独立行進曲
| İstiklal Marşı | |
|---|---|
| 和訳例:独立行進曲 | |
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Edirnekapı ŞehitliğiにあるMehmet Akif Ersoyの墓。 | |
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| 作詞 | Mehmet Akif Ersoy(1921年2月~3月) |
| 作曲 | Osman Zeki Üngör (現行版)(1922年) |
| 採用時期 |
1921年3月12日 (歌詞) 1930年 (曲) |
| 言語 | トルコ語 |
| 試聴 | |
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独立行進曲(どくりつこうしんきょく、トルコ語: İstiklal Marşı)は、トルコおよびトルコのみが承認する独立国である北キプロスの国歌である[1][2]。
概要
[編集]作詞は、Mehmet Akif Ersoyが1921年2月末頃に手掛けた(1921年2月20日執筆[3]とも、1921年3月完成[4]とも)。現行の曲は、1922年にOsman Zeki Üngörが作曲し、İhsan Künçerが編曲した。公式の採用は、歌詞が1921年3月12日、曲が1930年である[1]。
法的地位
[編集]トルコ共和国憲法のIII-3条において以下のように規定されている[5][6][7]。
Millî marşı “İstiklal Marşı”dır.
抄訳: 国歌は "İstiklal Marşı" である。
また、2007年4月5日付第5649番の法律 "İSTİKLAL MARŞININ KABUL EDİLDİĞİ GÜNÜ VE MEHMET AKİF ERSOY'U ANMA GÜNÜ HAKKINDA KANUN" において、国歌の制定された1921年3月12日に因み、毎年3月12日をMehmet Akif Ersoyの記念日と定めている。この日には、すべての公的機関や組織の主導のもとに、国民および民間組織が参加する記念式典が催される[8][9]。
歴史
[編集]第一次世界大戦後のオスマン帝国崩壊やトルコ革命の時期において、国民の士気と団結は重要であり、新共和国の理想や希望、決意を表現するための国歌が必要とされていた[3]。
1920年に国民教育省は国歌の作詞コンクール開催を決定し、同年10月25日にHâkimiyet-i Milliye誌を通してコンクール開催が国民に告知された。その募集内容によれば、1920年12月21日に締め切られ、優勝者には国から500リラ(当時)の賞金が贈呈されることとなっていた。最終的に、1920年12月23日までに724件(734件とも[10])の応募があり、うち6作品が選出されたものの[10]、いずれも基準に足らずに終わった[1][3][11][4]。

トルコの著名な詩人であったMehmet Akif Ersoyは、賞金目当てを嫌い、当初はコンクールへの参加を拒否していた。しかし、当時の国民教育相Hamdullah Suphiの強い勧めにより、賞金を受け取らないという条件の下で、彼も制作に着手した。詩は10日で書き上げられ、1921年2月17日にSebîlürreşâd誌(旧名称は"Sırât-ı Müstakîm"[12])の第468号とHâkimiyet-i Milliye誌に、21日にAçıksöz誌に、それぞれ掲載された[13][14]。作品には "Kahraman Ordumuza"(オスマン語: قهرامان اوردومزه[15]、我らの英雄的軍隊へ)との献辞が掲げられている[1][3][4][11]。
1921年3月12日、トルコ大国民議会において、Mehmet Akifの書いた歌詞が賛成多数で採択された。彼は賞金を受け取らず、その全額をトルコ赤新月社の "Dar'ül Mesai" に全額寄付した[1][16][17]。
同じく3月12日に、当時トルコ大国民議会の副議長であったAdnan Adıvarが、教育省に作曲コンクールの開催を求めた。これは同月17日のHâkimiyet-i Milliye誌で公になり、24作品が応募された。しかし、こちらも決定的な結果は得られなかった[13]。1923年2月12日に第2回コンクールが開催され、こちらではAli Rıfat Çağatayの作品が優秀作品に選出されたものの、正式な決定までには至らなかった。
彼の曲は1924年から1930年まで用いられ、1930年に、これに代わるものとしてOsman Zeki Üngörの楽曲(1922年に制作)が正式に採用された。これが今日まで国歌として用いられている[3][4]。こちらの曲は本来国歌となることを想定しておらず、別の歌詞に合わせて作ったものだった。そのため、例えば冒頭の"Korkma! Sönmez bu şafaklarda..."は"...şafak / larda..."で句切れてしまうように、やや不自然なリズムとなっている[18]。
現在
[編集]国歌は、公式式典、祝日、軍事行事、および学校の毎週の始業時に歌われる。直立の姿勢で、厳粛な敬意を持って歌うことが慣例となっている[4]。
歌詞
[編集]国歌として歌われるのは通常始めの2節までである[19]。
トルコ語(現行版)
[編集]トルコ語の綴りには出典によって若干の差異が見られる。
| トルコ語[1][20] | トルコ語[21] |
|---|---|
I. |
I. |
III. |
III. |
オスマン語
[編集]
詩の発表当時はアラビア文字表記のオスマン語であった[12][22]。
最初にMehmet Akif Ersoyの詩が掲載されたSebîlürreşâd誌では、第5節の"bastırma"[23][24] (オスマン語: باصدیرمه[25]) という単語であったものが、その後の推敲により"uğratma" (オスマン語: اوغراتمه[25]) に変更され、現在の歌詞となった。
オスマン語の綴りは資料によって表記揺れが多数見られるため、以下にその一部を掲載する。
| Diriliş Postası[15] | Nesih Hat ile İstiklâl Marşı 10 Kıta Uygulaması (Reprodüksiyon)[26] |
|---|---|
۱. |
١. |
参考和訳
[編集]以下は和訳の一例であり、日本語による詩的解釈や歌唱は目的としていない。また、この訳は非公式であり、あくまで内容理解の参考程度とされたい。外部機関による和訳は「外部リンク」を参照のこと。
I.
恐れるな、消える事は無い、この暁にはためく紅き旗は
我が祖国の上に煙る最後の炉の火が絶えるまでは
それは我が民族の星であり、輝き続けるだろう
それは我がもの、我が民族のものなのだ。
II.
顔をしかめるな、私が犠牲になろうとするのに、優しき新月よ!
英雄的な我が民族に微笑みたまえ、何を激す、何を怒る?
さもなくば、お前のために流した我々の血は浮かばれないだろう
真実(の神)を信じる我が民族の独立は正当な権利なのだ
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 “İstiklal Marşı Kitapçığı”. www.msb.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ Hakki, Murat Metin (2007). The Cyprus Issue: A Documentary History, 1878-2006. I.B.Tauris. ISBN 978-1-84511-392-6. オリジナルの2020-03-06時点におけるアーカイブ。 2018年8月26日閲覧。
- 1 2 3 4 5 Üniversitesi, İstanbul Aydın. “İstiklal Marşı” (トルコ語). www.aydin.edu.tr. 2026年7月20日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “THE TURKISH NATIONAL ANTHEM AND ITS HISTORY”. ataturk.org.au. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “Turkey 1982 (rev. 2017) Constitution - Constitute” (英語). www.constituteproject.org. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “Türkiye Cumhuriyeti Anayasası” (トルコ語). tbmm.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “TÜRKİYE CUMHURİYETİ ANAYASASI” (トルコ語). www.anayasa.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “İSTİKLAL MARŞININ KABUL EDİLDİĞİ GÜNÜ VE MEHMET AKİF ERSOY'UAN MAGÜNÜ HAKKINDA KANUN” (トルコ語). www5.tbmm.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “T.C. SOLHAN KAYMAKAMLIĞI - 12 MART İSTİKLAL MARŞININ KABÛLÜ VE MEHMET AKİF ERSOY'U ANMA PROGRAMINA DÜZENLENDİ”. www.solhan.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- 1 2 Kaymakamlığı, T.C. Ataşehir. “T.C. Ataşehir Kaymakamlığı - İstiklal Marşının Kabulü 12 Mart 1921.”. www.atasehir.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- 1 2 “T.C. Amasra Kaymakamlığı - 12 Mart İstiklal Marşı'nın Kabulü ve Mehmet Akif ERSOY 'u Anma Günü”. www.amasra.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- 1 2 “TBMM Kütüphanesi Açık Erişim Sistemi”. acikerisim.tbmm.gov.tr. 2026年9月26日閲覧。
- 1 2 “Atatürk Ansiklopedisi” (トルコ語). ataturkansiklopedisi.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “SEBÎLÜRREŞÂD” (トルコ語). TDV İslâm Ansiklopedisi. 2026年7月25日閲覧。
- 1 2 Merkezi, Haber (2021年3月12日). “İstiklal Marşı Osmanlıca 10 Kıta! İşte Osmanlıca İstiklal Marşı'nın Yazılışı ve Latinizesi” (トルコ語). Haber - Son Dakika Haberleri - Haberler - Diriliş Postası. 2026年9月25日閲覧。
- ↑ “T.C. Amasra Kaymakamlığı - 12 Mart İstiklal Marşı'nın Kabulü ve Mehmet Akif ERSOY 'u Anma Günü”. www.amasra.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “Kalecik Kaymakamlığı - Ankara Valiliği Kalecik Kaymakamlığı - Milli Şairimiz Mehmet Akif Ersoy'un Vefatının Sene-i Devriyesi”. www.kalecik.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “İstiklal Marşı 105 Yaşında - Ebeveyn Akademisi”. ebeveynakademisi.trtcocuk.net.tr. 2026年9月25日閲覧。
- ↑ “İstiklal Marşı 105 Yaşında - Ebeveyn Akademisi”. ebeveynakademisi.trtcocuk.net.tr. 2026年9月25日閲覧。
- ↑ “İstiklal Marşı – Türk Dil Kurumu” (トルコ語). tdk.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “İSTİKLÂL MARŞI” (トルコ語). www.mfa.gov.tr. 2026年7月20日閲覧。
- ↑ “SEBÎLÜRREŞÂD” (トルコ語). www.bagcilar.bel.tr. 2026年7月25日閲覧。
- ↑ “Sebîlürreşâd” (トルコ語). www.bagcilar.bel.tr. 2026年9月25日閲覧。
- ↑ Recep DUYMAZ『İSTİKLAL MARŞI’MIZA YAKINDAN BAKIŞ』。
- 1 2 Mustafa KARATAŞ『İSTİKLAL MARŞI’NIN ALFABE, YAZIM VE NOKTALAMA ÖZELLİKLERİ』。
- ↑ “İstiklâl Marşı 100 Yaşında” (トルコ語). tbmm.gov.tr. 2026年7月25日閲覧。
外部リンク
[編集]- 東京外国語大学公開のトルコ国歌の和訳(全10節)
- トルコ国防省公開の音源(2節まで・演奏のみ)
- Kültür ve Turizm Bakanlığı公開の音源(2節まで・演奏版と合唱版)
- トルコ共和国国民教育省公開の音源(2節まで・演奏版と合唱版・10節までの朗読)
- トルコ大統領府公開の楽譜
- Devlet Çoksesli Korosu公開の音源(2節まで・歌唱付き): İstiklal Marşı - YouTube
- Süleyman Ergunerらによる音源(全10節・歌唱付き): Süleyman Erguner - İstiklal Marşı Bestesiyle On Kıta - YouTube
- Ali Rıfat Çağatay作曲の初期の曲(1節と10節・歌唱付き): İstiklal Marşı'nın ilk Hali - Ali Rıfat Çağatay - YouTube
- Ali Rıfat Çağatay作曲の楽譜