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私の知らない斉藤元彦兵庫県知事

兵庫県民のくせに斉藤元彦兵庫県知事をほとんど知らない私

その私が初めて斉藤元彦兵庫県知事を見た日は覚えていません。
印象に残っているのは2021年の選挙の立候補者を伝える無料の投げ込み新聞だったと記憶する。
おそらく顔写真も貼ってあったと思うがまるっきり記憶がない。
ただ紹介文の中の文字が大きく私の目の中に飛び込んできた。
それは「菅義偉元首相の推薦」という文字だ。
「ふん!」と嘲るように無視した私の気持ちだ。
私はこの時自民党兵庫県連が分断していることさえ知らなかった。
県政はほとんどと言っていいほど無関心だったのです。
居住地だった尼崎市民として生きていた印象がある。
それというのも尼崎市が政令都市だったことも由来するだろう。
が、政令指定都市ではなく「中核市」であったことを後で知りました。
1948年「保健所政令市」に指定されてはいましたが政令指定都市ではなかったようです。
でも独自の政治スタイルを持っていたように思います。
2021年知事選挙はすでに夫も他界していましたので政治の話の記憶もなく、
慣例に従ったような気がします。
が、結果は斉藤元彦兵庫県知事が誕生しました。
そこにはなんの抵抗もなく何と無く日本の現実を見ているようでした。
そしてこの翌年に安倍晋三元首相が選挙演説中に銃撃を受けた事件がありました。
「えっ!?」安倍晋三元首相には否定的な立場でしたので複雑な気持ちが湧き上がった記憶があります。
事件の犯人は旧統一教会の元信者であると知ったときはなぜかほっと安堵したのを覚えています。
「暗殺でなくてよかった」という思いがあったからです。
この時の私は日本政治をあまり歓迎している立場にはありませんでしたが、
世の中は私とは反対に湧き上がっていた印象があります。
そして私が三田市に移転した翌年に兵庫県知事選挙がありました。
衆議院選挙後でゴタゴタしていた印象があります。
この時も不信任が可決された結果であることも何も知らなかったのです。
近所の人にその理由を尋ねたら「私もよく知らないけどおねだりだって言ってた」
そんな状況の中で知った知事選でした。
本当まるっきり興味がありませんでした。
前尼崎市長稲村和美の名前が目に入ったのも選挙当日でした。
それぐらい政治に対して虚ろな私でした。
結果斉藤元彦兵庫県知事再選に「なんやそれ」って感じでした。
それがですね選挙1ヶ月後の12月に斉藤元彦兵庫県知事が「公選挙法違反」で提訴されたニュースに「やっぱり」という思いがふっと湧いたんです。何も知らないのになぜ「やっぱり」という思いが湧いたのか?
そう「反安部」だったからだと思います。
それからです。兵庫県を追いかけるようになったのは。
しかし、追いかける情報も何もない中で私はどのように兵庫県を追いかけたのか?
その記憶が・・・・そうそう思い出しました。
立花孝志元N国党首から始まりました。
その中には元衆議院議員の丸山穂高氏の存在もあり驚いたのを覚えています。
今から15年ほど前になるでしょうか?そうそう2011年です。東日本大震災があった年ですね。
民主党政権時代だったのですね。まだ政治活動なんていう気持ちはありませんでした。
TVで橋下徹氏のお顔は知っていました。
故人となりましたやしきたかじん氏のTV番組「そこまでいって委員会」なる放送で知ったんです。
そういえばこの年ですね地上波が誕生したのは。
なんということでしょう。全てがここで繋がっていたんですね。
偶然?必然?
➖野草庵➖


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