「察する力」をどこに使うか。
以前は、
相手から直接頼まれなくても
なんとなく察して
「〇〇しようか?」と尋ねたり
動いていたことが多かった
けれど今は、以前ほど
自分から察して動くのを
しなくなった
そのかわり
何かあったときには、
「必要なときは言ってね」
と先に声をかけておいたり
動ける状態や
その意思があるときは、
「これなら私出来るよ」
とさりげなく
自分に出来ることを伝えておきます
以前、アパレル販売員として
売り場に立っていたときは、
お客様の要望を
こちらから察したり
お声がけして対応するのは
そのタイミングや
発しているエネルギー
みたいなものをよんでいて
それは慣れてくると
自然につかめるようになっていた
ただ、
察するのは
お客様のご機嫌をとるため
ではなく
お客様一人一人のニーズを
つかんで対応するために
お仕事として
ポリシーをもってやっていた
接客のスタイル
たとえば、
言葉で伝えられないことを
汲み取ったり
それをカタチにするような
お仕事もある
察することが必要な事態や
その現場に居合わせることも
人生にはあるから
そんなときは、
その状況に合わせて
言葉をかけたらいいし
コミュニケーションで
お互いを理解したり
確認し合うことが
大切になってくる
振り返ってみると、
私がこれまで
人との関わりで
こちらから察して動いていたとき
何でも察してあげられる方が
相手との関係性を
良好に保ってくれると
思い込んでいた
なんなら、
察してあげられないと
良好な関係を続けられない
と思っていた
きっと
嫌われるのも怖かった
なので、
感謝を伝えられたり
おもいきり喜ばれると、
やってあげて良かった
って安堵して、
無反応に近いと、
自分に落ち度があったのかと
不安になった
当時は、
察して動く=気が利く
と思っていて、
気が利かないことにバツをして
罪悪感を感じることも
あったくらい
(育った環境でつくられた古い観念)
感謝されることや
役に立てることに
自分の価値をおいていたので
いつのまにか、
相手にとって
都合のいい人になってしまったり
外側に振り回されている自分に
なっていた
欠乏感や無価値感がもとで
何かをして差し上げても
無価値感を感じる現実を
引き寄せてしまう
たとえば
約束を平気でキャンセル
されたり、
後回しにされて
雑に扱われているように
思えたり。
察してあげることを
当たり前だと思っていると、
無頓着な人の態度や
雑に扱われることに
モヤモヤしたり腹が立つんです
でもそれらは
相手の態度が問題なのではなく
自分が自分のことを
後回しにしたり
雑に扱っていることのあらわれ。
鏡(相手)は
自分が自分にしていることを
見せてきます
目の前に
それを演じてくれる人を
登場させるんですね
本当は、
一番察してあげるべき人は
「自分自身」
今では、
自分に無理をさせることや
察して先回りすることはせず
(というか、できなくなった)
一番最初の感覚、
内心ちょっとでも思った
自分の本音(心の声)を
きちんと汲み取ってあげるように
なった
こんなふうに
自分が変化すると
離れていく人間関係もあるけど(卒業)
それもごく自然なこと。
全ての出来事(人)に
気づかせてくれてありがとう
って思える
で、今回
察することをやめよう
っていう話しではないんです
誰にでも備わっている
「察する能力」や感度を
どこに使うか
ということなんだよね
自分の人生を生きる上で
相手ではなく
自分を察してあげること
それが
自分の思いと行動を
一致させていくのに
大切なんだと思うし
自分の「感度」「直感」を
自分の好きなことや
夢中になれること、
クリエイティブなお仕事に
使っていけたら
自分も、周りにも
喜びの波動を広げられそうです

𓍯
