書くことが好きだった。そんなことも、すっかり忘れていた
とにかく、よく書いていた
学生時代、何かを書くことがとても好きでした。このnoteをはじめるまで、そんなこともすっかり忘れていました。
もう数十年も前、パソコンもスマホもない時代。文房具屋さんで400字詰めの原稿用紙を購入して、創作文やエッセイらしきものを頻繁に書いていました。当然、Backspaceキーも Deleteキーもないので、消しゴムで消しては書き直し、打ち消し線をダーッと引いてはその横に書き直した。修正しすぎて採用したい部分がわからなくなり、さらに赤ペンを入れたりして。
書き出しはいつもやる気満々、想像力爆発、表現もリッチで、字もきれい。でも、終わりに近くなると、ほとんど殴り書き、話も上手く回収しきれていなかったり。でも、書き上げたときのあの満足感、ただ嬉しかったし、楽しかった。誰に見せるでもないのに、夢中で書いていましたね。未完のまま放置したものもたくさんありますが。
誰かに読んでもらうことを前提に書いていたわけではなかったのですが、それらの短編小説風ポンコツ文章を読んでくれる物好きな友人たちがいました。楽しんでもらえると嬉しくて、調子に乗って恥ずかしげもなく連載にしたこともあります。
日記もほぼ毎日書いてましたね。中高で、大学ノート十数冊になってました。これらすべてを保管していなかったのが悔やまれます。高校時代から日本と海外とを行き来して、引越しをトータル十数回しているので、もはや実家というものが存在しませんし、断捨離を繰り返し、思い出の品という物がほとんどないのです。
まあ、今の今まで忘れていたのですから、大したことではありませんが、もし残っていたなら、うれしはずかし&ちょっぴりノスタルジーな気分にひたれたかも、と思うと少し残念です。
話は戻りますが、学生時代の試験。時間が余ると、問題用紙の裏にびっしりと、詩なのか歌詞なのか、エッセイなのか、よく分からないものを書いていましたね。解答用紙に記入したものより、圧倒的な文字量を集中して書き出してました。大抵、問題用紙は持ち帰りだったのですが、それごと回収されたときは恥ずかしかったです。
高校の学祭の出し物のために、オリジナルの脚本を書いたこともありました。これが、びっくりするほどおもしろくなく、全然うけませんでした。物語を書くことと、セリフ中心の脚本を書くことは全く違うんですね。どう違うかは割愛しますが、これも書いているとき、そして書き上げたときは本当に楽しかったのを覚えてます。
いつの間にか、書かなくなった
そこから十数年経ち、ブログが一般にも普及してきました。一年ほど、北米での日常やエッセイをブログに投稿していました。
北アイルランド紛争について書いた記事では、現地で亡くなった兵士の遺品から見つかったと伝えられていた英詩「Do Not Stand at My Grave and Weep」に触れました。
日本では「千の風になって」の原詩として知られている詩です。その記事に、秋川雅史さんの「千の風になって」のCDをAmazonアソシエイトで貼っていたのですが、ある日、それが1枚売れました。
「あ、ちゃんと記事を読んで、この歌にも興味を持ってくれた人がいたんだ」と、ちょっと嬉しかったのを覚えています。当時はアフィリエイトのこともよく分かっていなかったので、それが最初で最後のアフィリエイト体験です。
ブログをやめてからは、ときおりジャーナルのようなものを書いては、Evernoteに放り込んでいました。公開することを目的に書いていたものではないので、ラフで、文章としておかしいものも結構あるのですが、すべては本当に書きたいことだけを書いていたものです。これを10年くらいやっていましたね。ちなみにEvernoteとは、メモや日記、Webで見つけた情報などをまとめて保存しておける便利なノートアプリです。
ただ、このアプリは、あるときから無料プランがの制限が急にタイトになり、有料版は、メモやジャーナル用途だけのために払うにはちょっと高かったので、いくつか別のノートアプリを試しました。でも、どうもしっくりこない。そのうち、なんとなく書くこと自体をやめてしまいました。
でも、やっぱり何か書きたくて、何か残したくて、SNSのアカウントを作ってはみたけど、どれも馴染めませんでした。Facebookも、Twitter(X)も、Instagramも、今まで私がしてきた「かく」とは違う。それで、だんだんと書くことから遠のいてしまいました。
私、「かく」ことがかなり好きだったんだ
今、あるきっかけで、この記事を書きながら昔を振り返っているわけですが、改めて気づかされます。
私、「かく」ことがかなり好きだったんだーー。
なぜ、こんなに長い間、忘れていられたんだろう。
このきっかけをくれたのは、やまだくにあきさん。
noteというサービスは以前から知っていました。2、3年前、ある人の有料記事が読みたくて、メンバーシップに入るためにアカウントを作りました。ただ読むためだけのアカウントです。再び自分が公開記事を書くなんて1ミリも考えていませんでした。その方の新しい記事の更新も少なくなり、メンバーシップをやめてからは、アカウントを持っていたことも忘れていたくらいです。
本当につい1週間ほど前です。やまださんのYouTubeチャンネルに出会ってしまったのです。なぜか突然、おすすめに出てきたのですね。男性の顔のアップのサムネが並びます。しかも、タイトルには、noteで「100万」とか「1000万」とか書いてある。
「あやしい」
この一言しかありませんでした。「弁護士やめて、noteで暮らしてます。」って、無い無い無い。「また煽り強めのマーケティングかなー」と思いました。そのときは。(ごめんなさい!)
「もうこの手のネタはお腹いっぱい」でした。では、なぜ見るに至ったか?私はYouTubeチャンネルを運営しています(これはまた別記事で書こうと思います)。なので、どんなジャンルのチャンネルでも、気になったら、チャンネル全体を見る習慣があります。
ポチッと、運命のワンクリック。
なんと、このサムネの男性、ただただ最初から最後まで、noteで「かく」ことの素晴らしさを語っているのです。収益化を第一目的とした、テクニカルな「書くこと」ではなく、私がしたかった、ただ「かく」ことを。書きたいことを「かく」ことを。サムネの文言とは良い意味での乖離がありました。
変なLINEアカウントや高額スクールに誘導するでもなく、本当に純粋に「かくって楽しいよ!」と力説されているのです。思わず、概要欄に「ほら、やっぱり!」となる怪しげな導線がないか、しっかり確認してしまいました。
気づけば、やまださんの動画をいくつもいくつも夢中で見ている自分がいました。とっても、とっても、書きたくなりました。そして、その翌日書きました。はじめてのnote。「かく」ことで、再び、あたまの中にグルグルと停滞してたものを吐き出したり、整頓したりできそうだと感じました。
思いがけず、やまださんの動画に出会えて本当に良かった!
ありがとう!YouTubeの良く分からないアルゴリズムも、ありがとう!
今度は、残していきたい
でも、大事なのはこれからです。続かなければ、またいつの間にか「かくこと」から離れてしまうかもしれません。しかも、「ちゃんとやらなきゃ」病を患っているので、相変わらず一記事書くのにも時間が掛かります。それでも今は、「60点でとりあえずGO」です。自分のリズムで、書きたいことを書いてみる。
昔の原稿用紙も、十数冊あった日記も、以前のブログも、もう何も残っていません。でも、noteに書けば、自分で消さない限りは、ここに積み重なっていく。誰かに読んでもらえるのは嬉しいけれど、自分がそのとき何を考えて、何を書きたかったのかを残しておける。それだけでも、私にとってはnoteを書く意味があります。
今度こそ、何年後、何十年後かに「そういえば、あの頃こんなこと考えてたな」と読み返せるように、ここに残しておけたらいいなと思います。
