書きたいキモチと、書きたいカタチ
今日は夫が、家にいない。
帰っても誰もいないんかぁ〜、寂しいなぁ〜、その気持ちにまったく嘘はないんだが。ひとりの夜に何をしよ、と、ウキウキ、ホクホクしている私もまた、本物なのであります。
タイムリーに会社文庫から、安斎勇樹さんの『静かな時間の使い方』という本を借りてきた。別に、夫がいるからといって、やかましい時間が流れているわけではないんだけど、自分ひとりの世界にどっぷり浸かるには憚られることだってあるはずで。
今日はひとり時間を、この本と一緒に有効活用しようと、そう思ったわけです。
『静かな時間の使い方』は、めちゃくちゃざっくりいうと、内省のススメ。評価とか、期待とか、外圧とか、しがらみとか、そういう「他者の声」にまみれてわからなくなった、「自分の声」を取り戻すための内省の時間、とれてるかい?っていうね。
半分くらい読んだところでこれを書いてるけど、めっちゃ面白いです。それもそのはず、私がnoteを書いてる時間、内省でしかないわ。私、息をするように毎日めちゃくちゃ内省してもうてるわ。内省を愛してもうてる。
それで、最近のもやもやが、やっと言語化できそうです。何を書いてもしっくりこないのなんでぇ?ってずっと唸ってた理由、多分これ。
描写系のエッセイが書きたい私 vs 内省LOVEの私
この空前絶後のバトルが繰り広げられてた。
そっかそっかぁ!
なんのこっちゃと思われますね。
説明させてください。
最近まで、創作大賞という名の、これまた大バトルが開催されてましたね。私も参加してたのですが、この期間、これまで以上にたくさんの珠玉のエッセイたちを読みまくっていたわけです。私、沼落ちしました。そんでこんな投稿もしておりました。
この記事でも少し触れてるけど、素晴らしいなと思うエッセイを見て、端的に嫉妬したの。それで、自分とその作品の何が違うのか?って研究しまくって、分類して、自分に足りない要素を見つけて…ってやりすぎて。
憧れに、のまれた。
憧れのエッセイのように書いてみたいって欲が、ずーっと止まらなくてですね。具体的には、日常のひとコマをパシャッと切り取ったような描写型のエッセイ。目の前で起きるほんの短いワンシーンを、素敵に書き残せたらって。そこまでは、まぁよしとして。問題は、私が内省を愛しすぎとるんですな。私の中のリトルな私が、内省させてくれよ〜内省書かせてくれよ〜ゆうて。ずっとやかましい。
さ、どのシーンを切り取りますかな?って、アンテナを外に向けようとすると、リトル私がアンテナへし曲げにくる。内面に向けて矢印ぐいーんって。
純粋な関心は内省一直線、なのに目指すアウトプットは日常のひとコマエッセイ。入り口と出口が繋がっていないこのチグハグが、非常にしっくりこずにパソコンの前で指が止まり、はぁ…と深い溜め息に繋がっていたと、こういうことだったように思われます。
こないだ、モヤモヤしてるぅ、って呟いた投稿に優しいコメントいくつもいただきまして。抗うのやめようかなって、今内省しながらこれを書いてます。私は内省を愛しすぎている。それは何も悪いことじゃないんだな。私の心の中という、大きな世界を冒険してるだけなんだから。
内省のススメを読みながら、自分の関心がぎゅんぎゅん動いてるのがわかる。気づいたこと、振り返ったこと、書きテェ〜って心の底から思ってる。その気持ちに蓋をしても、いいエッセイは書けんよ。私が心から「この日常のひとコマ、書きテェ〜!」って叫べるようになるその時まで、憧れは憧れのままでとっておこう。
ひとつ思い出した。
昔、大学生の頃。大好きな親友に憧れすぎて、洋服を交換したことがあるの。オーバーサイズのストリートファッションを好んでいた私は、彼女に借りた小花柄のワンピースを身にまとい、ちょっとだけ憧れに近づいた気持ちになれた。
その日一日だけの、シンデレラタイム。チグハグの服を着て、彼女とふたりピースしながら撮った写真が残ってる。写真の中の私は、嬉しそうで、でも本当の私とは顔つきが少し違っていて、背伸びをしていて、愛おしい。
憧れに手を伸ばしている私もまた、
ちゃんと私で、ちゃんと愛おしい。
さて、今日の内省は、これでおしまい。
