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読まれれば、安心できると思っていた | エッセイ

noteを始めた時、私はこれを副業にできたらいいなと思っていた。

だから最初の頃に書いていたのは、今のようなエッセイではない。

心についてまとめた、わりと無難な心理記事が多かった。

それが、あることをきっかけに、自分の経験をエッセイとして書くようになった。

書いていくうちに、noteの意味が少しずつ変わっていった。

過去の自分を、置き去りにしないこと。

今の自分の心を、言葉にしながら整理すること。

今は、それが私が書く一番大きな理由になっている。

ただ、続けているうちに、そこへいろんなものが混ざるようになった。


noteを始めたのは、まだ2か月半ほど前のことだ。

最初の頃は、スキが10、20とつけば十分うれしかった。

それでも、

「自分の言葉って、ほんまに誰かに届くことあるんかな」

と、よく思っていた。

周りを見ると、すごい人がいっぱいいる。

自分には書けないような文章を書く人。

言葉をたくさん知っている人。

知識が深い人。

芸術的な文章を書く人。

そして、何百、何千というスキが集まっている人。

noteを開くたびに、

「すごいなあ」

と思う。

そして私は、気づけば自分と比べていた。

その頃は、もう少し読まれるようになったら、この感覚もなくなるのだと思っていた。

ある程度形になって、

「ここまでやった」

と自分で思えたら、自然とnoteともいい距離が取れるようになる。

以前、「またやりすぎてる」と書いた時にも、そんなふうに考えていた。

今はまだ走っている時期なだけ。

そのうち勝手に落ち着く。

そう思っていた。


実際、始めた頃と比べると、読んでくださる人はずいぶん増えた。

数字だけを見れば、あの頃とは全然違う。

じゃあ、

「誰か読んでくれるかな」

という不安もなくなったのか。

なくならなかった。

驚くほど、普通に残っていた。

記事を出す前日の夜。

もう何度も読んだはずなのに、また開く。

「なんか今回、内容薄くない?」

急に不安になって、直し始めることもある。

投稿する直前にも、

「誰か読んでくれるかな」

と思う。

そして、投稿する。

すると今度は、何度もスマホを開く。

スキが増えていたら、少し安心する。

でも、その安心はあまり長く続かない。

今度は、

「いつもと比べてどうなんやろ」

が始まるからだ。

いつもの記事より少ない。

いつもの時間より増えていない。

そんな時は、

「今回、文章が悪かったんかな」

と思う。

また自分の記事を開く。

「ここ、分かりにくかった?」
「内容薄かった?」
「何か足りなかった?」

数字を確認しているつもりで、

いつの間にか、私は自分の文章を採点していた。


パートナーから、

「ずっとnoteしてるやん」

と言われることがある。

たしかにそうだ。

家事をしていても。

犬たちと過ごしていても。

仕事の合間でも。

少し暇ができたら、noteを開いている自分がいる。

通知を確認したいのもある。

誰かがコメントしてくれていないか。

記事を紹介してくれていないか。

見落としていないか。

でも、それだけじゃない。

自分の記事が、今どれくらい伸びているのかも、ひっきりなしに確認している。

さっき見たばかりなのに、また見る。

3日、4日と経って。

スキの数がだいたいいつもと同じくらいになって。

届いたコメントを読んで、

「あ、ちゃんと届いてたんや」

と思って。

ようやく、

「そんなに悪い記事じゃなかったんかな」

と安心する。

そして、次の記事を出す時には、

また、

「誰か読んでくれるかな」

から始まる。

前の記事がどれだけ読まれていても、新しい記事を出せば、また同じ不安に戻る。


そこで、やっと分かってきた。

私は、読まれるようになれば、安心できると思っていた。

でも、数字が増えれば、その数字が今度は「いつも通り」になる。

10だった基準が20になって。

20だった基準が、またその先へ動いていく。

数字が増えるのと一緒に、自分の中のハードルまで上がっていた。

人と比べることも同じだった。

前に「すごいな」と思っていた人に近づいたとしても、そこで終わらない。

その頃には、また別のすごい人が見えている。

上を見れば、いくらでもいる。

「これ、終わりないやん」

と思った。

数字を安心の基準にしている限り、安心できる場所そのものが動き続ける。


ちょっと呆れた。

私は、他のことでは昔に比べて、かなりスッキリ生きられるようになったと思っていたからだ。

人は人。

私は私。

得意なこともあれば、できないこともある。

誰かがすごいからといって、私の価値が下がるわけではない。

仕事でも、普段の生活でも、そう思えることがずいぶん増えた。

なのにnoteを始めてみたら、

人と比べる自分も。

認めてもらいたい自分も。

数字を見て安心したい自分も。

めっちゃおるやん、と思った(笑)

もう、こういう部分はだいぶなくなったと思っていた。

普通に残っていた。

なんでnoteでは、こんなに出てくるんやろう。

たぶん、数字があまりにも目に見えるからなのだと思う。

普段の生活では、自分の言葉がどれくらい届いたのか、どれくらい共感されたのかなんて、こんなにはっきり分からない。

でもnoteでは、自分が書いたもののすぐ横に数字がある。


でも、以前と違うところもある。

「あ、また比べてるな」

と、今は気づける。

「いつもと同じくらいじゃないと不安になってるな」

とも分かる。

何度もスマホを開いている自分を見て、

「私は今、数字で安心しようとしてるんやな」

と思うこともできる。

たぶん、この違いは大きい。

承認欲求そのものを、私はなくしたいわけではない。

誰かに認めてもらえたら、そりゃうれしい。

たくさん読んでもらえたら、これからも普通に喜ぶと思う。

「もっと届く文章を書きたい」

と思うから、読み直す。

もっと上手に言葉にしたいと思う。

人の文章から学ぶ。

そういう気持ちは、前へ進む力にもなる。

だから、これも使い方なのかもしれない。

前へ進むための燃料にはする。

でも、

自分の価値を決める権利までは渡さない。

そこは、少しずつ分けられるようになりたい。


そして不思議なことに、書いている時の私は、まだ大丈夫なのだ。

何を書くかも、最初からきっちり決めているわけではない。

とりあえず書き始める。

すると、少しずつ自分の中へ入っていく。

「あの時、なんであんなことしたんやろ」

「あ、これとあれ、つながってたんか」

そんなことを考えているうちに、外側が遠くなる。

誰にどう思われるか。

何スキつくか。

書く前と書いた後にはあれだけ気になっていたものが、書いている時だけは不思議なくらい静かになる。

書いている時は、ちゃんと自分の世界にいる。

今のところは。

でも、書く前と書いた後にこれだけ外側へ気持ちを持っていかれていたら、

そのうち、書いている時まで、

「これ、読まれるかな」

「もっと受ける書き方にした方がいいかな」

が入り込んでくるかもしれない。

それは、ちょっと嫌だ。

私が守りたいのは、

書いている時に、自分に戻れるこの時間なのだと思う。


書くことをやめたいからではない。

数字を嫌いになったからでもない。

書くことも。

読んでもらえることも。

人とつながることも。

全部、まだ好きだから。

その好きなものを、ちゃんと好きなまま続けるために、

noteとの距離を少しだけ調整してみる。


今だって、私は毎回かなり全力で書いている。

それでも、

「ここ、まだうまく言葉にできてないな」

と思うことはたくさんある。

本当はもっと深いところまで書きたいのに、まだ言葉が追いつかないこともある。

だから、反応が少ない記事を全部、

「たまたま届かなかっただけ」

で済ませたいわけではない。

もっと書けるようにはなりたい。

もっと自分の中にあるものを、ちゃんと言葉にできるようになりたい。

ただ、いつか。

自分で、

「今回は、ちゃんと書けた」

と思えた記事の反応が少なかった時に、

「私の文章、ダメやったんかな」

だけじゃなく、

「ちょっとコアすぎたかな(笑)」

くらいに思える自分でいたい。

目に見える結果がついてこなかった時にも、

まずは自分が、自分の書いたものを認められるようになりたい。

誰かのすごさを認めながら、

自分のことまで小さくしない。

人に認めてもらえた時だけ、自分を認めるのではなく、

認めてもらえなかった日にも、自分の側にいる。

仕事や普段の生活では、少しずつできるようになったことを、

今度はnoteでも練習しているのかもしれない。

比べる自分も。

認められたい自分も。

数字を気にする自分も。

まだ、普通にいる。

でも、その自分たちがいることを知った上で、

何を追いかけるのかは、自分で決めたい。

副業にできたらいいなと思って始めたnoteは、

いつの間にか、過去の自分を拾い直したり、今の自分を知ったりする場所になった。

そして今度は、

まだこんな自分が残っていたことまで見せてくれた。

そう考えると、

これもまた、

私がここで自分と向き合っている、その続きなのだと思う。





今回の記事を書くきっかけにもなった、noteとの距離を少し見直した話はこちらです。

「管理ツールを作ったら、投稿を減らすことになった|エッセイ」

あちらでは「交流を大切にするために、少しペースを落とすこと」を。
今回は、その裏側で、自分の中に起きていたことを書きました。




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