石神井川
| 石神井川 | |
|---|---|
|
練馬区石神井町1丁目と南田中5丁目付近。 (2016年4月) | |
| 水系 | 一級水系 荒川 |
| 種別 | 一級河川 |
| 延長 | 25.2 km |
| 流域面積 | 61.6 km2 |
| 水源 |
小金井ゴルフ場 (小平市花小金井南町) |
| 河口・合流先 |
隅田川 (北区堀船) |
| 流域 | 東京都 |
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石神井川(しゃくじいがわ)は、東京都を流れる一級河川である。荒川水系の支流の一つ。流路延長25.2 km、流域面積61.6 km2[1]。
名称は、小平市・西東京市で「悪水」、西東京市・練馬区の一部で「大川」、練馬区・板橋区で「石神井川」、北区で「音無川」「王子川」「滝野川」と呼ばれた[1]。
概要
[編集]東京都小平市花小金井南町に源を発し、東京都北部を東へ流れて北区堀船三丁目で隅田川に合流する。東京都小平市、西東京市、練馬区、板橋区、北区を経る。
上流域
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(小平市花小金井南町)
(2025年4月)
小平市花小金井南町にある小金井カントリー倶楽部西側付近、小金井公園付近の湧水を水源とする[2]。政令上の一級河川起点は「左岸:小平市花小金井南町三丁目1218番地先、右岸:同市同町三丁目1217番地先」[3](住居表示は「小平市花小金井南町三丁目2番地先」[1])で、小金井公園北端の公園北橋に上流端標識がある。河川としての流路はさらに西に遡り、嘉悦大学敷地内に伸びている[4]。
同ゴルフ場から西東京市の南を流れる。小平市・西東京市を通る上流部は湧水のみによって涵養される小河川であり、梅雨時や大雨のときを除いて全く水がないか水溜りになっていることが多く[2]、練馬区に入るまで大部分は暗渠や柵渠となっている。西東京市では1981年竣工の南町調節池、1982年竣工の芝久保調節池、1984年竣工の向台調節池が設けられ、増水時に川の水を貯留する[5]。また東京都により、地下トンネル方式による石神井川上流地下調節池事業が進められている[6]。
東伏見稲荷神社から武蔵関公園までの流域は調布保谷線(三鷹都市計画道路3・2・6号)、東伏見公園整備事業と一体となった、親水広場や自然散策路などの環境整備が進んでいる[7]。
中流域
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(練馬区上石神井)
(20211年5月)
練馬区に入ると、武蔵関公園辺りから同公園の富士見池、石神井公園の三宝寺池と石神井池、豊島園池などの湧水や河床からの湧水が合わさるため、涸れ川は見られなくなる。富士見池では湧水が減少し、地下水の揚水などによって池の水が維持されており、わずかな溢水が石神井川に流入している[2]。富士見池は調整池としての役割も果たしており、石神井川からの取水や排水設備を備えた、1973年に竣工した東京都内で最初に整備された調整池となっている[8][9]。
三宝寺池は井の頭池や善福寺池とならぶ武蔵野三大湧水池として知られ、かつては石神井川の主水源であった[10]。三宝寺池は周辺地域の都市化により湧水が減少したため、1971年からは深井戸により地下水をポンプで揚水して補給している[11]。
石神井池は元は三宝寺池から東流する流れ(三宝寺川)の低地で、1934年頃にこの川を途中で堰き止めて人工池とし、ボート遊びなどができる場所として整備された。1959年から東京都の管理下となり、二つの池を中心に石神井公園として開園した。三宝寺池からの湧水がほとんど期待できなくなった1958年には石神井池も深井戸を掘り揚水している。2013年以降はアオコ対策のため井戸を停止しており、現在は三宝寺池下端のひょうたん池から繋がる導水路を通じて給水されている。石神井川へ通じる水路は現在遮断されており、池からの排水は下水道へ流れる構造となっている[12]。
城北中央公園の途中で板橋区に入り、桜川一丁目で田柄川と合流する。また、同公園地下において豪雨災害対策の調節池工事が進められている[13]。同区中板橋付近から加賀付近までの川沿いは「石神井川の桜並木」として、「板橋十景」の一つに数えられている[14]。
下流域
[編集]JR埼京線(線路名称上は赤羽線)・滝野川橋梁付近より北区に入る。江戸時代、金剛寺一帯の流域は「滝の川」と呼ばれる渓谷となっており、その崖の岩屋弁天(松橋弁財天)の祠や弁天の滝も名所となっていたが、1958年の狩野川台風により崩壊した。滝野川の蛇行部はその後の直線化工事により、現在の音無もみじ緑地となった[15]。
王子神社付近では熊野川に倣い、石神井川を「音無川」と称した[16]。現在の音無親水公園一帯は「王子七滝」と呼ばれる7つの滝(権現の滝・大工の滝・不動の滝・見晴の滝・弁天の滝・稲荷の滝・名主の滝)が連なり、歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれた[17]。しかし昭和40年代以降の洪水対策としてのコンクリート壁による護岸工事や、下記の飛鳥山分水路建設などで景観は大きく変貌している[18]。
王子駅付近の蛇行部での水害解消のため、飛鳥山公園と京浜東北線等の地下を通して流路を直線化する飛鳥山分水路が建設され、第一期工事は1968年(昭和43年)に、第二期工事は1983年(昭和58年)に完成した。分水路による直線化後に残された旧流路(本川)の一部は音無親水公園として整備された[19]。王子駅付近は潮汐の影響を受ける感潮区間に位置しており、しばしばスカムと呼ばれる汚濁浮遊物やゴミ等の滞留がみられ、悪臭や河川景観の悪化が問題となっている[20][21][22]。2009年(平成21年)3月2日には、JR王子駅構内のトイレの汚水が下水道工事の不備により40年以上にわたって川に垂れ流しされており、川から発生する悪臭の一因となっていたことが判明した[23]。都や北区では環境改善のため、浚渫や水面清掃等の各種対策を実行している[24]。
歴史
[編集]名称
[編集]石神井川の名称は、石神井村を貫流する川だったために村の名前にちなんで呼ばれたと言われている。石神井村の名前は、東日本に多いミシャクジ信仰に類する「石神」[注 1]に由来し、村内に昔からあったこの「石神」は三宝寺池から出たとも、井を掘っていたら土中から出たとも伝えられる[1]。
石神井川は、小平市・西東京市では「悪水」、西東京市・練馬区の一部では「大川」、練馬区・板橋区では「石神井川」、北区で「音無川」「王子川」「滝野川」と呼ばれた[1]。「滝野川」という別称は北区滝野川の地名にも残っており、近藤勇の墓所がある。かつて、この地域の石神井川が「滝のように勢いよく川の流れが激しかった」ことに由来する。
変遷
[編集]上流域(小平市・小金井市・西東京市)
[編集]戦後間もない時期の空中写真では、現在の小平市鈴木町一丁目[9]の鈴木小学校体育館付近の谷頭部(周囲標高はおよそ73メートル)の湧水を水源とする流路が東へ延びていた[25]。
中流域(練馬区)
[編集]練馬区内での石神井川は、区の中央部やや南寄りを東西へ貫くよう流れている。現在は河川改修により、練馬区内をほぼ一直線に流れているが、元々は大きく蛇行して流れており、そのためこの流域は幅広の氾濫原となっていた[26]。
かつて中流域には関の溜井と呼ばれる池があった。この池は現在残っていないが、武蔵関公園内にある富士見池がほぼ同じ位置に存在する[27]。
下流域(板橋区・北区)
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- 稲付用水
- 現在の板橋区常盤台1丁目付近から「中用水」「北耕地川」などと呼ばれた用水が北に分岐した。かつては稲付川とも呼ばれたが、現在はほとんどすべてが暗渠化されている。
- 谷端川放水路
- 石神井川の南側を流れていた谷端川は、かつては水道橋付近で合流する神田川の支流だった。この上流部の流路が大きく蛇行する板橋大山付近では大雨によりたびたび氾濫していた。この対策として1925年、下板橋付近から中山道の尾根の下を通し、北側の石神井川へ向けて放水路が開削された[1]。
- 石神井川の渓谷

広重画「江戸名所百景 王子不動之滝」。音無渓谷沿いの正受院境内から石神井川に落ちていた王子七滝の1つ(現存せず) - 石神井川は現在の板橋区加賀付近から谷の底を深くして王子へ続く蛇行した渓流となっていた。この渓谷は「石神井渓谷」「滝野川渓谷」「音無渓谷」などとよばれていた[28]。滝野川の町境の北側が石神井川上から一部半円状に外れる部分はかつての流路で、現在「音無もみじ緑地」になっており、江戸名所図会『松橋弁財天窟 石神井川』に描かれる江戸の名所だった。現在は川岸は整備されてかつての渓谷の風情はない。
- 王子石堰

広重画「江戸名所百景 王子音無川堰棣 世俗大瀧ト唱」 - 江戸時代の明暦2年(1656年)、永田九郎兵衛[注 2]の普請により現在の音無橋付近に石積みの堰堤(石堰)を設置した[29]。これは、隅田川からの海水の遡上の防止と、旧石神井川河道を流れる谷田川流域(本郷台と上野台との間)への利水のためである。石樋を落ちる石神井川本流は王子の大滝などと呼ばれ、王子七滝[注 3]とならぶ名所として絵図にも書かれた。堰からは用水が引かれ、一方は尾久村や三河島村へ通水され(石神井用水)、もう一方は滝野川村へ通水された(こちらは石神井川から流れ出ているために「逆川」と呼ばれ、醸造試験所のあった付近は「字逆サ川前」となっていた)。
- 飛鳥山分水路
- かつては音無渓谷は王子駅付近は飛鳥山(上野台地)と北側の王子稲荷のある高台との狭い間を通って東へ流れていた。
- 1969年3月に完成した[9]。旧流路は、音無親水公園となり、現在は汲み上げた地下水が流されている。
この後、石神井川は王子駅の直下を通り東側の豊島の低地へ抜けて隅田川へ注いでいる。
学説
[編集]下流の流路変遷についての学説
[編集]石神井川の上流から王子付近まで続く谷底低地は飛鳥山の手前で南へ向きを変え、本郷台と上野台の間の谷田川が流れる谷底低地へと地形的に連続している。これらのことから、石神井川がかつては谷田川へと流路を取っていたが、河川争奪によって現在のように隅田川へ流れるようになったとする説が、戦前は地形学者の東木龍七、戦後は地形学者の貝塚爽平などによって唱えられていた[31]。流路変遷が起こった原因と時期については諸説ある。
縄文時代の河川争奪説
[編集]1976年、東京都土木技術研究所の中山俊雄らはボーリング調査による石神井川と谷田川沿いの地質断面図を作成し、石神井川の流路変遷を論じた[32]。彼らは、谷田川から不忍池を経て昭和通りにいたる地下に基底が-20メートルに達する埋没谷が存在すること、石神井川下流の王子から隅田川合流までの地下に埋没谷が存在しないこと、流域の小さい谷田川のみで昭和通り谷が形成されたとは考えがたいことを指摘。昭和通り谷の形成時期に谷田川がその上流で石神井川でつながっており、これが石神井川の本流であったと結論づけた。また、立川ローム層を鍵層とした江古田層との対比より、石神井川の王子より上流の河谷底に堆積する泥炭層をサブボレアル期(4,500 - 2,500年前)のものとし、音無渓谷がこの泥炭層を開析しているように見えることから、渓谷の形成時期をサブボレアル期以後とした。
1994年、北区教育委員会の中野守久らは石神井川の流路変遷時期を特定するため、現・石神井川から離れてすぐの谷田川の谷底低地にてボーリング調査を行い、その結果を発表した[33]。彼らは山手層(本郷層)の上位に泥炭質粘土からなる沖積層を発見し滝野川泥炭層と命名、14C年代測定によって約7,400年前から約1,000年前までに堆積したものと分かった。中野らは滝野川泥炭層は石神井川下流部が現在の流路をとるようになってから、旧河床が沼沢地となった環境で形成されたと考えた。また、石神井川が本郷台東端で縄文海進(6,500-5,500年前)に形成された埋没上位波食台(中里遺跡発掘の際に発見された)を侵食していないことなどから、縄文海進最盛期より後に河川争奪が起こったと推定した。これらのことから、石神井川は縄文海進最盛期に本郷台の崖端侵食に起因した河川争奪を起こし、流路を奪われた谷田川上流部では沼沢地となり滝野川泥炭層が堆積し、王子方向へと流出した新河流は河床を深く掘り込んで峡谷を作った、と結論づけた。したがって、平川(現・神田川)と同様にそれまでは東京湾へ注いでいた石神井川は、現在の隅田川(荒川水系)へ合流することとなった。
中世以降の人為掘削説
[編集]歴史研究家の鈴木理生は1978年の自著において、石神井川が現在の石神井川と谷田川に分断されたのは人為的な工事の結果であると主張した[35]。鈴木は飛鳥山付近の台地が東から広義の利根川、西から石神井川の浸蝕を受けて人為的に短絡しやすい地形であったこと、「滝野川」という地名が登場するのは13世紀後半に成立した『源平盛衰記』以後のことで、正史の『吾妻鏡』には見られないことなどから、この間に人為的な掘削があったと推論した。この工事は、豊島氏による下町低地への灌漑水路の開発、または矢野氏による洪水防止の工事であったと鈴木は推定した。
後の2003年、鈴木は著作『江戸・東京の川と水辺の事典』の中で、上述の中野らによる自然現象説を紹介するとともに、再び人為変更説を主張した[36]。まず鈴木は『源平盛衰記』に「滝野河」の名前があるのは、この時期にすでに滝のような水流で渓谷ができていたと解釈できるとして、この時期の工事説は述べなかった。代わりに、江戸時代に刊行された多くの地誌で不忍池とお玉が池の説明ぶりが不自然である点、軍用道路であった岩槻道(現在の本郷通り)は石神井川をまたぐより台地の縁沿いに通るほうが自然である点を指摘し、江戸氏・太田道灌・後北条氏あるいは徳川氏初期に江戸湊の洪水を防ぐために瀬替えしたと主張した。
古石神井川とかつての河道
[編集]最終氷期の海退期にも石神井川は存在し、これを「古石神井川」と呼んでいる。ボーリング調査によって、かつての河道は不忍池からほぼまっすぐ南下し、日本橋台(江戸前島)の東側をなおも南下し、西側を並走していた丸の内谷(日比谷入江)を刻んだ平川(現・神田川)と芝浦沖あたりで合流している[37]。これは昭和通り谷と呼ばれている[38]。縄文海進期、海岸線は現在のJR王子駅付近まで迫っていたと考えられ、このときまでに昭和通り谷は海底谷となって隅田川などからの砂礫が埋め、再び海退していくとともに一帯は三角州が形成されたと考えられる。
武蔵野台地を流れる河川は概ね縄文海進後の埋没谷上の沖積低地をゆったり流れることが多い。しかし石神井川は例外的に音無渓谷のような峡谷を形成して周囲からいくつもの滝を落としていた。武蔵野台地上では近世の人為的な掘削による神田川 (お茶の水渓谷)を除き、峡谷を形成しているのは谷沢川(等々力渓谷)のみしか知られていない。その成因と時期については議論があり、谷沢川と同様にいくつかの仮説が出されている(前述)。
峡谷を形成するとともに、石神井川は王子から東へ流れたため、飛鳥山の西側を南下するかつての河道は無能谷となった。
- 谷田川・藍染川
- この昭和通り谷には他の小河川も流れていた。すなわち、巣鴨薬園[注 4]からの通水、周辺の谷戸からの湧水を集めた谷田川(谷戸川とも呼ばれた)などが流れていた。江戸期には王子石堰からの通水も合わせた。下流にはかつて谷田川に架橋されていた霜降橋、谷田橋などの名前が残っている。昭和に入って暗渠化されたが、暗渠上には染井銀座、田端銀座、霜降銀座が建って賑わった。谷根千(現在は「よみせ通り商店街」)に入ると、千駄木と谷中の町域境界を流れていた。かつて付近は藍染めが盛んであった事から「藍染川」とも呼称された。川はいくつかの通水に分かれて流れており、夏には小川を蛍が飛び「蛍川」と名があった。一帯は盆地のようになっており、大雨でたびたび浸水していた。1918年、治水対策として谷田川を分岐させて道灌山の下を暗渠で通し、JR西日暮里駅付近から開渠として京成本線沿いに町屋へ向かう藍染川排水路を通した。しかしこの排水路や残った川道も1960年までには暗渠化され、現在は暗渠跡に藍染川通り、藍染川西通りの名が残るのみとなっている。千駄木付近の暗渠道は細かく蛇行していることから「へび道」の俗称がある。通水は不忍池に注いでいた。
- 忍川・姫ヶ池・鳥越川
- 不忍池の南東側は、かつて隅田川の自然堤防と本郷台地に挟まれた後背湿地で、浅草の北側から長く伸びていた千束池や、鳥越の北にあった姫ヶ池など葦が生える水はけの悪い沼田地だった。一帯は江戸初期から整地が始まり、浅草御蔵を造る際に鳥越神社の丘を崩してこれらの沼地を埋め立て、旗本・御家人の武家屋敷を整備した。吉原遊廓を新吉原に移転させたのもこの頃である。しかし変わらず水はけは悪く、不忍池からの通水は「忍川」と呼ばれて屋敷の周囲に掘を囲みながら東へ流していた。鳥越神社の南側からは「鳥越川」と名を変え、途中で浅草方面からの流れていた新堀川(現在は暗渠化しており合羽橋はその架橋)と合流させて隅田川へ流している。途中の秋田久保田藩佐竹氏の江戸屋敷前(現在の佐竹商店街の南側入り口付近)にはかつて大きな堀があり、「三味線堀」と呼ばれていた。
- お玉ヶ池・東堀留川・西堀留川
- 江戸時代初期に神田川を開削して隅田川へ流す平川の瀬替えが行われ、その南側に後背湿地の名残として小さな池が残った(於玉ヶ池; 現・千代田区岩本町、現存せず)。また、水運のための掘割として日本橋川の中央区小舟町付近から北へ向かって東堀留川・西堀留川が掘られたが、これらはおおよそ昭和通り谷の軟弱土壌に沿っている[注 5]。この付近では東京メトロ日比谷線や昭和通りのアンダーパスもこの埋没谷に沿って建設されている。
災害
[編集]住宅密集地を流下するため、集中豪雨時には氾濫を発生させ地域に被害を与えてきた。被災家屋 1,000棟以上をもたらした洪水として
・昭和33年(1958年)9月の狩野川台風
・昭和41年台風第4号
・昭和49年(1974年)7月の集中豪雨[39]
・昭和51年台風第17号
・昭和57年台風第18号
がある[40]。1998年(平成10年)以降に発生した主要水害として、2005年(平成17年)9月4日の集中豪雨や、板橋区観測所で時間最大 114mm/hr の雨量が観測された2010年(平成22年)7月5日の集中豪雨がある。
1958年の狩野川台風では王子駅の改札口が冠水するなど、北区だけで5,000世帯が被害に遭う大きな被害を出した[41]。
昭和41年台風第4号による氾濫の後、三か年計画で改修工事が始められたが用地買収の難しさから進捗状況は遅々としたものとなった[42]。その後も、1時間あたり75ミリメートルまでの大雨に耐えるための拡幅工事が進んでいる。
1978年(昭和53年)4月6日、 東京都下で集中豪雨。石神井川が大谷口で氾濫して約200戸が床上浸水、約850戸が床下浸水[43]。
2010年7月5日には、板橋で午後8時半までの1時間に107ミリの集中豪雨を観測した。この雨により道路の冠水や建物への浸水被害が相次いだ[44][45]。また北区堀船の溝田橋付近において石神井川からの溢水が発生。付近にあった日本たばこ産業の倉庫も浸水し、従業員約90人が一時出られなくなったほか、たばこなどの商品に大きな被害が出た[46]。
2023年2月16日に、都が水位を計測し氾濫危険水位に達した際に氾濫危険情報を発表する水位周知河川から、 気象庁が降水量を、都が水位を予測し、両者が共同で最大1時間以内の水位上昇により氾濫するおそれがあると判断できた時点で氾濫危険情報を発表する洪水予報河川となった[47]。
利用
[編集]利水・歴史的利水
[編集]かつて石神井川は、流域の農地を潤す主要な水源として利用されていた。江戸時代には「関の溜井」(現在の武蔵関公園付近)[48]や、下流域の王子付近に設けられた音無川の石堰などから用水路(石神井用水など)が引かれ、灌漑用水として広く活用された。
また、急流や段差が存在する中・下流域(特に現在の板橋区から北区にかけての音無渓谷周辺)では、その水力が動力源として利用された。江戸時代から明治・大正期にかけて製粉・精米・製紙・塗料などの水車工業が隆盛を極め、明治初期に創業した王子製紙の用水・動力としても利用された[49]。現代では上水道・工業用水としての直接の利水はほとんど行われていないが、一部では地下水揚水や下水道再処理水などを補給しつつ環境用水として流路が維持されている。
親水・レクリエーション
[編集]昭和中期までの水質悪化や護岸工事を経て、近年では河川環境の改善と親水化事業が進められており、地域住民の憩いの場や散策路として広く利用されている。
親水公園・緑道の整備 王子駅付近の旧流路を利用した「音無親水公園」(日本の都市公園100選選定)[50]をはじめ、西東京市・練馬区境の「石神井川親水広場」、旧河道を整備した「音無もみじ緑地」「音無さくら緑地」、釣り場として利用できる「氷川つり掘公園」(板橋区)など、沿線には多数の親水施設が整備されている。
桜の名所・散策路 流域の練馬区・板橋区・北区などにわたる区間で桜並木が植栽されており、春には都内有数の花見スポットとして賑わう。また、流路に沿って遊歩道や緑道が配されており、ジョギングや散策のルートとして利用されている。
環境教育・地域活動
[編集]水質の回復や生態系の復活に伴い、小中学生の環境学習や自然体験、地域団体による保全活動の場として石神井川が活用されている。
ねりまジュニアレンジャー
[編集]東京都練馬区の石神井川流域や身近な地域自然を主要フィールドとして活動する環境教育プログラム・コミュニティ。 ジュニアレンジャーという団体名の通り石神井川の自然保護官として石神井川での生き物調査や水質調査を行っているほか、レクチャーやアウトプットを通して子供達の主体性と興味関心をのばすことに重きがおかれている。また後述の遊遊スクールを受託し、ジュニアレンジャーの子供達はイベントのリーダーをつとめている[51]。
遊遊スクール
[編集]練馬区教育委員会の委託事業(ねりま遊遊スクール)等の一環として、石神井川を舞台とした自然体験講座がねりまジュニアレンジャーが受託し開催されている[52]。子どもたちが川に入っての水生生物観察や川流れなどを通じ、身近な河川環境に親しむ機会が提供されている。
水質保全・環境調査活動
[編集]流域の自治体や小中学校、NPO・市民ボランティア団体による定期的な水質測定や清掃活動が実施されている。石神井川に生息する生き物調査や、水辺の環境保全活動を通じた地域コミュニティの形成にも寄与している。
主な支流
[編集]橋梁
[編集]上流より記載
小平市
[編集]
(小平市花小金井南町)
(2025年4月)
- 公園北橋(小金井公園通り)
- 長久保橋(東京都道132号小川山田無線・鈴木街道)
- 東京都道253号保谷狭山自然公園自転車道線
西東京市
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(西東京市向台町)
(2025年5月)

(西東京市南町/向台町)
(2025年4月)

(西東京市南町)
(2024年9月)

(2025年4月)

(西東京市東伏見)
(2021年1月)

(西東京市東伏見)
(2024年9月)
- ともえ橋
- 名称不明
- 名称不明
- 庚申橋(府中道)
- くぬぎ橋(市役所通り)
- さつき橋
- 橅橋(港南中央通り)
- けやき橋
- 向台橋(向台東通り)
- 柏橋
- すすき橋
- 名称不明
- 名称不明
- 富士見橋(東京都道12号調布田無線・武蔵境通り)
- 睦橋
- 文化大橋
- 文化橋
- 菫橋
- 公園橋(洪水調整池)
- 蓮華橋
- 境橋(深大寺街道)
- 川桐橋
- 上柳沢橋
- 東京都道・埼玉県道4号東京所沢線 (青梅街道)
- (名称不明)
- 柳沢橋
- 坂下橋(伏見稲荷通り)
- 東伏見橋
- 弥生橋(早大東伏見キャンパス)
- 下野谷橋(下野谷遺跡公園)
- 溜渕橋(早大東伏見キャンパスと武蔵関公園との境)
練馬区
[編集]
(練馬区上石神井・石神井台)
(2025年6月)

(2026年3月)

(練馬区下石神井)(2026年3月)

(練馬区南田中)
(2026年3月)

(練馬区羽沢)
(2010年4月)
- とちの木橋
- よしきり橋
- 緑橋
- つたや橋
- 武蔵関公園橋
- 弁天橋
- 長者橋
- 西武新宿線
- 睦橋歩道橋
- 若宮橋
- 関新橋
- 庚申橋(関町庚申通り)
- 稲荷橋
- 日之出橋
- 曙橋
- 西豊城橋
- 豊栄橋
- 集い橋
- 豊城歩道橋
- 豊城橋
- 扇橋(新青梅街道)
- 小ヶ谷戸橋
- 愛宕橋(上石神井通り)
- 栄橋
- 上御成橋
- 松之木橋
- 蛍橋(井草通り)
- 茜歩道橋
- 根ヶ原橋
- 睦橋
- 豊島橋(旧早稲田通り)
- 憩い橋
- 坂下橋
- 山下橋(南田中都営団地)
- 和田前歩道橋
- 南田中橋
- 平成みあい橋(練馬区立長光寺橋公園、練馬区立元締山の森緑地)
- 長光寺橋(東京都道443号南田中町旭町線 (笹目通り))
- 長光寺歩道橋
- 薬師堂橋
- 西武池袋線
- 下薬師堂橋
- 高富士橋
- 富士見橋
- 高野橋
- すずしろ橋
- 谷原二之橋
- 桜見橋
- 谷原三之橋
- こぶし橋
- 大野橋
- 上新田橋(四商通り)
- 境橋
- 竹橋
- 練馬大橋(東京都道8号千代田練馬田無線 (目白通り))
- 高松橋(東京都道311号環状八号線・外回り)
- 貫井橋(東京都道311号環状八号線・内回り)
- 小橋
- 新小橋
- 道楽橋
- 神路橋
- 西田中橋
- 田中橋
- 石川橋(尾崎豊『15の夜』の舞台になった向山公園近く)
- (この間、豊島園)
- 中之橋(豊島園通り)
- 南宮橋
- 西早宮橋
- 東山下橋
- 東中央橋
- 糀谷橋
- 大橋
- 新大橋(東京都道442号北町豊玉線)
- 早宮橋
- 高稲荷橋
- 鎌田橋
- 四の宮宿橋
- 丸山橋
- 正久保橋
- 宮宿橋
- 仲羽橋
- 羽根沢橋
- 羽根木橋
- 開進橋
- 湿化味橋
- 羽城歩道橋
板橋区
[編集](2009年4月)

(板橋区大谷口北町・東山町・南常盤台・弥生町)
(2026年5月)
北区
[編集]註釈
[編集]注
[編集]- ↑ イシガミではなくシャクジと読む、石棒を神体として祭ったもの
- ↑ 普請を行ったのは時期から見て関東代官伊奈忠克家臣の永田氏。
- ↑ 王子七滝(王子の七瀑)は以下の7つの滝[30]。
- 不動の滝 - 自然流滝。正受院境内。現存せず。
- 稲荷の滝 - 自然流滝。王子稲荷社(当時は別当寺である金輪寺内)境内。現存せず。
- 名主の滝 - 安政年間に王子村名主の畑野孫六が自宅に庭に滝を開削。明治になり実業家・垣内徳三郎の邸地になり、後に土地は上野精養軒が買い取った。戦後は東京都が買い取って整備。後に北区に移管され、現在は区立名主の滝公園。元の滝は現存しないが、ポンプで流水させる「男滝」「女滝」「独鈷の滝」「湧玉の滝」がある。
- 弁天の滝 - 金剛寺内の松橋弁天境内。現存せず。
- 権現の滝 - 王子神社(当時は別当寺である金輪寺内の王子権現)境内。現存せず。
- 見晴らしの滝 - 現在の岸町2丁目6番付近。現存せず。
- 大工の滝 - 現在の岸町2丁目2番付近。現存せず。
- ↑ 跡地は現在の東京都中央卸売市場豊島市場。
- ↑ 鈴木理生は著書の中で、中世の頃まで石神井川が直接東京湾へ注いでいた可能性を示唆している。鈴木は、土地を開削したものを「入り堀」、もともとの川の上流を埋め立てていたものを「堀留」と区別する、としている。
出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 石神井川流域環境協議会(編)『ふれあい石神井川―うるおいとやすらぎの水辺を求めて―』石神井川流域環境協議会、1999年、36頁。
- 1 2 3 “令和6年度 事業報告書 石神井川流域環境協議会” (PDF). 板橋区. 2026年8月14日閲覧。
- ↑ 1965年(昭和40年)政令第43号「河川法第四条第一項の水系及び一級河川を指定する政令」(1971年(昭和46年)3月20日政令第29号にて一部改正)
- ↑ 「石神井川の源流を探して」ハイフィネス・ジャパン株式会社、2014年10月22日。2026年8月14日閲覧。
- ↑ 菅原康太,横内憲久,岡田智秀,押田佳子,角田裕紀 (2014年). “市街地における「遊水池空間」の整備方策に関する研究 ―(その2)善福寺川および石神井川における調節池事業に着目して―” (PDF). 平成 26年度 日本大学理工学部 学術講演会論文集. 日本大学. pp. 395 - 396. 2026年8月12日閲覧。
- ↑ 石神井川上流地下調節池 -東京都建設局
- ↑ “東伏見地区 (西東京市) 水と緑のネットワーク” (Microsoft Word(.docx)). 東京都北多摩南部建設事務所・東京都西部公園緑地事務所. 2026年8月14日閲覧。
- ↑ “富士見調節池(石神井川)” (Microsoft Word(.docx)). 東京都建設局. 2026年8月14日閲覧。
- 1 2 3 菅原健二『川の地図辞典』之潮、2007年、ISBN 9784902695045
- ↑ 「石神井川の源流と名称」『練馬わがまち資料館』2023年7月1日。2026年8月14日閲覧。
- ↑ 藤村和正,国分邦紀 (2024年). “水辺再生に向けた武蔵野台地の遊水地の水循環過程に関する一考察” (PDF). J-STAGE. 公益社団法人 土木学会. 2026年8月15日閲覧。
- ↑ “FIELD MUSEUM GUIDE 石神井公園” (PDF). 公益財団法人 東京都公園協会. 2026年8月14日閲覧。
- ↑ 宇都木 渉「東京・石神井川沿いに現れた「地下神殿」 豪雨災害対策の巨大な箱、調節池を見に行った」産業経済新聞社、2025年12月16日。2026年8月16日閲覧。
- ↑ 「板橋十景 石神井川の桜並木」板橋区、2026年4月7日。2026年8月16日閲覧。
- ↑ 「【滝野川】東都名所 王子瀧の川」『北区飛鳥山博物館』2025年2月20日。2026年8月16日閲覧。
- ↑ 御由緒 - 王子神社 -
- ↑ 「【王子】名所江戸百景 王子音無川堰タイ世俗大瀧ト唱」『北区飛鳥山博物館』2025年2月20日。2026年8月16日閲覧。
- ↑ 寄藤昴「石神井川と王子の街~東京の小河川-2~ (PDF)」『寄藤昴のホームページ』2024年11月9日。2026年8月16日閲覧。
- ↑ “飛鳥山分水路(石神井川)” (Microsoft Word(.docx)). 東京都建設局. 2026年8月16日閲覧。
- ↑ 高崎忠勝,枝澤知樹,川合将文 (2019年). “7. 石神井川感潮区間の流れに関する分析” (PDF). 公益財団法人 東京都道路整備保全公社. 2026年8月16日閲覧。
- ↑ 稲川翔太,浅野航輝,奥山諒平,Joan Cecilia CASILA,横山勝英 (2020年). “都市河川感潮域における有機汚泥の物性および浸食・堆積特性” (PDF). J-STAGE. 公益社団法人 土木学会. 2026年8月16日閲覧。
- ↑ 「どっちが臭い?「大阪・道頓堀川 vs 東京・石神井川下流」―― 真夏の“ドブ川”悪臭対決」『日刊SPA!』扶桑社、2017年8月23日。2026年8月16日閲覧。
- ↑ 2010年3月17日、読売新聞
- ↑ 「石神井川の臭気対策・環境改善」北区、2025年3月7日。2026年8月16日閲覧。
- ↑ 1947/11/14撮影 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス[リンク切れ]
- ↑ 八巻孝夫「豊島氏の城郭についての覚書」『中世城郭研究』第23号、中世城郭研究会、2009年、78頁、ISSN 0914-3203。
- ↑ 「三宝寺池の主は…… 石神井川水系の伝説(1)」『練馬わがまち資料館』2023年9月1日。2026年8月16日閲覧。
- ↑ 石神井組HP 石神井川の概要[リンク切れ]
- ↑ 北区. “北区勢要覧 - 歴史年表”. 2016年3月1日閲覧。
- ↑ 杉本 1975, p. 73.
- ↑ 北区史編纂調査会 編『北区史 通史編 原始古代』東京都北区、1996年、280頁。
- ↑ 中山俊雄・小川好 (1976). “石神井川河谷底の地盤について―東京の河谷底地盤の研究 (その1) ―”. 東京都土木技術研究所年報 昭51: 141-150.
- ↑ 中野守久・増渕和夫・杉原重夫 (1996). “武蔵野台地東部 (本郷台) における石神井川の流路変遷”. 駿台史学 98: 77-93.
- ↑ 北区飛鳥山博物館 (1999). 北区飛鳥山博物館常設展示案内. 東京都北区教育委員会. p. 120
- ↑ 鈴木理生 (1989). 江戸の川・東京の川. 井上書院. p. 305. ISBN 4-7530-2304-4
- ↑ 鈴木理生 (2003). 図説 江戸・東京の川と水辺の事典. 柏書房. p. 445. ISBN 4-7601-2352-0
- ↑ 関東地質調査業協会. “大地の解体新書”. 2017年10月3日閲覧。
- ↑ 中央区立 京橋図書館「郷土室だより」第70号、平成2年12月27日発行。
- ↑ 荒川秀俊 (1977年). “大都市に於ける下水の短期的氾濫” (PDF). AgriKnowledge. 一般社団法人 日本治山治水協会. 2026年8月17日閲覧。
- ↑ “荒川水系 石神井川河川整備計画” (Microsoft Word(.docx)). 東京都. 2026年8月17日閲覧。
- ↑ こうぶんしょ館電子展示室46号の2「石神井川のいま・むかし」(板橋区ホームページ)[リンク切れ]
- ↑ 「ヒヤヒヤの中小河川 整備計画足ぶみ 無秩序な都市化も一因」『朝日新聞』昭和42年9月8日夕刊、3版、11面
- ↑ いだてん春のあらし「子供があぶない」父母が背負って避難『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月7日朝刊、13版、23面
- ↑ 「2010年 都内で局地的に猛烈な雨」『NHKアーカイブス』。2026年8月17日閲覧。
- ↑ 「2010年 各地で局地的大雨」『NHKアーカイブス』。2026年8月17日閲覧。
- ↑ 平成22年7月5日 石神井川水位急上昇 (kasen.net)
- ↑ 石神井川の洪水予報河川指定|東京都
- ↑ 「ふれあい 石神井川」東京都北区環境ポータルサイト
- ↑ 神山恒雄「創業期の日本洋紙製造業」明治学院大学『経済学研究』
- ↑ 音無親水公園 東京都北区ホームページ
- ↑ ねりまジュニアレンジャー公式ウェブサイト
- ↑ 教育委員会委託講座 ねりま遊遊スクール 練馬区公式ホームページ
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 杉本苑子『東京の中の江戸名所図会』北洋社刊の復刻版、文藝春秋、1991年(原著1975年)、73頁。ISBN 4-16-722422-4。
外部リンク
[編集]- 石神井川流域連絡会 - 東京都建設局
- 王子七滝考(北区教育委員会) - ウェイバックマシン(2010年1月1日アーカイブ分)
- 鎌田橋付近の様子(1960年) - 練馬区役所
- ねりまジュニアレンジャー - 石神井川を拠点とする環境教育コミュニティ
ライブカメラ
[編集]- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】芝久保映像監視局[西東京市芝久保1] 芝久保町_(西東京市)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】向台映像監視局[西東京市向台5] 向台町_(西東京市)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】柳沢映像監視局[西東京市柳沢1] 柳沢_(西東京市)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】溜渕橋上流映像監視局[西東京市東伏見3] 東伏見_(西東京市)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】稲荷橋映像監視局[練馬区石神井台7] 石神井台_(練馬区)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】愛宕橋映像監視局[練馬区上石神井3] 上石神井_(練馬区)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】すずしろ橋映像監視局[練馬区富士見台4] 富士見台_(練馬区)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】神路橋映像監視局[練馬区高松1] 高松_(練馬区)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】宮宿橋映像監視局[練馬区桜台3] 桜台_(練馬区)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】久保田橋映像監視局[板橋区双葉町] 双葉町_(板橋区)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】加賀橋映像監視局[板橋区加賀1] 加賀_(板橋区)
- YouTube東京都水防チャンネル【石神井川】溝田橋映像監視局[北区堀船1] 堀船_(北区)


