メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

䞭䞖埌期は頭知性から心臓感性ぞの移行期

    文化の読曞䌚

    『ペヌロッパ䞭䞖の想像界』池䞊俊䞀 第3郚 聖ず魔  倩䜿の蚪れ
     聖心厇拝

    関心の高い郚分の芁旚

    倩䜿は叀代から䞭䞖末たで垞に孊識者の関心の察象であったが、䞭䞖埌期に聖人厇敬が増すず、神ず人々の぀なぎ圹ずしおの倩䜿の存圚感は垌薄になっおいく。

    ひず぀は、倩䜿は感謝を求めないずの䞀方的にみえる性栌が、逆に信者ずの間を匱䜓化させる。聖堂ぞの䟛物・寄進ず実質的恩恵が察になっおこそ、信者は胜動的になるのだ。

    二぀目は、12䞖玀以降に自然の䞖界が客芳芖された独自のメカニズムをも぀ず考え始める科孊的関心の䞋地かず、聖人の肉䜓や教䌚ずの物質的関係にリアリティがもおおきた。

    ただ、泚意曞きが必芁だ。

    「戊う倩䜿」や死の瞬間に死埌の運呜を決めるずき倩䜿は重芁な圹割を期埅される。このコンテクストでは盛期䞭䞖以降に倩䜿が掻躍する。

    この背景をさらに考えるず、ロヌマ・カトリック教䌚がペヌロッパ党地に暩嚁を広げるにあたり、土地ずの関連がない倩䜿をフル掻甚したこずず関連しおくる。

    即ち、䞉䜍䞀䜓の「聖霊」が䞭䞖埌期に具䜓性をもっおきた。これは倩䜿の掻甚の結果ずも掚枬できる。

    そしおルネサンスから宗教改革期、人間ぞの関心が高たりずずもに、倩䜿は単なる可愛いお食りになっおいくのである。

    䞭䞖埌半のもう䞀぀の倉化は、心臓のむメヌゞに重きがおかれるようになったこずだ。身䜓が知性の座から感性の座ヌ矎埳、悪埳を含めヌずしお芋なされる。

    12䞖玀、宮廷文化におこった恋愛ブヌムヌ愛の時代ヌが、キリスト教の霊性に圱響を䞎えた。感性の座ずしおの心臓である。

    抒情詩人が理性ずの察眮で心臓をずらえたが、この察立関係の蚭定は宮廷抒情詩の発明であり、神孊者たちの考えの及ぶ点ではなかった。

    さほどに倚くの文孊䜜品に恋愛関係における心臓は重芁な地䜍を占めながら、宗教矎術における心臓は15䞖玀のドむツで䞀般的になるなど時差が倧きい。

    䞊行しお、心臓のステむタスを巡る別のディスクヌルがある。12䞖玀たでロヌマ教皇を頭ずしお、政治的ディスクヌルでは頭がトップにあった。

    しかし、13䞖玀以降、医孊、政治、文孊、宗教の分野で心臓が䟡倀を高めるこずになる。

    (12䞖玀ではアリストテレスを支持する人たちが、こう考え、プラトン䞻矩者は頭知性を唱え続けたが、トマス・アクィナスは心臓に傟いた

    フランスのフィリップ4䞖1285 - 1314はロヌマ教皇ボニファティりス8䞖ず激しく衝突しながら、䞭倮集暩化ず絶察王政の第䞀歩を築いたずされるが、圌は「頭は神経を叞り、教䌚は信埒をたずめおいる。心臓は血管を䜓䞭に行き枡せるが、これが王の圹割であり、心臓の方が頭より倧切」ず説いた。

    14䞖玀にいたるず、ドむツずフランスでは王心臓のむメヌゞが匷くなる。その蚌のひず぀ずしお、囜王や芪王が心臓を別葬し、特別の葬儀をするようになったこずだヌ10䞖玀末のドむツ、12䞖玀のむングランドではじたり、13䞖玀のプランタゞネット朝1154ヌ1399で心臓の別葬が䞀般化しおいく。

    この方法は領地内に耇数の蚘念碑や教䌚のブランドをあげるに貢献もしたが、16䞖玀半ばたでフランスの王ず家族の心臓別葬ずいう儀瀌が維持された。

    聖心にも觊れよう。

    聖曞にむ゚スキリストの心臓は出おこないが、神孊者ず宗教者によっお、む゚スの心臓が特別な信心察象になっおきた。盛期䞭䞖で䞀気に高揚する。

    12䞖玀、聖ベルナルドゥスがその立圹者の䞀人だ。

    その流れをくみ、む゚スの脇腹の傷が特に修道女の間で興味の察象になっおくる。圌女たちは、その傷口から聖䜓の血を飲むのを倢芋た。

    ぀たり、傷口から心臓むメヌゞに広がっおいった。

    特に13䞖玀埌半以降のドむツやネヌデルランドにおける修道女の間で顕著だ。

    む゚スの傷぀けられた心臓を描いた聖心図像は数倚くあり、厇敬の察象ずなったが、䞀般信者はこれに接するこずで、聖職者や秘蹟を仲介するこずなしに神ず盎接觊れ合えるずの考えを生んだ。

    信心の個人䞻矩化や内面化ずいう䞭䞖末の信仰心ず適合した。

    宗教改革埌、む゚スの傷口ぞの信仰は薄れたが、聖なる心臓はたすたす重芁性をたした。旧玄聖曞ず新玄聖曞を結び぀けるに貢献した。

    1800幎には、む゚スの心臓を無限の愛の象城ずしお目指す女子修道䌚聖心䌚が、フランスのマドレヌヌ・゜フィヌ・バラによっおパリに蚭立され、䞖界䞭に普及した日本の財団法人私立聖心女子孊院は1908幎の蚭立。

    ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ

    心臓や聖心厇敬や事䟋がむタリア以倖で倚く玹介されおいる。

    ドむツやネヌデルランドの動きに泚目すべきものがあった。

    カトリックずプロテスタントを分ける䞀぀の指暙になったのかず䞀瞬思った。

    もちろん、フランスはカトリックの地域であるから、フランスは䟋倖的な発展を遂げたず考えるべきなのか、それずも聖心図像の普及ず宗教改革の圱響の関連性はある皋床限定的なのか、ずも考えなおした。

    芁は、個人の信仰心の匷さや教䌚を必ずも必芁ずしないルヌトの確立の起点ずしおの聖心図像が、宗教改革にどれほど繋がったのか――ここは勉匷䞍足で、これから远わないずいけない。

    それにしおも、心臓である。

    宮廷文孊から生たれたコンセプトをもっお、フランス囜王ず教皇の間で心臓ずのステむタスを巡る衝突が生じたずの掚移は面癜い。

    ヌヌヌヌヌヌヌヌヌヌ

    調べたずころ、十字架のペンダントを銖にかけるのが人気を博したのは、17䞖玀のフランスの修道女、マルグリット・マリヌ・アラコクの幻芖が契機らしい。

    画像
    聖心のメダむ心臓の䞊に十字架が立っおいる. ゜ヌス: Crissy1982 / Getty Images


     
     
    モバむルクルヌズ株匏䌚瀟/De-Tales ltd. ミラノ/東京。著曞『新・ラグゞュアリヌ 文化が生み出す経枈 10の講矩』共著『「メむド・むン・むタリヌ」はなぜ匷いのか』、その他。監修にロベルト・ベルガンティ『突砎するデザむン』。蚳に゚ツィオ・マンズィヌニ『日々の政治』

    あなたぞのおすすめ