何度目の、君だろう 第九話「本音」
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登場人物紹介・相関図(ネタバレなし)
あらすじ
親友・翔太の結婚式で、かつて同じ会社の後輩だった橘冬子と再会した井上朝陽は、「大丈夫じゃないのに、大丈夫って言うよね」という冬子の一言に言葉を失い、諦めようと思った瞬間に結婚式の朝へ戻された。何度繰り返しても、翔太の大学友人・藤原健が冬子のそばに現れてはタイミングを奪い続ける。百合の香りをきっかけに幼い頃の記憶がよみがえった朝陽は、冬子に「昔どこかで会った気がする」と伝え、冬子も同じ感覚を抱いていたことがわかる。一方冬子は健と向き合い、自分が長年「逃げてきた」パターンに気づく。八度目の周回では二人がそれぞれ大切な誰かに向き合う決意をしたが、それでもまた戻されてしまった。まだ、言葉にできていない何かが——残っている。
一
九度目の十一月十四日だった。
朝陽は目を開けた瞬間から、今日は違う、と思った。
前の周回で、麻衣にちゃんと話した。誠実に向き合った。それでも戻ってきた。
ということは——まだ、何かが足りない。
朝陽はベッドの上で、天井を見ながら考えた。
諦めていない。誠実に向き合った。でも戻された。
じゃあ——何が足りないんだ。
冬子の顔が、頭に浮かんだ。
冬子に、まだ何も言えていない。
病院の話は途中のままだ。気持ちも、言葉にしていない。
それか。
朝陽は起き上がった。
今日は——全部、言葉にする。
二
冬子も、同じ朝を迎えていた。
天井を見つめながら、前の周回を思い返していた。
健と話せた。自分の気持ちにも向き合おうとした。朝陽と麻衣の間に何かが変わった気がした。でも——朝陽に、何も伝えられなかった。
また戻ってきた。
冬子は静かに息を吐いた。
まだ、終わっていないことがある。
朝陽に、言葉にして伝えること。
怖い。朝陽には麻衣がいる——いや、前の周回で何かが変わったかもしれない。でもそれは今日の朝陽には関係ない。今日の朝陽は、また最初からだ。
それでも。
言葉にしなければ、何も変わらない。
冬子は起き上がった。
三
式場に着いてから、朝陽は今日の動き方を決めていた。
まず麻衣に話す。それから冬子を探す。
でも——今日の朝陽には、一つ新しい考えがあった。
冬子に、病院の話だけじゃなくて、気持ちも伝えよう。
ちゃんと言葉にしよう。
それができなかったから、何度戻っても終わらないんじゃないか。
麻衣をロビーで見つけた。
「少し話せる?」
麻衣は朝陽の顔を見て、頷いた。
四
二人でロビーの隅に移動した。
「麻衣」朝陽は言った。「俺、好きな人がいる」
麻衣の表情が、固まった。
でも今日は——前の周回より、不思議と落ち着いた顔をしていた。
「……やっぱり」麻衣は静かに言った。
「やっぱり?」
「なんとなく、わかってた気がする」麻衣は窓の外を見た。「ねえ、朝陽くん。私ね、中田課長から海外赴任の話が出てて」
朝陽は、驚いた。
「いつから」
「結構前から。ずっと迷ってたんだけど」麻衣は少し笑った。「行ったらいつ帰れるかわからない。でも挑戦したい気持ちもあって。ずっと叶えたかった夢のひとつだったから」
「……そうだったのか」
「結婚も、夢のひとつだったんだけどね」麻衣は朝陽を見た。「朝陽くんのこと気になって、この間それとなく将来の話聞いてみたの。でも——あのときの反応で、なんとなくわかってた」
朝陽は、何も言えなかった。
「ちゃんと言ってくれて、ありがとう」麻衣は静かに言った。「おかげで、決められた気がする。自分の仕事と、ちゃんと向き合う」
「……ごめん」
「謝らないで」麻衣は首を振った。「半年、楽しかったよ。本当に」
「俺も」
麻衣は涙を一粒だけ拭って、笑った。
「じゃあ今日は、友達として楽しもっか」
朝陽は、麻衣の強さに胸を打たれた。
五
披露宴が始まった。
翔太のスピーチが流れる。
「好きな人に、ちゃんと向き合えよ」
九度目の、同じ言葉。
今日は——もう、迷いがなかった。
麻衣とは、ちゃんと向き合えた。
次は冬子だ。
朝陽は冬子のテーブルを見た。
冬子は拍手しながら、翔太のスピーチを聞いていた。
その横顔が、いつもより少し、静かだった。
六
歓談の時間、朝陽は冬子のそばに行った。
さくらが気を利かせて離れた。健の姿は、翔太のグループの中にある。
二人きりになった。
「橘さん」
冬子が振り返った。
「今日——少し、ちゃんと話せますか」
冬子は朝陽の顔を見た。何かを感じ取ったような、静かな目だった。
「うん」冬子は言った。「私も、話したかった」
七
会場の端の、人が少ない場所に移動した。
二人並んで、窓の外の夜景を見ていた。
先に口を開いたのは、朝陽だった。
「橘さんに、聞きたいことがあって」
「うん」
「この日に——何度も戻ってきてる感覚、ありますか」
静寂が流れた。
冬子は、窓の外を見たまま動かなかった。
十秒ほどの沈黙の後、冬子がゆっくりと朝陽を向いた。
「……どういう意味」
「そのままの意味です」朝陽は冬子を見た。「今日が、何度も繰り返されてる。翔太の結婚式のこの日が。俺だけかもしれないけど——」
「違う」
冬子が、静かに言った。
朝陽の心臓が、大きく鳴った。
「……橘さんも」
「私も」冬子は頷いた。「最初は夢だと思った。でも何度目かで、わかった。夢じゃないって」
二人は、しばらく互いの顔を見ていた。
同じ日を、同じように繰り返していた。それを、今初めて——言葉にできた。
「なんで」朝陽は言った。「なんで、この日に戻るんだろう」
「わからない」冬子は首を振った。「でも——諦めようとすると、戻される気がして」
「俺も、そう思ってた」朝陽は言った。「でも前の周回で、諦めてないのに戻ってきた。麻衣に——ちゃんと話したのに」
冬子は少し目を見開いた。
「麻衣さんに?」
「好きな人がいるって、伝えた」
冬子は、朝陽の顔を見ていた。
「それでも——戻ってきた」朝陽は続けた。「だから、まだ何かが足りないんだと思って」
八
二人は静かに、窓の外を見ていた。
「ねえ」冬子が言った。「病院の話——覚えてる?」
「覚えてます」朝陽は言った。「中庭があって、ベンチがあって」
「百合が咲いてた」冬子は静かに言った。
朝陽の胸が、大きく鳴った。
「……橘さん」
「うん」
「そこに——男の子がいませんでしたか」
冬子は、息を止めた。
長い沈黙。
「……手品、してくれた子」
冬子はゆっくり言った。
「下手くそな手品。でも一生懸命で。元気が出た」
朝陽は、言葉が出なかった。
喉の奥が、熱くなった。
「その子が——」冬子は朝陽を見た。「泣いてなかったけど、泣いてた」
朝陽は、目を閉じた。
泣いていいよ。
あの頃、誰かに言われた言葉。
ずっと、誰だったかわからなかった言葉。
「橘さんが——」朝陽はやっと言えた。「俺に、泣いていいよって言ってくれた人ですか」
冬子の目に、涙が滲んだ。
「……覚えてたんだ」冬子は笑った。くしゃっと、力の抜けた笑い方で。「私は、ずっと忘れてたのに」
「俺は、ずっと覚えてた」朝陽は言った。「誰だったかは、わからなかったけど」
二人の間に、静かな時間が流れた。
遠くでざわめきが聞こえた。さくらの笑い声が聞こえた。
でも今この場所だけ、違う時間が流れているようだった。

九
「じゃあ——」冬子は静かに言った。「私たち、子どものころに会ってたんだ」
「うん」
「なんで」冬子は少し笑った。「なんで、また会えたんだろう」
「わからない」朝陽は言った。「でも——俺は、またこの日に戻ってくるたびに、橘さんのことを探してた気がする。最初からずっと」
冬子は、朝陽を見た。
何も言わなかった。
ただ、目が少し揺れていた。
「橘さん」朝陽は言った。「俺が言えてないことって、何だと思いますか」
「……え?」
「ループが終わらない理由。麻衣に話せた。橘さんと幼いころに会ってたこともわかった。それでも戻ってくるとしたら——まだ言えてないことがあるんだと思って」
冬子はしばらく、朝陽の顔を見ていた。
それから——ゆっくりと、視線を落とした。
「私も、同じこと考えてた」冬子は静かに言った。「まだ言葉にできてないことがある」
「それって——」
「冬子!」
さくらの声がした。
二人は同時に振り返った。
「写真撮るから来て!朝陽くんも!」
冬子は朝陽を見た。
朝陽も冬子を見た。
お互いの目に、同じ色があった。
まだ、終わっていない。
でも今日は——もうすぐそこまで来ている。
「行こっか」冬子は笑った。「続きは、後で」
「後で」朝陽は頷いた。
十
二次会が終わって、外に出た。
ゲストたちがばらばらと帰っていく中、朝陽と冬子は自然と同じ方向に歩いていた。
健が「お先に」と手を振った。麻衣が「おつかれ」と笑って去った。
気づいたら——二人だけになっていた。
駅までの道を、並んで歩いた。
十一月の夜風が冷たかった。
「ねえ」冬子が言った。
「うん」
「さっきの続き」
朝陽は足を止めた。冬子も止まった。
街灯の下で、向き合った。
「私が言えてないこと」冬子は言った。「わかってる。ずっとわかってた。でも——怖くて」
「怖い?」
「また逃げるかもしれないと思って」冬子は笑った。でも目は笑っていなかった。「いつもそうしてきたから。大事なところで、先に逃げてきたから」
「逃げなくていいですよ」朝陽は言った。
「でも——」
「橘さん」
冬子が、朝陽を見た。
「俺も、言えてないことがある」朝陽は言った。「ずっと言えなかったこと。何度この日を繰り返しても、言えなかった」
冬子は、黙って朝陽を見ていた。
「橘さんのことが——」
朝陽の声が、少し揺れた。
「好きです」
夜風が吹いた。
冬子の黒髪が、揺れた。
冬子は、しばらく何も言わなかった。
目に、涙が滲んでいた。
「……私も」冬子はゆっくり言った。「ずっと、そうだった気がする。でも認めるのが——怖かった」
「怖くなかったですよ、俺は」朝陽は言った。「橘さんの前では」
冬子は笑った。
くしゃっと、力の抜けた笑い方で。
「嘘つき」冬子は言った。「絶対怖かったくせに」
「……まあ」朝陽も笑った。「少しは」
二人は、しばらくそこに立っていた。
街灯の光の下で。
十一月の夜の中で。
十一
その夜——
朝陽は帰りのタクシーの中で、窓の外を見ていた。
言えた。
ちゃんと、言葉にできた。
冬子も、言ってくれた。
今日こそ、終わる気がした。
目を閉じる。
目が覚めたら、朝だった。
見覚えのある天井。
スマートフォンを手に取る。
十一月十四日。土曜日。午前七時十二分。
また、戻っていた。
朝陽はしばらく天井を見つめたまま、動けなかった。
言えた。伝えた。冬子も答えてくれた。
それでも——戻ってきた。
なぜ。
朝陽は息を吐いた。
窓の外で、鳥が鳴いた。
十度目の、十一月十四日。
まだ——何かが、足りない。
第九話・了
