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第3話 子どものいない人生を選んだ日

50歳の節目に、36歳でパリに来た日から、46歳で刺繍職人になるまでを6話の物語にしました。普通の日本人女性が、自分らしい人生を見つけるまでの実話エッセイです。


第一話と二話はこちらからお読み頂けます。↓

流産を経験してから、夫は以前より前向きに治療に向き合ってくれるようになった。

病院にも付き添い、一緒に医師の話を聞き、二人で次の治療を考えた。私は人工授精から始め、体外受精へと進んだ。
毎日決まった時間に打つホルモン注射。

細い針をお腹に刺すたび、小さく息を止める。何度経験しても、その瞬間だけは慣れなかった。採卵の日。移植の日。

そのたびに胸の奥で、小さな希望をそっと抱きしめる 「今度こそ。」
その言葉だけを支えにしていた。

けれど、願いが叶うことはなかった。
期待しては落ち込み、
また期待しては落ち込む。
季節だけが静かに過ぎていった。

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友人たちから、妊娠や出産の知らせが届くようになった。同じように不妊治療を頑張っていた友人からの報告もあった。

本当にうれしかった。
「おめでとう」
その言葉に嘘はなかった。
でも電話を切ると、部屋は急に静かになる。

気づけば涙がこぼれていた。
どうして私だけなんだろう。
何が足りないんだろう。
答えのない問いばかりが心に積もっていく。

「きっと次があるよ。」
そう励ましてくれる人もいた。
でも、その「次」が来るたびに希望を持ち、また失う。

その繰り返しに、少しずつ心は疲れていった。結婚したら、いつか子どもができる。
そんな未来を、私はどこか当たり前のように思っていた。

だからこそ、その当たり前が自分には訪れない現実を受け入れることは、とても難しかった。出口の見えないトンネルを、一人で歩いているようだった。

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ある日、不思議なくらい静かな気持ちで、自分の心の声が聞こえた。

「もう十分頑張ったよ。」

その一言で、長い間張りつめていた糸が、ふっとほどけた。治療には終わりがある。
その終わりを決めるのは、自分しかいない。

私は不妊治療を終えることを決めた。

「子どものいない人生を生きよう。」

そう口にしたとき、悲しみは消えなかった。
それでも、長いレースからようやく降りたような安堵があった。

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けれど、その先には新しい現実が待っていた。仕事だった。社会から離れて、もう何年も経っている。フランス語にも自信がない。
履歴書を書こうとしては手が止まる。

求人サイトを開いては閉じる。
応募ボタンを押すことができなかった。
「私なんて採用されるはずがない。」

そんな言葉が、何度も頭をよぎった。
それでも勇気を出して、いくつか応募した。
そのうちの一社、日本企業から面接の連絡が届いた。

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面接の日の朝。久しぶりの緊張で、お腹が痛くなった。深呼吸を何度も繰り返しながら会社へ向かう。質問には答えているはずなのに、頭の中は白く霞んでいた。

何を話したのか、今ではほとんど覚えていない。そして最後に、担当者が穏やかな笑顔で尋ねた。

「もし採用になったら、数日後から働けますか?」

もちろん、「はい」と答えるつもりだった。
そう答えるのが正解だと分かっていた。
けれど、口から出たのは違う言葉だった。

「その日は……無理です。」

一瞬、部屋の空気が止まった。
担当者も驚いたような表情を浮かべていた。
私自身が、一番驚いていた。

頭では「はい」と答えていた。
でも、心は「いいえ」と答えていたのだ。

その瞬間、はっきり分かった。
私は事務の仕事へ戻りたいわけではなかった。向かうべき場所は、きっと別のところにある。

理由は説明できない。
根拠もない。
それでも、自分の心だけは知っていた。

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振り返れば、それまでの私はいつも頭で選んできた。損か得か。
正しいか、間違っているか。 
人からどう見られるか。
そんな物差しばかりで生きてきた。

でも、この日初めて、
心の声に従ってみたいと思った。
面接を終え、一人で歩く帰り道。
青い空と、エッフェル塔が綺麗に見える広場の前で立ち止まった。

そのとき、もう一つの声が聞こえた。

「一度、日本へ帰ろう。」

不思議なくらい迷いはなかった。
これからどうなるのかは分からない。
夫が何と言うのかも分からない。

それでも、自分の人生を立て直すには、その道しかないような気がした。

この小さな決断が、後に私を思いもよらない場所へ連れていくことになる。

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