政治家は「雑巾」と私は言いました。「当選者は新たな責任を背負うことになった。政治は非情なもんだ。成功して当たり前。失敗すれば雑巾の様に捨てられる。多難な人生を自ら選んだのから進むしかない」


昨日 ⇑ 僕は自分のXやFacebookで「ぼろ雑巾になって捨てられる」という表現を使いました。これは、特定の誰かに向けた言葉ではありません。
政治に関わるすべての人たちが、「ぼろ雑巾になる」覚悟で活動しているのではないか──そんな思いからです。

何かを変えたい。あるいは何かを守りたい。
そう願って政治的な役割を担っているすべての人にとって、その役割を果たせなくなった瞬間、政治的存在そのものが消える──僕にとっては、ごく自然な比喩です。
現時点で有権者の信託を得られなかったからといって、彼らの「社会的意味」が失われたわけではありません、人としての社会活動に終わりない。


世の中を綺麗にしながら、自らは真っ黒に汚れていき、最後には、それ以上汚れを拭き取れなくなった瞬間。あるいは、床に飛び出た釘の頭に引っかかって破れたとき。そのとき雑巾の役割は終わります。
けれど、新しい雑巾がまた、次の汚れを拭き取ってくれるはずです。
つまり何時かモット賢い機能に政策判断は委ねられるとの私の確信です。

「雑巾」という比喩は、僕がずっと感じ続けてきたものです。
AIが最適な住民サービスや政策立案を行える時代になれば、首長という役職そのものが不要になる──僕はそう信じています。
10年前の読売新聞の論説委員さんが取材に見えられたときの論表です。

さらには前橋出身の詩人、萩原朔太郎を記念する前橋文学館の会長として
ヘンテコに活躍する萩原朔美さんのこの言葉です。


私の所属する政党の多くの挑戦者たちが、何故、夢に破れてのしょうか?

  • 選挙の仕組みに新しいテクノロジーが台頭したからでしょうか?

  • 新しい政党の「新鮮さ」に見劣りしたからでしょうか?

  • 政策の丁寧な説明が足りなかったからでしょうか?

  • さまざまな疑念や不安を払拭する努力が不足していたからでしょうか?

いろいろな意見があるでしょう。
でも、もっとも大事なことは「過去へ捉われることで、新しい挑戦に躊躇する気持ち」ではないでしょうか。確かに多くを成し遂げたでも、その成功体験の呪縛を断ち切る勇気ではないでしょうか?古いノートですが30年前の私の確信です。 #ドラッカー #断絶に時代


けれど、それは一人ひとりの候補者の責任ではない──僕はそう思てます。
すべてはリーダーの責任です。
普通なら、これだけの犠牲者(敗者)が出れば、組織のリーダーは自分自身の失敗や未熟さと向き合うのが当然のはずです。
それは──リーダーである石破さん、あなたのことです。
けれど、このリーダーは何も気づいていない。
最近、僕は「鈍感なリーダー」という存在に、強い絶望を感じています。
リーダーシップとは、組織を変革すること。
気づけない人に、変革はできないのです。
#中島政希 #暁鐘を憧つ (30年前に県議会に立候補の際のメモと思われる)読み直した。
「国民の情にどうに応えるか」


国に依存せず、地方政治こそが、ダイナミックなリーダーシップによって自己変革できるはずです。
そして、そうした地方政治の挑戦を、中央政治が認め、支えてくれることを──僕は、心から期待しています。

こんな組織の中に石を投げるテーマは選挙期間中には憚れました。
でも、それは私に臆病の言い訳です。数年前に亡くなられた #井田金次郎 さんの歌です。

#参議院選挙 #清水まさと #萩原朔美 I#AIによるデータ解析と政策化 #中島政希 #井田金次郎 #データドリブン #山本龍 #政治的役割と責任のとり方

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