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【創作論】小説の新人賞を受賞した、その後の話 —— 私は三ヶ月で、忘れられた

新人賞を受賞した夜、私は駐車場で、一人ガッツポーズをした。
授賞式は華やかだった。有名な作家と話し、スピーチもした。
だが、それだけである。
自分の手で書いたポップが、書店の隅で放置されているのを見たとき、私は受賞の意味を知った。

これは、十年以上前の話として読んでほしい。


1. 駐車場の、ガッツポーズ

私は、権威あるミステリ作家の名を冠した賞を受賞した。いくつかの賞の最終候補に残り続けた末の、受賞だった。ここまでの十年については、別の記事に書いた。

受賞の連絡は、近所のドラッグストアの駐車場で聞いた。夜だった。電話を切ったあと、私は車のそばで、一人、小さくガッツポーズをした。

長かった。やっと報われた。そう思った。

当時、私は割と堅い職業に就いていたので、覆面作家を通すことにした。

そして今も、それを貫いている。だから、あの夜の駐車場のガッツポーズを見た人は、誰もいない。世界で私だけが知っている、私の頂点である。

そこから先について、今日は書いてみよう。
頂点の、その後の話だ。


2. それだけである

授賞式は、華やかだった。

審査員と言葉を交わした。

名前を知っている作家が、目の前にいた。自分もスピーチの機会を得た。受賞の言葉を書き、それが出版社のホームページに掲載された。

夢のような時間だった。

何年も一人で書いてきた人間が、突然、光の当たる場所に立たされる。

だが——正直に書いておこう。

それだけである。

多くの人がすでに指摘していることだが、受賞者は、毎年現れる。

受賞はスタート地点にすぎない。そこからホンモノになれるかどうかは、まったく別の問題だ。頭では分かっていたつもりだった。だが、それが実際にどういうことなのかは、分かっていなかった。

華やかな式が終わり、私は日常に戻った。そして、受賞の後に本当に待っていたものと、向き合うことになる。


3. 自分で、自分を売り込むこと

本の出版が近づいたころ、担当編集者から、ある依頼が来た。

ポップを書いてほしい、というのである。

書店で本の脇に立てる、あの小さな紙。

「今、話題!」「涙が止まりません!」——あれを、作家本人に書かせるのだ。つまり、自分の作品を売り込むための言葉を、自分で考えて、手書きで書いてほしいと言うのである。

私は、相当に頑張って書いた。

何枚書いたか、もう覚えていない。どう書けばいいのか分からず、実際に書店へ足を運び、ほかの本のポップを参考にした。

人の心を掴む一言とは何か。手に取らせる言葉とは何か。作品を書くのとは別の筋肉を使って、私はその紙を埋めた。

自分の書いたポップが書店に並ぶ、と聞いて、見に行った。

しかし、放置されていたのである。(全てではないが)

全く目立たない場所にあった。

ものによっては、隅に追いやられ、忘れられていた。

あれだけ考えて、あれだけ手をかけた言葉が、誰の目にも留まらないまま置かれ、そしていつか捨てられるのである。


4. 書店の棚は、奪い合いだった

そのとき、初めて気づいたことがある。

書店の棚は、奪い合いなのだ。

限られた棚に、どう置いてもらうか。

書店の棚は、戦いの場でもある

それ自体が、熾烈な競争だった。担当者は言った。平積みでなければ売れない、と。表紙を上にして、平らに積まれること。それができなければ、勝負にならない。

本棚に、背表紙だけを見せて差される。ただそれだけで、その本は放置される運命なのだという。

次々と、面白そうな新刊が出る。

書店の限られた面積を、それらが奪い合う。

私の本は、少しずつ、確実に、奥へ、後ろへと押しやられていった。どんどん過去になっていくのである。

もちろんそれに抗う術はない。

書けば売れる作家なら、話は違っただろう。

だが、単なる一受賞者にとって、出版社ができることには限りがある。受賞作に加えて、もう一冊か二冊付き合って、それで売れなければ、そこまで。おそらく、そういうものだったのだと思う。


5. 反論は、許されない

書評も、目にした。

好意的なものもあった。そうでないものもあった。的外れだと感じる評もあった。言い返したいことも、あった。

だが、反論は許されない。

作家は、書いたものがすべてである。

世に出した以上、それがどう読まれ、どう評されようと、黙って受け止めるしかない。それが作法だった。刺さる言葉に、こちらから釈明することはできない。ただ、受け取るだけである。

同じ時期に受賞した者同士、SNSで少しだけ交流もした。同じ光を浴び、同じ場所に立った仲間。だが、その交流も、長くは続かなかった。

なぜなら——全ては、あっという間に過ぎ去っていったからだ。


6. 三ヶ月で下火、半年で過去

受賞にまつわる熱は、三ヶ月で下火になった。

半年で、過去になった。

華やかな授賞式も、必死で書いたポップも、好意的だった書評も、放置された棚も、全部ひっくるめて、半年ほどで、すっかり静かになった。

そして、一年後。

また、新しい受賞者が現れた。

その人が、脚光を浴びていた。かつての私のように。授賞式に立ち、スピーチをし、ポップを書き、そして——おそらくは、同じように消費され、忘れられていくのだろう。

そう思ったとき、私は、あの駐車場の夜を思い出した。

一人、ガッツポーズをした、あの夜を。

あの夜、私が立っていた場所に、今年もまた、別の誰かが立っている。

歓喜に震えている。長かった、やっと報われた、と思っている。そして、その歓喜そのものが、一年で使い捨てられるものだとは、まだ知らない。


受賞を目指している人へ

意地悪を言いたいのではない。

受賞は、素晴らしいことだ。あの駐車場のガッツポーズを、私は今でも、人生の宝物だと思っている。あそこまで辿り着いたことを、誇りに思っている。

ただ、知っておいてほしい。

受賞は、終わりではない。何かの終わりではなく、まったく別の何かの、始まりですらない、かもしれない。

それは一つの点にすぎず、その後に何を続けるかは、光が消えたあとの、静かな場所で決まる。

脚光は、三ヶ月で消える。半年で、あなたは過去になる。

そこからどうするか。それだけが、本当の問題だ。そして、その問いにどう答えるかについては——受賞のあとに私が学んだ、もう一つの、もっと苦い話がある。それは、また別に書こうと思う。

あの駐車場の夜のことを、私は、後悔していない。

※2026年9月9日追記
この記事、思いも掛けず多くの方々に読んでいただきました。小説を書いている方、小説家を目指す方が、私が思っているよりずっと多くいらっしゃることに頼もしく思うと共に、ちょっとだけ心配になりまして、そんな『人生の後半を生きている私』の気持ちを書かせていただきました。



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