江戸さんぽ|独眼竜伊達政宗が見上げた江戸城
独眼竜・伊達政宗が毎日見上げた江戸城
その景色を、今の日比谷公園から追体験できるとしたら――
先日、広島で毛利三城を巡った後、毛利屋敷跡を探して日比谷を歩いてみました。
かつての江戸城を前に、外様大名たちがどのような日々を過ごしていたのか、今回は伊達政宗の目線で考えてみます。
▪️終焉の地から江戸城本丸を見上げる
日比谷公園に入ってすぐ、看板を見つけました。

ここが、あの独眼竜が最期を迎えた場所か。
思わず足を止め、かつての「日比谷御門」があったあたりから、江戸城本丸を見上げてみました。
……うわ、これは攻められないな。
広大な空間に、堀と石垣が広がっています。
今は背後に高層ビルが並んでいますが、
当時はそれらがなく、堀と石垣の存在感はもっと際立っていたはずです。
政宗は、江戸にいる間、毎日この景色を見ていたのか……

ふと、政宗の本拠地、仙台・青葉城の景色を思い出しました。
青葉城からは、街全体を見渡せる。
それに対して江戸では、毎日この石垣を「見上げる」立場だった。
そう考えると、その場でしばらく立ち尽くしてしまいました。
▪️海を埋め、石垣を積む
公園内を歩くと、かつての海(日比谷入江)の名残である池や、石垣が残っています。

調べてみると、日比谷見附門の枡形石垣は伊達政宗が担当したようです。
つまり、政宗は徳川のための巨大な石垣を自ら積み上げ、その「壁」を毎日見上げていたことになります。
自領では支配者だった政宗に、江戸城の一部を作らせる。
支配する側から、支配される側へ。
家康の計算高さが、この石垣の一点にも凝縮されていると感じました。

石には刻印のようなものもみられます。
▪️支配と被支配のはざまで
伊達政宗は今でも絶大な人気を誇りますが、江戸では「支配される者」として生活していました。
その生き様を想像するだけで、胸が熱くなります。
……いつか仙台を再訪し、この視線の違いを確かめてみたい。
歩けば歩くほど訪問したい旅先が増えていきます。

しかし、私の目的地である「毛利屋敷」はまだ先です。
次回は、外様大名の一角、九州の雄・島津家の屋敷跡を訪ねます。
参考記事|伊達政宗が関わった江戸城・大手門を歩いた記事もあります。よろしければどうぞ。
