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やさしい会社をつくったつもりが、誰かの我慢で回っていた。|善意を仕組みに変えるまで

私は、人を大切にする会社でありたいと思ってきた。
自分がされて嫌だったことは、できるだけ人にしたくない。
働く人には無理をしてほしくない。
事情があれば柔軟に対応したい。
困っているなら助けたい。
今でも、その考えは変わっていない。
ただ、会社を運営する中で、一つ気づいたことがある。

やさしくしたつもりの判断が、別の誰かの我慢で成立していることがある。


例外を認めることは、やさしさに見える

例えば、一人の社員から事情を相談される。
勤務時間を少し変えてほしい。
この業務だけ外してほしい。
今日は難しいから誰かに代わってほしい。
事情を聞けば理解できる。
できることなら対応したいと思う。

そして誰かが、
「私がやります」
と引き受ける。
その場は収まる。
本人も助かる。
会社としても問題にならない。
一見、良い対応に見える。
でも、それが何度も続いたらどうだろう。
いつも引き受ける人が同じ。
シフトを調整する人も同じ。
急な変更に対応する管理職も同じ。

会社は「柔軟な会社」でいられる。
その裏で、誰かがずっと調整している。
私は、ここを見落としやすかったのだと思う。

善意は、コストが見えにくい

会社の制度なら、コストは見えやすい。
人を一人増やす。
システムを入れる。
手当を出す。
数字になる。
でも善意は、数字に出にくい。

「あの人がやってくれた」
「今回は管理職が何とかした」
「みんな協力してくれた」

だから問題にならない。むしろ、
「うちは助け合える良い会社だ」
と感じることさえある。
もちろん、助け合うことは大切だ。
困ったときに支え合える組織は強い。

ただ、毎回同じ人が助ける側なら、
それは助け合いではなく、役割になっているかもしれない。
しかも本人の正式な役割ではない。

「強く言わない」ことも、負担を移す

もう一つある。
問題が起きたとき、
本人に強く言わない。
できるだけ穏やかに済ませる。
それも、やさしさだと思っていた。
でも、言わなかった問題は消えるわけではない。

管理職が裏で調整する。
周囲がカバーする。
経営者が穴を埋める。

本人に向けなかった負荷が、別の場所へ移ることがある。
誰かを傷つけないために曖昧にしたことが、
別の誰かを静かに疲れさせる。

そう考えると、
「何も言わないこと=やさしい」
とも限らない。

優しい会社とは、ルールがない会社ではない

ここで私は、優しい会社という言葉を少し考え直すようになった。
何でも認める会社。
誰にも厳しいことを言わない会社。
例外に柔軟な会社。
それだけが優しい会社ではない。

むしろ、

優しい会社とは、誰かの我慢をルールの代わりにしない会社なのではないか。

事情には配慮する。
でも、その配慮を誰が支えるのかも考える。
例外を認める。
でも、例外が常態化するなら仕組みにする。

誰かが毎回調整しているなら、
その仕事を役割として認識する。
必要なら人を増やす。
業務を減らす。
ルールを見直す。
善意を善意のまま使い続けない。
仕組みに変える。
それが必要なのだと思う。

善意が仕組みの代わりになっていないか

私は、三つのサインを気にするようになった。

「〇〇さんがいれば大丈夫」が増えていないか。
同じ人が、いつも例外対応や調整をしていないか。
会社のルールより、人間関係で問題を処理していないか。

これが続いていたら、
良い人がいるから回っているだけかもしれない。
そして、その良い人が限界を迎えて初めて、
会社は仕組みがなかったことに気づく。

善意を否定したいわけではない

私は今でも、
人を大切にしたいと思う。
事情があれば助けたい。
困っている人には手を差し伸べたい。
でも、その優しさを続けるためには、
誰か一人の優しさに頼りすぎてはいけない。
善意は必要だ。
ただ、善意だけでは組織は守れない。

私自身、
「人にやさしい会社をつくりたい」
と思うあまり、
そのやさしさを支えている人を見落としていなかっただろうか。

今、あなたの会社で「柔軟に対応できていること」は、
本当に仕組みとして成立しているだろうか。
それとも、
誰かが黙って我慢することで成立しているだろうか。

問いの足跡への思い

記事まとめ


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