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あなたは深く深く、理解するため、に生まれて来た

健康的な心を持つ親の下に生まれ着いた人は、

優しさや、あたたかさや、安心、安全に囲まれて、

心を成長させますが、


情緒が未成熟で不安定な心を持つ親の下に生まれた人には、

優しい眼差しを向けられる経験や、
あたたかさに包まれる経験がありません。
その人に安心は無く、いつも不安です。
その場所に安全は無く、有るのは危険です。

情緒未成熟で心が不安定な親は、
自分自身が抱える重大な生きづらさから目を逸らすことだけに懸命で、
我が子に愛を与える余力が有りません。

そればかりか、自分を慕って止まない我が子の瞳を見て、
「この子は裏切らないし反抗しない、
だから好きに扱って構わない、だから利用して構わない。」
そう受け取ってしまいます。

自分が生きづらく、自分が苦しいから、そう受け取ってしまうのです。


健康的な心を持つ親は、自分を慕って止まない我が子を、
誰に教わることも無く当たり前に、愛しく思います。

愛しいから、

未だ自分の脚で立ち上がることすら出来ない我が子をあたたかく包みます。

未だ上手に喋ることが出来ない我が子の気持ちを察しようと心を砕きます。

幼い我が子を、ひとりの人、として尊重します。

誰に教わる訳でも無く、愛しいから、大切だから、かけがえが無いから、
守り、育み、尊重します。
愛します。


健康的な心を持つ親、が築く親子関係は、尊重すること、が根本に有りますが、

情緒未成熟で不安定な心を持つ親、が創り出す親子関係は、支配すること、が根本に有ります。

全く逆、なのです。


ひとりの人として、尊重、される環境に育ったなら、
その人の周りには探さなくても、
優しさや、あたたかさや、安心、安全が、いつも有ります。

親に全てを委ねて構わない環境が、その人の心の中に、
自分には価値が有る、という、根源的な安心感、を生み出し育みます。


一方、支配、される親子関係に身を置かざるを得なかった人には、探しても探しても、
優しさもあたたかさも、安心も安全も見つかりません。

親は自分が抱える重大な無価値感から目を背けることだけで、いっぱいいっぱい、であり、
本来ならば、自分を慕う我が子は掛け値無しに愛しい存在である筈ですが、その親にとっては、無価値感から逃避する為の道具に見えるのです。

だから利用します。
だから支配します。

幼い其の人は、便利に利用されれば褒められることも有るでしょう。
支配されていれば受け容れられるかも知れません。

しかし、褒められるのも、受け容れられるのも、
幼い其の人が、自分で在ることを捨てて、支配的な親に迎合した時だけです。

親の顔色を窺い、親の感情や要求を優先して初めて、
褒められるし、受け容れられます。

生まれた時に始まって、ずっとそうして育った其の人は、
ありのままの自分には価値が無い、と思い込んでしまいます。


尊重される環境に育った人は、あたたかな親子関係に抱かれて、
自分には価値が有る、という根源的な安心感を手に入れ、軽やかに人生を歩み、

支配される親子関係に育った人は、冷え冷えとした親子関係に凍える様にして育ち、
自分には価値が無い、という重大な無価値感を心の奥に刻み込みます。

両者は残酷な迄に、逆、なのです。


かたや、安心と安全に包まれるあたたかな環境に育ち、
かたや、不安と危険に晒される冷え冷えとした環境に凍える様にして育ちます。

探さなくても当たり前に、愛、が有る環境と、
探しても探しても、愛、が見つからない環境です。

それぞれの環境は、
自分には価値が有る、という根源的な安心感が有る人と、
自分には価値が無い、という重大な無価値感を抱える人を創り出します。

それだけを切り取ったなら、
無価値感を抱えて、生きづらさに苦しんだ人はすべからく、
何と理不尽な、何と残酷なことだろうか、と己の運命を恨むに違いありません。

確かに、あたたかさに包まれる環境に生まれた人は、あたたかさに包まれることで根源的な安心感を手に入れます。

対して、冷え冷えとした環境に生まれ墜ち凍えて育った人は、
どれ程冷たい環境に育ったのか、という目を逸らしたくなる真実を、しっかりと誤魔化さずに見据えて初めて、重大な無価値感を乗り越えることが出来ます。

両者の歩む道のりは、大きく異なります。
大きく異なるのですから、同じ世界を見ていながら、両者の見る世界の、色、は明らかに違っています。

けれども、
生きづらさに気がついて、
生きづらさを手放すと決意して、
見たく無い過去を紐解き、
全てを腑に落としたなら、

鉛色の世界を脱して、
根源的な安心感を持つ人と同じ、
鮮やかな色の世界の住人になれます。

生まれると同時にあたたかな環境に抱かれて、根源的な安心感を手に入れて、
鮮やかな色の世界の住人になった人には、
鉛色の世界に立ち尽くす人の心を理解することは出来ないのですが、

鉛色の世界を抜けて、
鮮やかな色の世界の住人になった人は、
鉛色の世界のことも、
鮮やかな色の世界のことも、
理解るのです。

苦しんだから、他者の痛みが解ります。

他者の痛みが解るということは、

より優しくなれる、ということです。

優しさが強さであるならば、

より強くなれる、ということです。

鉛色も、鮮やかな色も、

どちらの色も知る人は、

より深く世界を理解する人です。


気がついた今、

永く続いた苦しみは、

もはや理不尽でも、

もはや残酷でも、

ましてや無駄なんかでは、

決してありません。


苦しんで生きて、

誤魔化さずに腑に落としたなら、

苦しみの長さは、

やがて、深さ、に変わります。



過酷な幼少期を生きた人は、

深く深く、

理解する為に生まれて来た、

尊い存在、なのですから。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム


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