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広告経済の次 #5: 目指す世界

これまでこの「広告経済の次」シリーズでは、広告経済の怖さについて書いてきました。
では、いったい私たちはどうすればいいのでしょうか?
今日は、現時点で私がどんな方向を目指しているのか、全体のイメージだけでも共有できればと思います。

「経済システム」と「情報インフラ」と「人々の社会生活」の関係

「経済システム」と「情報インフラ」と「人々の社会生活」は密接に影響しあいます。

たとえば、インターネットの普及により、世界中の人どうしが容易にコミュニケーションできるようになり、情報も商品も国境を越えて行き交うようになりました。

この変化は、商取引のグローバル化を後押しし、多くの企業は、ドメスティックな市場だけでは立ちゆかなくなっていきました。
結果として、地場の企業が競争力を失い、グローバルな資本やプラットフォームに統合・淘汰される動きも広がりました。

同時に、文化のグローバル化も進み、生活や価値観が地域固有のものに縛られにくくなっています。
その一方で、地域社会——近所や町、村といった単位のコミュニケーションの場は、ゆるやかにすたれてきたように思います。

これが核家族化の流れと合わさったことにより、子どもたちは「家庭」と「学校」以外の安心できる居場所を持ちにくく、大人も「家庭」と「職場」という限られた空間に閉じ込められがちです。

現在の「経済システム」「情報インフラ」「人々の社会生活」

現代の情報インフラ、とりわけスマートフォンとSNSは、広告モデルを基盤に急速に発展してきました。

そのおかげで、誰もがコンテンツを発信できるようになり、一般の人が“バズる”現象も珍しくなくなりました。
創造性や表現の自由が広がったことは、間違いなくポジティブな変化です。

一方で、その仕組みはあくまで「広告主」に最適化されています。
そのため、人々の関心や行動は、クリック率や滞在時間を最大化するようなアルゴリズムに誘導されがちです。

その結果として──
・広告の個別化と密室化
・センセーショナルで品のない広告の氾濫
・扇情的な有害コンテンツやヘイト表現の増長
・エコーチェンバーによる社会の分断
といった現象が深刻化しています。

さらに重要なのは、広告&消費の形にそぐわない社会活動が置き去りにされている、という点です。
たとえば、金銭的利益にはつながりにくい世代間の助け合いや、教育、地域活動、といった行為は、現在の情報インフラでは支援されず、むしろ手段を失いつつあるように思います。

目指す方向

「経済システム」「情報インフラ」「人々の社会生活」は、これからの私たちの選択次第で、今とはまったく違ったかたちに組み直すことができる、と考えています。

たとえば、広告主の都合ではなく、個人のニーズや価値観に最適化された情報インフラがあったとしたらどうでしょうか。

また、金銭的利益だけでなく、共感・感謝・おせっかい・優しさなどの価値を組み込んだ経済システムがあればどうでしょうか。

そうした仕組みの上に、人々が安心して対話し、知を分かち合い、助け合いながら暮らしていける、そんな新しい社会が築けるかもしれません。

今すぐに実現することは難しいかもしれません。
でも、IT や AI がこれほど急速に進歩していることを思えば、このまま個人の情報インフラが広告経済に依存し続け、個人の主権が置き去りにされ続ける未来の方が、むしろ不自然です。

だからこそ、まずは「あるべき姿」を描き、共有していくことが大切だと考えています。


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