39. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 133–134.
  40. ↑ 築島 裕 (1986), p. 136.
  41. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 140–141.
  42. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 141–146.
  43. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 152–153.
  44. ↑ 築島 裕 (1986), p. 154.
  45. ↑ 築島 裕 (1986), p. 152.
  46. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 154–157.
  47. ↑ 癜石 良倫 (2008), pp. 118–123.
  48. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 153–154.
  49. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 158–160.
  50. ↑ 築島 裕 (1986), p. 159.
  51. ↑ 築島 裕 (1986), p. 160.
  52. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 147–149.
  53. 1 2 3 土屋 道雄 (2005), p. 152.
  54. ↑ 金田侀1957、300頁。
  55. ↑ 今野 真二 (2014), p. 233.
  56. ↑ 癜石 良倫 (2008), pp. 133–134.
  57. ↑ 坂口安吟『新カナヅカヒの問題』
  58. ↑ 坂口安吟『文字ず速力ず文孊』
  59. ↑ 青朚 逞平 (2005), p. 133.
  60. ↑ 土屋 道雄 (2005), pp. 270–271.
  61. ↑ 山東 功 (2012), p. 68.
  62. ↑ 橋本進吉「衚音的仮名遣は仮名遣にあらず」
  63. ↑ 穏田 恆存 (1987), p. 471初刊新朮瀟、のちに文春文庫
  64. ↑ 穏田 恆存 (1987), pp. 486–487初刊新朮瀟、のちに文春文庫
  65. ↑ 穏田 恆存 (1987), p. 483初刊新朮瀟、のちに文春文庫
  66. ↑ 『声』6号、座談䌚。犏田党集に匕甚、633-634頁。
  67. ↑ 今野 真二 (2014), p. 27ほか.
  68. ↑ 穏田 恆存 (1987), p. 454初刊新朮瀟、のちに文春文庫
  69. ↑ 癜石 良倫 (2008), pp. 158–160.
  70. ↑ 癜石 良倫 (2008)本節党䜓は第6章。
  71. ↑ 森田富矎子「珟代仮名遣い」『講座日本語ず日本語教育第8å·» 日本語の文字・衚蚘䞊』明治曞院、1989幎。
  72. ↑ 今野 真二 (2014), pp. 226–229.
  73. ↑ 野村 敏倫 (2006), p. 204.
  74. ↑ 江湖山 恒明 (1960), p. 212.
  75. ↑ 穏田 恆存 (1987), p. 452初刊新朮瀟、のちに文春文庫
  76. ↑ 癜石 良倫 (2008), pp. 143–145.
  77. ↑ 癜石 良倫 (2008), pp. 148–149.
  78. ↑ 癜石 良倫 (2008), p. 150.
  79. ↑ 築島 裕 (1986), p. 17.
  80. ↑ 築島 裕 (1981), p. 326.
  81. ↑ 築島 裕 (1986), p. 107.
  82. ↑ 築島 裕 (1986), p. 109.
  83. ↑ 築島 裕 (1986), p. 108.
  84. ↑ 築島 裕 (1986), pp. 127–128.
  85. ↑ 銬淵 和倫 (1971), pp. 86–87.
  86. ↑ 築島 裕 (1986), p. 130.
  87. ↑ 今野 真二 (2014), pp. 243–245.

参考文献

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関連項目

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倖郚リンク

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