見出し画像

「人事のためのファシリテーション」第1回_人を容する前に、まず自分を容する

こんにちは、キャップです。

9月3日に坪谷邦生さんと開いたXスペース「人事のためのファシリテーション」の第1回について、内容をまとめさせてください。
テーマは、「なぜいま、人事×ファシリテーションが必要なのか?」です。



社内で評価されても、心は渇くばかりだった

人事やファシリテーションの手前に、お互いの自己紹介とこれまでの関係性から話が始まりました。私は入社7年目の頃、仕事にも慣れて脂が乗ってきて、営業成績も出せるようになり、社内でMVPを取りました。誰が見てもめでたい状態です。もちろんその時は壇上に上がれて嬉しい気持ちもありました。それなのに私は、当時坪谷さんに「何かが違う」という相談をしていました。

当時その違和感は、自分でも言葉にできませんでした。結果は出ている。お客さんも喜んでくれている。上司も評価してくれる。なのに、これじゃない感じだけが残る。

坪谷さんはこう見えていたそうです。

「結果を出せて、めでたいことのはずなのに、キャップは全然幸せそうじゃなかった」

そして、こう続けます。MVPを取るとか、お客さんが喜んで売上になること、そこだけ抜き出されてもちょっと違う、それだけが自分を表現する全てではなかったんじゃないか。

15年経って、あのとき何に違和感があったのか、ようやく少し説明できるようになりました。そしてそれは、人事の葛藤とも重なる点がありました。

人事は、とかく葛藤が多い

あの「これじゃない感じ」は、人事に来てから形を変えて何度も体験しました。

人事をやっていると、こういう感じ、ありませんか。

経営の言い分もわかる。現場の言い分もわかる。わかるのに、どちらかに立って「そっちは違う」とは言いにくい。仕組みに寄れば人が置き去りになるし、人に寄れば仕組みが立たない。しかもその真ん中で、決めて、伝えて、動かさなければならない。

その時間軸が長くなり関係者が増えるほどに難易度は増します。時には、心を閉ざし、とにかくやり遂げるモードに入っていく。

ファシリテーションとは「人を容して、事を易する」

坪谷さんは、人事を 「人を生かして、事をなす」 と定義しています。

ファシリテーションの語源は、ラテン語の facilis。容易にする、という意味になります。何を容して、何を易するのかを捉え直してみると、このように置くことができます。

ファシリテーションとは、「人を容して、事を易する」。

ここで言う「容す」は、容する・受け入れること。経営の言い分だけに頷くことでも、現場の不満をそのまま呑むことでもない。ジャッジを保留したまま、複雑なものを複雑なままテーブルに置いておくことです。

容するがあるから、「事」——動かしたい施策、全社の方針、目の前の人の気持ち——が、動き易くなる。変わり易くなる。

いきなり、固まって動き難い「事」を無理やり動かそうとすると、押すか、引くか、ぶっ壊すかになります。順番が逆なんです。

「人」には、人事のあなたも内包されている

「ならば容せばいい」という話になりますよね。なのに、「どうして容せなくなるのか?」

スペースで、坪谷さんがこんな話をしてくれました。

「人を生かして事をなす、確かにそうですよね」と共感して動き出した現場のマネジャーが、しばらくすると、その「人」をメンバーのことだと捉えている。だから坪谷さんは、こう返すそうです。

「その人に、あなたも内包されていますよね」

自分が生かされていないのに、メンバーを生かすのは無理がある。

容せない人事の中身も、同じだと思います。誰のためにやっているのかわからなくなる。ローテーションで来ただけで、人事がやりたくて入社したわけじゃないんだけどな。自分の願いを乗せている感覚が持てないまま人や組織を容そうとしても、容しきれません。

しかも、自分の願いというのは、けっこう深くに埋まっています。外から来る期待に答え、片付けなければならないことを片付けているうちに、普通に年を取っていく。年末年始に少しリフレクションしたくらいでは、出てこないこと人も多いのではないでしょうか。

12歳の坪谷さんと、40歳の私

スペースの途中、坪谷さんが幼少期の話をしてくれました。

母から勧められて、幼稚園から小学校卒業まで剣道に通うことになっていた。何より嫌だったのは、その時間にアニメの『キン肉マン』が観られないこと。玄関先で母と押し問答をする日もあった。そのとき決めたそうです。

人から押しつけられて何かをやることは、人生で二度としない。

12歳です。坪谷さんにとって「自分を容す」は、そこからの旅路でした。

私が、「人の期待に応える前に、自分の願いに応える」と決めたのは、40歳のときです。

組織開発ファシリテーターとして事業と対峙し、事業責任者や組織長に対して「本当のことを言い合おう」と言っている自分が、何かを抑圧したまま喋っている。すると、場が変わらない。参加者からも当たり障りのない言葉しか出てこない。ファシリテーターは、嘘がつけない仕事でした。

なぜいま、人事にファシリテーションが必要なのか

技術が足りないから、ではありません。グループダイナミクスもロジャーズも、学ぼうと思えば学ぶことができます。けれど場に立つと、いちばん効くのは、その技術を使っているのが誰なのかのほうでした。

人事にとってのファシリテーションの入口は、技術の手前にあります。

人を容する前に、自分を容する。人事である自分自身を、受け入れる。

環境を変えたい、あの部署を動かしたい、この方針を通したい。考えに考えた結果、変わるのは私だった、というところに行き着く。何度もそうでした。

経営と現場の間で引き裂かれそうな状況の中で、わざわざ自分を見つめるなんて、なかなか選べません。それでも人事塾に来たり、本を読んだり、セミナーに出たりする。あれは技術の熟達もさることながら、自分自身の本当の願いに近い何かを摂取しに来ているんだと思います。

第2回テーマは「人を容する前に、まず自分を容するとは?」

自分を容するとは、具体的にどういうことなのか。なぜ、自分を容すと人を容せるようになるのか。事が易する状況とは、どんな状態なのか。

第2回は、9月24日(木)18:00~19:00に、Xのスペースでお届けします。
是非遊びに来てください。


いいなと思ったら応援しよう!