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人の「温度差」に戸惑ったとき、すぐに答えを出さない

人と一緒に仕事をしていると、ときどき不思議な「温度差」に出会う。

最初は、特に何も感じていなかった。

仕事上のやり取りを重ねる中で、相手には相手の仕事の仕方があるし、私には私のやり方がある。多少の違いがあるのは当然だと思っていた。

ところが、時間が経つにつれて、少しずつ気になることが増えてきた。

こちらが一緒に進めたいと思っている場面で反応が薄かったり、積極的に関わっているように見える場面がある一方で、別の場面では距離を置いているように感じたりする。

一つひとつを取り上げれば、たいしたことではない。

でも、それが積み重なると、

「この人は、いったいどのくらいの熱量で、この仕事に関わっているんだろう?」

と思うようになる。

そして、そこで人は理由を探し始める。


なぜだろう。

仕事の進め方が違うのかもしれない。

単純に、私とはコミュニケーションの取り方が違うのかもしれない。

何か別の事情があるのかもしれない。

あるいは、私に対して何か思うところがあるのかもしれない。

あるいは、こちらには見えない感情――
たとえば嫉妬や警戒心が働いているのかもしれない。

そんな可能性だって、私はあると思っている。

人は、いつだって合理的に行動するわけではない。

自分より評価されている人。
自分にはないものを持っている人。
自分がやりたかったことを、軽やかにやっているように見える人。

そんな相手を前にすると、自分でも気づかないうちに感情が動くことがある。

もちろん、それが今回の相手に当てはまるのかはわからない。

本人に聞いていない以上、私にわかるはずもない。

だから私は最近、こういうときに「答え」を急いで出さないようにしている。


そして、

仮説は、事実ではない。

ここはまず分けておきたい。


今回、私自身も少し戸惑った。

「なんとなく変だな」という感覚が、単発の出来事ではなく、時間をかけて積み上がってきたからだ。

そこで私は、相手の内面を推測し続けるのではなく、組織としての役割や関係性について、第三者に確認してみた。

すると、自分が見ていたものとは少し違う角度から、その人の存在が捉えられていることがわかった。

そこで初めて、

「ああ、私が感じていた違和感と、組織全体から見たその人の位置づけは、必ずしも同じではないんだな」

と思った。

人は、自分が見ている景色からしか判断できない。

だからこそ、誰かとの関係に違和感を持ったとき、一度、自分の視点から離れてみることには意味がある。


考えてみれば、組織の中で起こる「温度差」は、珍しいことではない。

同じプロジェクトに参加していても、目的への思い入れは人によって違う。

同じ肩書きを持っていても、責任の捉え方は違う。

同じ言葉を使っていても、その言葉に込めている意味は違う。

そしてもちろん、そこには感情もある。

合理性だけで人が動いているわけではない。

認められたい。

必要とされたい。

自分の価値を感じたい。

自分の居場所を守りたい。

誰かに負けたくない。

誰かの役に立ちたい。

面白いことをしたい。

成長したい。

自分の力を試したい。

自分の信じることを実現したい。

仲間と何かを成し遂げたい。

自分らしくありたい。

安心していたい。

そんな感情は、どんなに「仕事だから」と線を引いても、完全には消えない。

むしろ、人と組織を考えるなら、そこを無視しないほうがいい。

けれど、ここで一つ、考えておきたいことがある。

「温度差がある」ことと、「熱意がない」ことは、同じではない。

同じ仕事をしていても、人によって見ているものは違う。

成果を最優先する人もいれば、手順やリスクを気にする人もいる。

チーム全体のことを考える人もいれば、自分の担当範囲をきちんと果たすことを重視する人もいる。

「まずやってみよう」と考える人と、
「その前に、もう少し確認したい」と考える人もいる。

どちらが正しいという話ではない。

ただ、見ているものが違えば、同じ出来事を見ても、当然、反応は違ってくる。

そして、組織という場所をさらに難しくするのは、そこに
「役割」だけでは説明できない人間関係があることだ。

肩書きには書かれていないけれど、誰の意見が通りやすいのか。

誰が誰を信頼しているのか。

これまでどんな仕事を一緒にしてきたのか。

その人は、組織の中でどんな立ち位置にいるのか。

そうしたものが、日々の意思決定に静かに影響している。

だから、同じ「メンバー」であっても、組織の中で持っている情報も、期待されている役割も、発言の重みも、実は同じではない。

本人たちが意識していなくても、そこには長年の関係性や、過去の経験、信頼の蓄積がある。

新しく入った人からすると、

「なぜ、この人の一言はこんなに重いのだろう」

と思う。

それは、その人にとっては自然な疑問だ。

一方、長くいる人からすると、

「なぜ、そんなことを今さら説明しなければならないのだろう」

と思う。

それも、その人にとっては自然な感覚なのだと思う。

つまり、どちらも自分の中では間違っていない。

ただ、見えている景色が違う。

組織に長くいる人には、これまでの経緯や人間関係、暗黙の了解が見えている。

新しく入った人には、それが見えていない。

逆に、新しく入った人には、組織の中に長くいる人ほど気づきにくい「当たり前の不自然さ」が見えることもある。

だから、組織の中では、

「自分には自然なことが、相手には不自然に見える」

ということが、意外と頻繁に起こる。

そして厄介なのは、そのズレが、いつの間にか

「この人はわかっていない」
「この人は面倒だ」
「この人は協力的ではない」

という、相手の人格や姿勢の評価に変わってしまうことだ。

本当は、能力や意欲の問題ではなく、

持っている情報、経験、役割、関係性が違うだけなのかもしれない。

人は、自分が見えているものを「全体」だと思いやすい。

でも組織の中で、一人ひとりが見ているのは、いつもその人の立っている場所から見える景色だけだ。

だから、誰かとの間に「温度差」を感じたとき、相手の温度を測るだけではなく、

「私は、どこからこの人を見ているのだろう」

と、自分の立っている場所も一度見直してみる。

それだけで、人間関係の見え方は少し変わることがある。


だから組織では、「正しいことを言えば、正しく伝わる」とは限らない。

正論そのものよりも、

「誰が言ったのか」
「誰に言ったのか」
「これまでどんな関係だったのか」
「その人は、どんな役割を担っているのか」

によって、同じ言葉の重みは変わる。

だからといって、相手の気持ちをすべて理解しなければ仕事ができない、ということでもない。

むしろ、組織で仕事をするというのは、

相手のことを完全には理解できないまま、それでも一緒に進めていくこと

なのかもしれない。

相手が何を考えているのか、最後までわからないこともある。

なぜ、そこでそう反応したのか。
なぜ、別の場面では積極的だったのか。
なぜ、自分の言葉には反応しなかったのか。

答えが出ないまま終わることだってある。

それでも、必要な確認をする。
自分の役割を果たす。
相手の役割も尊重する。
必要なことは伝える。
そして、わからない部分をわからないまま残しておく。

すべての違和感に、理由をつけなくてもいい。

すべての人を、好きになる必要もない。

すべての関係を、きれいに整理する必要もない。

仕事に必要なのは、相手を完全に理解することではなく、理解できない部分があることを前提に、それでも協働できる状態をつくることなのだと思う。

大人になって仕事をするというのは、
案外そういうことなのかもしれない。

人は、思っているほど単純ではない。

組織も、思っているほど合理的ではない。

だからこそ、

「わからない」を抱えたままでも、仕事を前に進められる人でありたい。

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