渾身の記事ほど、期待しないことにしました
こんにちは、エイトです✌️☺️
「今までで一番いいものが書けたかもしれない」
記事を書き終えた瞬間、
ふとそう思うことがあります。
何度も読み返して、
やっと納得できる形になった時の、
あの満ち足りた感覚です。
でも実はその直後から、
私はいつも小さな不安に
駆られてしまうんです😓
達成感を味わったのもつかの間、
すぐに次の心配事が
頭に浮かんでくる感じです。
力作ほど、なぜか振るわない
「もうこれ以上は書けないかもしれない」
そう思うくらい力を込めた記事に限って、
反応が振るわないことが日常茶飯事にあります😅
逆に、
軽い気持ちで書いた記事が、
思いがけず読まれることもあります。
これを繰り返すうちに、
ふと疑問がわいてきました。
そもそも自分が「これは力作だ」
と感じている、
その感覚自体が
本当に信用できるものなのか。
「力作だ」と感じているのは、記事の出来ではないかもしれない
書いている時の手応えは、
内容の完成度というより、
その日たまたま集中できた
苦労した分、
やり切った感が強く残っている迷いなく最後まで書き進められた
こういう、
書いている自分の状態に
左右されている面が大きい気がしています。
同じテーマでも、
調子のいい日に書いたものと、
無理して仕上げたものとで、
後から読み返すと差がないことも多いんです😌
つまり「力作だと感じる」のは、
記事そのものの出来ではなく、
書いている自分のコンディションを
測っているだけなのかもしれません。
しかも面白いのは、
「もう書けない」と思った数日後に、
案外また新しいアイデアが浮かぶことです。
これって、
よく考えると矛盾していますよね。
「もう無理だ」と感じた感覚と、
実際に起きることが
噛み合っていないわけです。
たぶんその瞬間は、
その日使った発想の型だけが
頭に残っているだけで、
数日経てば、
また別の角度から
自然に次の発想が降ってきます。
「もう書けない」は記事の限界ではなく、
その瞬間の視野の限界にすぎなかったんです。
300記事書いてきても、振るわなかった力作は山のようにあります
私は300記事以上書いてきましたが、
正直、
振るわなかった力作は山のようにあります。
しかもそれが有料記事だった時は、
なおさら凹みます😞
いつも以上に時間をかけて作った記事ほど、
誰の手にも届かなかった時の重さが違うんです。
無料記事なら
「読んでもらえるだけでありがたい」
と思えるのに、
有料記事だとそうもいかないんですよね💦
時間をかけた分だけ、
届かなかった時の苦い思い出も
濃くなる気がしています。
渾身の記事なんてものは、そもそも存在しない
ここまで考えて、
私はひとつの結論にたどり着きました。
渾身の記事なんてものは、
そもそも存在しないんじゃないか、
ということです。
時間をかけて書いたという事実も、
その時感じた手応えも本物です。
でもその手応えが「結果を保証する」
という意味を持つかというと、
それは私個人の思い込みでした。
渾身だと感じた → 自分の内側の事実
結果が振るわなかった → 外側の事実
この二つに、
もともと因果関係なんてなかったんです。
投稿できたという事実だけに満足していい。
そのうえで、
反応や売り上げは別の話として、
淡々と見ればいいだけなんですよね😌
評価は天気のようなもの
「これだけの力作なのだから評価されて当然だ」
と思うことは正直あります。
でも他人の評価をコントロールすることは、
どうやっても不可能です。
それを許せるかどうかが、
続けられるかどうかの
分かれ目になる気がしています。
他人の評価は天気のような
ものかもしれません。
晴れてほしいと願うのは自由でも、
雨が降ったら
文句を言っても仕方ないですよね☔
だからこそ、
もったいぶって出し惜しみすることも、
実は無駄なんだと思います。
温めたところで評価が上がる
保証はどこにもなく、
投稿してみるまでは刺さるかどうか
誰にも分からないからです。
軽い気持ちで書いたものが
思いがけず読まれることもあれば、
力を込めた記事が静かに終わることもある。
この予測できなさこそ、
書き続けてきて一番よく分かったことです。
まとめ
渾身の記事を書けたなら、
その事実だけでもう十分なんです。
でも、
その先の評価とは
切り離して考えるべきものでした。
期待を向けるべきは
「評価されること」ではなく、
「出し切れたかどうか」だけで十分です。
これからも、
力作ほど期待せず、
もったいぶらずに
世に放ち続けようと思います☺️
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📷️ 今日の一枚

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